7:「22:30」☆
サクがすずを引っ張って、透明な人影に捕まったななみから距離をとる。
校舎内の四人も、少し後ずさったような音が聞こえた。
「いや! 助けて、助けてー!」
ななみが半狂乱で泣き叫ぶ。その手が必死に宙を掻いていた。
けれど、透明な人影は決してななみを離そうとはしない。
「恐い、お願い、助けて」
細い声でそう零したななみの体から、急に力が抜けた。人影に掴まれたままの少女の体は、がくりと崩れ落ちていく。
すずはサクの服をぎゅっと掴み、その様子を凝視していた。
ななみの瞳が虚ろになり、灰色に染まる。赤く艶めいていたはずの唇もみるみる渇いていき、肌もくすんでいく。
すずの頭の中に、「ギフト」という単語がよぎった。異世界で、すずが使えるようになるはずの、特殊能力。
――まさか。
ななみに嫌なことを言われ、すずはななみを嫌いだと思った。
こんな人といっしょにいたくない。消えてほしい。
そんな風に、思ってしまった。
もしかして、すずに与えられた「ギフト」は、嫌いな人を消す能力なのだろうか。
一気に背筋に寒気が走った。
そんな恐ろしい能力、いらない。人を傷つける能力なんて、絶対いらない。
すずはサクが引き止めるのを振り切って、ななみに手を伸ばした。
ななみのことは大嫌いだけど、だからといって、すずのせいで消えてしまうなんて嫌だった。
ななみの灰色の瞳が、少しだけ見開かれた。形の良い唇から、途切れ途切れに言葉が零れ落ちる。
「だれ、なの……? 助けに、来てくれた、の? ……足が、痛いです。……うん。……あああ!」
何を、言っているの?
ななみの瞳は、すずを見ているようで見ていない。ふわふわ髪が、流れる涙のせいで頬に張り付いていた。
もう少し。もう少しで、すずの手がななみに届く。
届いて。お願いだから。届け、届け――!
ななみの乾いた唇が、甘えるような言葉を紡いだ。
「お母さん」
その言葉だけが、残る。
ななみの体は、まるで砂のお城が風でさらさらと形を失くしていくように、消えていった。
それに釣られるように、透明な人影もその姿を消していく。
すずの手は、届かなかった。すずの手の先にさっきまで確かにいたはずの女の子は、もうどこにもいない。
すずは呆然として立ち尽くす。
私が、消してしまったの? こんなこと、本当は望んでなかったのに。
「――すずちゃん」
サクの手が、すずの肩に優しく置かれた。その途端、すずの視界が馬鹿みたいに滲んでいく。
喉の奥が詰まったようになり、鼻の奥がツンと痛んだ。
「すずちゃんは、悪くないよ」
「サク、せんぱ、い」
声が上手く出せず、すずはしゃくりあげた。そんなすずを、サクは抱き寄せてくれる。
サクの肩が、すずの涙で濡れていく。
「校舎の中に入ろう。ここはきっと、危ないから」
サクは穏やかな声で語りかけ、すずを支えながら歩きだす。すずは零れ落ちる涙もそのままに、サクに従った。
校舎の中にいた四人が駆け寄ってくる。
「ねえ、ななみは?」
震えているみかの声が聞こえる。サクがそれに答えた。
「見てたんだろ? ……あの人影に、消されたよ」
「……なんで? あの人影、なに? 消されるって、どういうこと……?」
それは誰の呟きだったのか、すずには分からなかった。けれど、その問いには誰も答えない。答えられない。
しんと静まり返る廊下。誰かが身動ぎする音。壊れた扉の向こうから入ってくる生温い風。
「……ここに突っ立っていても、ななみは帰ってこない。みんな、一旦教室に戻ろう」
サクがすずの手を引いて、あの明るい教室に向かって一歩踏み出した。
残りの四人も、サクの言う通りに後をついてくる。みんな無言で、薄暗い廊下をのろのろと進んだ。
電気のついた明るい教室が見えてきた途端、誰かがほっと息をつく。
六人全員が教室の中に入ると、サクがゆっくりと扉を閉めた。
「これから、どうする?」
サクがみんなを見ながら尋ねた。誰も、何も言わず下を向く。どうすれば良いのかなんて分からないのだから、仕方ない。
ななみが消えてしまうのを目の当たりにするまでは、みんなどこかこの状況を楽しんでいたのかもしれない。わけが分からないけど、まあ、なんとかなるだろう。すぐに家に帰れるだろう。
そんな余裕が、どこかにあった。
今は、その余裕がない。自分もいつ、あの透明な人影に捕まってしまうか分からない、という恐怖に震えている。
消えたくない。
でも、このまま学校に閉じ込められるのも御免だ。
痛いほどの静寂の中、不意にサクがすずの方を振り向いた。サクの瞳はまっすぐにすずを射貫く。びくりと体が震えた。
「あ、あの、私……」
声が、上手く出せない。
どうしよう。「ギフト」のことを話した方が良いのかな。
すずが「消えてほしい」と願ってしまったら、本当にその人が消えてしまうんだ、と。
でも、だけど。
そんなことがばれてしまうと、きっとすずはひとりぼっちになってしまう。
きっと、みんな、すずの敵になってしまう。
がくがくと足が震えだす。嫌だ、嫌われたくない。それ以上に、誰も嫌いたくない。
自分の手に負えない特別な力は、すずを助けるどころか、苦しめてくる。
ぎゅっと目を瞑って唇を噛む。結局、臆病なすずには、何も言えやしない。
また、涙が込み上げてきた。
「――すずちゃん、泣かないで」
サクが、すずの体を抱き寄せた。そっと、壊れものでも扱っているかのように、柔らかく、優しく。
すずを落ち着かせるように、背中をぽんぽんとリズム良く叩いてくれる。
「恐かったね、もう大丈夫。大丈夫だよ」
耳元で優しく囁くサクの声があまりに温かくて、すずの目から余計に涙が零れ落ちた。
嫌いなななみをこの世界から消したのは自分かもしれないこと。このことをサクだけには知られたくないと思った。すずにとことん優しくしてくれる、この人にだけは。
どんなに優しくされても、適度な距離を置いておくつもりだったのに。
どんどん、サクのことが特別になっていく。
すずは、サクの服をぎゅっと掴んだ。サクが小さく息を呑む音がする。
それからすぐ、強く抱き締められた。
サクはそのまますずが泣き止むまで、そうして抱き締めてくれていた。
ななみちゃんが、ログアウトしました。
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ありがとうございます!
びっくりして、嬉しくて、飛び跳ねてしまいました!
これからも、よろしくお願いします♪




