18:「4:00」☆
「何だよ、それ。どういうことだよ」
みかの言うことにサクは心当たりがないらしく、訝しげに眉を顰めた。でも、みかは確信しているのか、強い口調で続ける。
「サクは思い出してないだけでしょ。私は放課後、確かに旧校舎の中に入った。ななみたちの姿も見かけた。……すずちゃんの姿は、見てないけど」
「旧校舎にいたら、急に夜の学校に飛ばされたって? そんなわけあるか。じゃあなんで、この真っ黒な旧校舎の中じゃなくて教室とかで気付いたんだ? いろいろおかしいだろ!」
「それは私に言われても分からないわよ! でも、旧校舎にいたのは確かなの!」
みかが苛立ったような声で言い切る。サクはその勢いに押され、口を噤んだ。
すずは全く違う世界からここにやって来たので例外ではあるけれど。
この学校に閉じ込められた生徒には、共通項があったということか。
九月のある日の放課後、立ち入り禁止の旧校舎にいたという共通項が。
でも、だから何だという話でもある。そのことが今の状況を打破する手がかりになるとは思えない。
「――じゃあ、やっぱりこの旧校舎の中に手がかりがあるってことか?」
サクがどす黒い闇に包まれた旧校舎の建物を仰ぎ見る。すずとみかも釣られて旧校舎を見上げた。
三人はそのまま、しばらく旧校舎を見つめる。
黒い靄が一層濃くなり、不穏にうごめいた。
ふと、みかがすずを振り返る。いきなりのことだったので、すずはびくりと体を震わせてしまった。
みかは少し目を細め、首を傾げる。
「すずちゃん。すずちゃんは、この旧校舎の中にいたの?」
「え……」
「ねえ、すずちゃんは私たちと何かが違うよね? 一体、何者なの……?」
怪しまれている。一番最初に消えたななみのように、あからさまに責めてくるわけではない。
でも、みかはすずを異質だと認め、それを追求しようとしている。
「手のひらから黄色の光を出して、人の怪我を治したりもしてたよね。すずちゃんは普通の人間じゃないんでしょ? 何か、知ってるんじゃないの?」
すずはふるふると首を振った。
すずが知っていることといえば。
ここがすずがいた世界とは違う世界だということくらい。
あの不思議な扉を通ったせいで「ギフト」が使えるようになっているけれど――本当に、それだけで。
あくまですずは普通の人間。みかが期待しているような答えは、何ひとつ持っていない。
「やめろ、みか。すずちゃんが困ってるだろ」
サクがみかを制するように片手を上げた。みかは不服そうな顔でため息を吐く。
「サク。すずちゃんがお気に入りなのは分かるけど、これは重要なことよ。ね、すずちゃん。私、責めるつもりはないのよ? ただ、この状況をなんとかする手がかりを知っているのなら、それを教えてほしいだけなの」
「えっと、あの、私」
もう、すずが知っていること全部、話した方が良いのだろうか。
異世界から来たということも、「ギフト」のことも。
そう、『生き残れ』という任務のことも――何もかも。
すずが震えながら口を開こうとした、その時。
「うわっ」
サクが声をあげ、すずの手を引いた。急なことに反応できずに、すずはバランスを崩してしまう。
そのまま転ぶかと思ったけれど、そこはサクがちゃんと抱き留めてくれた。
「ご、ごめん、すずちゃん。でも、ほら、あそこ」
サクが指さした方向を見て、すずは息を呑んだ。旧校舎に、数十人の透明な人影が近寄ってこようとしている。すずたちを見つけたのか、まっすぐに迫ってくる人影もいた。
「このままじゃ、まずい」
サクがすずを連れて、校舎の方へ駆けだす。みかも泣きそうな顔をしながら後を追ってきた。
壊した扉のところから校舎内に滑り込むようにして、逃げる。
「どうするの、どこに行くの、サク!」
「とりあえず、旧校舎からなるべく離れよう――こっちだ!」
薄暗い廊下を駆ける足音。自分の呼吸がやたらうるさかった。
何度も後方を確認しては、透明な人影が追ってきていないことに安堵し、また走る。
どこが安全なのかは分からない。いや、もう安全な場所なんてないのだろう。
それでもサクとみかは諦めず、助かる道を探し続けている。そのことが、すずにはとても眩しく見えた。
小心者で意気地なしのすずは、自分が消されないと分かっているからこそ、冷静に走っていられる。サクやみかの立場だったら、すずはもう諦めているだろう。
「ひとまず、ここに隠れよう」
美術室の中に入り、扉を閉めた。
長い木の机には、絵の具がこびりついている。指先で乾いた絵の具に触れると、ざらりとした感触があった。真っ白なキャンバスが隅の方に何枚も並んでいる。
と、ここで小さな違和感を覚える。
図書室でも感じた、あの違和感。
何かが、足りない気がする。何だろう――分からない。
「もう嫌、こんなの耐えられない」
どさりと床に座り込んだみかが、両手で顔を覆う。紺色のスカートがまるで花が咲くように床に広がった。
サクも疲れた顔で、壁にもたれかかる。すずもサクに倣って壁に背を預けた。
みかのしゃくりあげるような息遣いが、美術室に響く。
「夢なら覚めてよ。もう、こんな悪夢はこりごりよ……」
今にも崩れ落ちそうなみかを、すずは黙って見つめていた。
このままみかやサクが消えてしまうのは、やっぱり嫌。
どうにかしたい。
そのためにも、すずが異世界から来たということを話してみた方が良い気がする。
すずひとりでは考えつかないことでも、三人寄れば文殊の知恵というし、何か新しい知恵が出てくるかもしれない。
なんで今まで黙っていたのか、すずひとりだけ消されないなんてずるい……そんな風に責められるとは思うけれど。
責められたって良い。ここにいるふたりが助かってくれるなら、それで。
「――あの!」
すずは精いっぱいの勇気を振り絞って声を出した。思ったより大きな声が出てしまって、心臓が跳ねてしまう。
サクとみかが、すずに注目した。すずはふたりの視線を受け止め、胸を押さえながら重い口を開く。
「実は、私……」
ひゅっと視界の端に何かがよぎった。思わず言葉を止めて、そちらの方に目を遣る。
「ひっ」
みかの短い悲鳴。サクがすぐ隣でごくりと喉を鳴らす。
そこには透明な人影が三人、ゆらゆらと揺れていた。
いつまでこんなところにいるつもりなの?
探したんだよ?
さあ、一緒に行こう?
そんな風に言っている気がする。
透明な人影は歌うように、踊るように、その手をゆっくりと伸ばしてきた。




