13:「1:30」☆
透明な人影とつばきが消えた、職員室。
みかはガタガタと震えながら床に座り込んでいる。コウは無表情で、つばきが消えた場所を凝視していた。
七人いた生徒のうち、三人も消えてしまった。透明な人影からは逃げられない。助かる方法なんて全然分からない。
このまま、ただ消されるのを待つしかないのか。
ぼんやりとしているすずの手を、サクが握ってきた。温かな手の感触にはっとして、サクを見上げる。
サクは渋面を作り、すずを見ていた。
「すずちゃん。なんでいつも、あんな無茶なことをするの?」
「え、無茶……?」
「自覚ないの?」
すずがきょとんとしていると、サクは大きくため息をついた。
「ななみの時も、ゼンの時も……それに、さっきも。消されようとする人の傍に真っ先に飛んでいって、しかも人影を引き剥がそうとしてるでしょ。俺、毎回止めようとしてるのにさ、いつも振り切られるんだけど」
「振り切ってますか、私?」
「うん」
思いもよらない指摘に、顔が熱くなる。必死になりすぎていて、自分がそんな大胆な行動をとっているなんて思っていなかった。
「すずちゃんって、いざという時には度胸が据わってるよね。一見、すごくか弱い女の子に見えるのに」
「す、すみません……」
小さく縮こまって俯くと、サクが笑ったような気配がした。
ほんの少し、緊張した空気が緩む。
そこに、震える声が掛かる。
「ど、どうしてサクもすずちゃんも、そんな平気そうな顔してるのよ……」
みかが自分で自分をかき抱くような格好をして、こちらを見ていた。
「目の前で、人が消えたんだよ? こんな、すぐ近くで、知っている子が嘘みたいにかき消えていったんだよ? おかしいでしょ。恐いでしょ。なんで、そんな冷静でいられるの!」
最後の方は叫んでいるかのように強い声だった。
みかはどうやら心の底から怯えているようで、切れ長の瞳は不安定に揺れている。
ぱっと見た感じは背も高いし、大人っぽいふるまいをするおかげで少々のことでは動じないように見えるみかだけど。
やはりそこは普通の女子高生と変わらないということか。
「こういうのも、もう三回目だし。恐いのは恐いけど、いちいち反応していられないよ」
サクが苦笑しながらみかに近寄り、その体を支えるようにして立ち上がらせた。
足に上手く力が入らないのか、みかがサクの腕にしがみつくような格好になる。
「私は、人が消えるところを初めて見たの! あんな現実味がない消え方するなんて、聞いてない!」
「――ななみが消えるの、見てたんじゃ?」
「見てないわよ! あんなの、目を逸らすに決まってるでしょ!」
半ば八つ当たりのように、サクを怒鳴り散らすみか。
サクがまともに立てそうにないみかに肩を貸し、床に落ちたプリント類を踏まないようにしながら歩きだした。これ以上、この職員室に留まっていても良いことなんて何もないし、移動するつもりなのだろう。
ただ、職員室を出たところでどこに行けば良いのかが分からない、というのが問題だけれど。
サクとみかが寄り添うような格好で、職員室を出て行く。その後を大柄なコウが黙ってついていった。
すずはというと、ちらりと後ろを振り返り、夜の職員室を静かに眺める。
大きな黒板に、「今月の予定」とチョークで書いてあった。殴り書きをしたかのような乱れた字が並んでいる。その字を何気なく読んだすずは、あれ、と首を傾げた。
始業式、テスト、文化祭の準備。九月の予定がずらりと並んでいる。
まだ八月だというのに、この学校は随分と気が早いらしい。
「すずちゃん、何してるの? 早くおいで」
職員室の扉のところから、サクがひょっこりと顔を出す。すずはこくりと頷いて、サクの元へ走った。
サクはみかを支えつつ、廊下を歩く。その後ろに、すずとコウが続いた。
月の位置がはじめの頃と比べて、だいぶ西の方へと移動している気がする。廊下に落ちる影がより濃く、不気味に伸びている感じがした。
廊下に響く足音も、闇に飲まれていくようでどこかもの寂しい。
すずは自分の手のひらを見つめ、ふと気が付いた。
サクと手を繋いでいないから寂しいんだ、と。
前を行くサクとみかに目を遣る。みかはまだふらふらしていて、ひとりでは歩けそうにない。
サクの腕をしっかりと掴んで、必要以上に密着しているように見える。
――どうせ支えてもらうのなら、サク先輩じゃなくて大柄なコウくんにしてもらえば良いのに。
すずの心の中に、そんな考えが浮かんだ。でもすぐに、それを後悔する。
元々サクと親しかったのは、すずではなくみかの方だ。すずがそんな風に思うのは、きっとおかしい。
すずは所詮、異世界から来た異物のようなもの。いつかは元の世界に帰るつもりでいる。
そんな中途半端なすずが、優しいサクを独り占めして良いわけがなかった。
「とりあえず、教室に戻ろうと思うけど、それで良い?」
サクが急に振り返って聞いてきた。横にいるコウがこくりと大きく頷く。
すずも反対する理由などないので、小さく頷いてみせた。
サクはみかに何か軽口をたたきながら、教室に向かって歩き出す。
なんだか少しだけ、胸の奥が痛んだ。
そうして、明るい教室に辿り着く。
ここは、校内の他のどの場所よりも安全で、安心できる場所。
サクはみかを近くの席に座らせ、大きく息を吐いた。肩を大袈裟に動かして、「疲れた」と零す。
みかはそんなサクに「失礼ね」と言いつつ、ふいっとそっぽを向いた。
「そういえば」
サクが首を傾げながらすずを見た。急に目線を向けられて、すずの心臓がどきんと跳ねる。
なんだろうと思ってサクを見つめ返すと、サクは不思議そうな顔をして聞いてきた。
「つばきが消える直前、なんで『ゼン』って言ったんだろうね?」
すずはきょとんとして答える。
「え、だって、ゼン先輩が来てたじゃないですか」
「え?」
すず以外の三人が、訝しげな視線を寄越した。すずはひやりとしながらも、おどおどと続けるしかない。
「あの、最後に来た三人目の人影。あの人影だけ、すごくくっきりしていたんです。顔は良く見えなかったけど、あれはゼン先輩でしたよ?」
「本当に? 俺には他の人影とあまり変わらないように見えたけど……」
サクが言うと、他の二人もうんうんと頷く。その反応に、逆にすずは驚いてしまった。
あんなに分かりやすかったのに、どうして他の人はゼンだと認識できなかったのか。なんだかすずが異常な人間だと言われたような気がして、背筋が凍る。
自分だけが仲間外れになるというのは、恐い。
すずは三人の方を見ることができず、俯いてしまった。




