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9/29

9:「23:30」☆

 教室につばきたち三人を残し、ゼン、サク、すずは図書室へと向かった。

 先頭を行くゼンはどこか不機嫌そうで、声が掛けづらい。できるだけ音を立てないようにしながら、薄暗い廊下を静かに進む。


 運良く人影に見つかることなく、図書室まで辿り着いた。扉を開けると、ずらりと並んだ本棚が目に入る。ゼンは部屋の奥に設置されているパソコンの方へと、足早に歩いていった。


「……駄目か」


 パソコンの電源を何回か押した後、ゼンが呟いた。まあ、部屋の電気もつかないことを考えれば、これも当然なのかもしれない。

 それでも諦めずコンセントを調べたり、キーボードを叩いたり、パソコンの前でゼンは奮闘していた。


 すずはゆっくりと図書室の中を見回してみる。

 総記、哲学、歴史、社会科学、自然科学、技術・工学、産業、芸術・美術、言語、文学。図書分類記号の順に、綺麗に本が並んでいる。


 ふと、ここで小さな違和感を覚えた。けれど、それが何なのかは分からない。

 本来あるべき何かが、足りない――そんな気がした。


 まあ考えても分かりそうにないので、違和感はひとまず置いておくことにする。


 気を取り直して、哲学のところにある心理学の本を何冊か手に取ってみた。それから、社会科学のところに行き、風俗習慣・民俗学・民族学の本を探す。伝説とか民話あたりに、何か参考になりそうなものはないだろうか。


 月明かりだけを頼りに探しているので、じっと目を凝らして集中しないといけない。一冊一冊、題名を目で追う。


 ――その時。


「危ない!」


 急にぐいっと横に引っ張られて、手に持っていた本が床に散らばった。驚いて見上げると、サクの顔が間近に見える。


「え? サク先輩?」

「こっち、早く!」

「あ、本が……」

「それは後で良いから!」


 サクがすずの手を強く引き、本棚から離れた。すずは目を白黒させながら、さっきまで自分が立っていた場所を確認する。


 そして、ひゅっと息を呑んだ。


 ゆらり、ゆらりと揺らめく、透明な人影がそこにいた。人影は、すずの落とした本の上に乗るようにして静かに佇んでいる。すずたちには気付いていないようで、ぼんやりとしているように見えた。


「え……いつの間に」


 全く気配を感じなかった。こんなに近くにいたのに。

 もしかして、ずっとすずの後ろにいた?

 ぞっと寒気を感じ、鳥肌が立った。


「あんまりここに長居しない方が良いみたいだ。本を拾ったら、すぐに教室へ戻ろう。――つばきたちが心配だ」


 すずがこくりと頷いたのを見て、サクは慎重に動き出した。すずの手を握ったまま、ゼンのところへ急ぐ。


 けれども。


 パソコンの傍で配線を確かめているゼンのすぐ横に、透明な人影が立っていた。サクとすずは、一瞬躊躇(ちゅうしょ)して立ち止まってしまう。


「……すずちゃんは、ここにいて」


 青ざめた顔のサクが、すずの耳元で囁いた。すずは口を押さえ、ガタガタ震えながら何度も頷いてみせる。


 透明な人影はこちらには気付いていないようで、ゼンの方ばかり見ていた。その透明な手がゆっくりと伸ばされ、ゼンの肩に触れそうになる。


「ゼン!」


 サクがゼンの名を呼び、その体を引っ張った。透明な手はゼンを逃し、ふらふらと彷徨いはじめる。

 ゼンは急に引っ張られたせいで唖然とした表情をしていたけれど、目の前に透明な人影がいることに気付くと、腰を抜かした。


「な、なんでこんな近くに、こいつが」

「ゼン、立て。逃げよう」


 サクがゼンの体を支え、立ち上がろうとした。

 すると、透明な人影が逃げようとするふたりの方に、のっぺらぼうの顔をぐりんと向けた。


 ――み つ け た。


 そんな感じの動きだった。それと同時に、サクとゼンの周りにもうひとつ、人影が湧いて出てくる。

 すずは目を見開き、その場にぺたりと座り込んだ。


 薄暗い図書室。月の光が微かに落ちる窓際。

 透明な人影がふたつ、ゆらゆらと揺れながら手を伸ばす。


 ゼンの腕と、足が捕まった。


「――くそっ」


 ゼンは顔を歪め、自分を支えているサクを突き飛ばした。それから、サクの方に伸ばされている透明な手を自ら掴みに行く。


「サク先輩、すずを連れて、逃げてください」


 まっすぐな目で、ゼンはサクとすずを見つめた。そのすぐ後、ゼンの体から力が抜けていく。

 ぐったりと床に倒れ込み、顔を歪めるゼン。


 嘘だ。こんなこと、ありえない。

 だって、すずはゼンのことが嫌いなわけじゃない。消えてほしいなんて思ったことがないのに。


 ああ、でも。

 初対面の時、ゼンには冷たい反応をされた。それが、少しショックだった。


 ――まさか、それだけで消えてしまうの?


「い、嫌……! ゼン先輩!」


 すずは無我夢中でゼンに駆け寄った。

 これ以上すずのせいで誰かが消えてしまうなんて耐えられない。泣きそうになりながらも、透明な手をゼンから引き剥がそうと試みる。


「ど、どうして……?」


 すずには、透明な手を掴むことができなかった。するりと擦り抜けて、何の感触も感じられない。

 ゼンの手は透明な人影を掴むことができたというのに、なぜ?


 ゼンの瞳がふっと虚ろになり、灰色に染まっていく。


「ここは、どこなんだ……? ああ、そうか。そういう、ことか」

「ゼン先輩? ここは図書室だよ、しっかりして!」

「助かった。……痛い。……痛い、痛い!」


 ゼンが急に苦しみだした。ゼンの体を急いで確認すると、右肩と右足にじわじわと赤い染みが滲んできている。

 足掻くゼンの顔から眼鏡が外れ、からんと空虚な音を立てて床に転がった。


 こんなの、こんなの、駄目!


 すずが赤い染みに手を当てた、その時。


 ふわり、とすずの手のひらから黄色い光が湧いてきた。


 その光はゼンの右肩と右足を優しく包み込んでいく。そして、赤い染みが薄まると同時に痛みが和らいだのか、ゼンの表情が穏やかになっていった。


 ゼンの灰色の瞳が、すずの方を向く。


「――すず? つばき、は」


 言葉の途中で、ゼンの体がさらさらと消えていく。

 すずは呆然として、その様子を見ていることしかできなかった。


 ななみの時と同じ。ゼンが消えたら、透明な人影も一緒に消えた。

 図書室に残されたのは、サクとすずのふたりだけ。


 痛いほどの静寂が、月明かりの静かな図書室を満たす。


「すずちゃん。とにかく、教室に戻ろうか。……行くよ」


 サクはすずの落とした本を手早く拾うと、すずの手を掴む。

 すずは黙ってゼンが落とした眼鏡を拾い上げ、サクに導かれるまま立ち上がった。




挿絵(By みてみん)

ゼン先輩がログアウトしました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] うわ、また一人いなくなったーー。 すずちゃん目線で見てるから、なんで、どうして、を一緒に感じています。 いや、本当に、どうなるんだろう……? [一言] とりあえず、先輩に異世界に興味ある…
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