98 ベリスカス 5
小銀貨6枚を残し立ち去ろうとする老人と少女を引き留める、私達。
「言われた代金は支払った。何も問題はないであろう!」
あ~、まぁ、確かに……。
「値を聞き、そして言われた代金を支払った。それが何か? この店は、売った後で値を吊り上げて追加料金を取るとでもいうのか?」
「「「うっ……」」」
正論である。
ここは、紅茶でも飲んで、心を落ち着かせて。
飲むのは、勿論、セイロンティー……、って、うるさいわ!
「しかし、それはあまりにも……」
「いや、いいから、フラン」
私は、文句を言いかけたフランセットを制した。そして……。
「勿論、その通りですよね、商取引なんですから」
「う、うむ、その通りだ。分かっているではないか……」
にっこり笑顔の私に、何か、腰が引けたような態度の老人。確か、薬師のオーレデイム、とか言っていたっけ。
「なので、最初の提示金額の通り、小銀貨6枚で結構です。
でも、そんな値で売ったとなると、仕入れ先に対して申し訳が立ちませんし、また『前回と同じ価格で売れ』と言われたり、この話を聞いた方々が『うちにも同額で売れ』と押し掛けられても困りますから、当店は現在の植物性原材料の在庫全てを返品し、以後は一切取り扱わないことに致します。
ですから、それらのものを買いに来られた方達には、そうなった事情をきちんと、詳しく御説明して、お帰り戴きます」
「なっ!」
うん、私にとっても好都合だ。
これで、『貴重な素材を売っている店』、『それらをただ同然の安値で買える店』などということになって、大変なことになるのを回避できる。この老人がああいう態度に出てくれて、大助かりだ。どうせ、あれらの原価はゼロ、私の懐が痛むわけじゃない。
「まだ、在庫があるのか!」
……って、そっち? やっぱり聖銀貨6枚払う、とかじゃなくて?
まさか、在庫も小銀貨6枚で買おうと考えているんじゃあ……。『値段は小銀貨6枚だと言っただろう!』とか言って。
ないわ~。さすがに、それはないわ~……。
でも、在庫がある、と言ってしまったのは、私の痛恨のミスだ。何か、いい誤魔化し方は……。
え~と、よし、これだ!
「勿論、今、ここにあるわけじゃありませんよ。ちゃんと、温度や湿度を管理した場所で保管してあります。種はともかく、実や葉は繊細ですからね。
普通の野菜の種や果物とかもそこに保管してあるし、色々な物を一度に仕入れたから、高価なやつが一般品の中に混じっていたんですね、多分。仕入れや仕分けをしている者が間違えて、私がその品物についての知識がなかったから、普通のものだと思って適当な値を付けたのが、失敗でした……。
ま、保管場所のも全部返品しますから、もうここには入荷しませんが」
よし、ここには在庫がないこと、そして今回の馬鹿げた値付けの理由も完璧に説明できた! これで、私も、この店も安泰だ!
「な……。そ、それでは、以後の継続購入は……」
「ありません。そもそも、店員のミスだというのを知って、そのまま知らん振りするような方とは、高額商品の継続的な取引はしたくありませんよ。また、いつミスや言い間違えを盾にして金貨数十枚分の赤字を被ることになるかと思うと、怖くて、とてもやってられませんよ。
そもそも、以後も買い続けたいのにああいう態度を取るということ自体が、信じられませんよ。何? 私が馬鹿だとでも思っていたのですか?」
……いや、確かに、あの時はぼ~っとしていて、馬鹿だったけどさ……。
「そんな! それは、まさかまだ在庫があるとか、更に仕入れられるとか思わなかったから……」
「だから、相手の間違いにつけ込んで、相場の1万分の1近い金額で買い取ろうとしたわけですよね? 思い通りに買い取れたんだから、良かったじゃないですか。僅かなお金と共に、『信用と信頼』という、取引をする者にとってかけがえのない財産を失うことになったようですけど、それは承知でのことなんでしょうから」
老人は、かなり焦っている様子。
でも、私にとっては『この店には貴重な品がある』という情報が流れることが一番マズいので、あの素材はもう二度とここでは売られない、ということをはっきりさせる必要がある。
この老人も、別に今まで手に入っていたものが入手できなくなるというわけじゃない。元々入手困難だったものが、たまたま今回だけ手に入ったというだけだ。続けて入手できなくても問題ないだろうし、たとえ問題があったとしても、私には全く関係ない。
「で、あなたは?」
私は、老人の横で成り行きを見ている少女に話を振った。突然振られて、慌てている少女。
「え、わた、私ですか? わ、私は、お師匠様の弟子で、タオナと申します……」
失格だ。自分側の者のことを、敬語で言ってどうする。……いや、そんなことはどうでもいいか。
さっきこの老人が『薬師』と名乗っていたから、薬を依頼した側の人間である可能性もあると思っていたけれど、『この者が失礼した』とか言っていたから、やっぱりそっち側か。じゃ、同罪……、って、別に悪いことをしたわけじゃないけど、この、いけ好かない薬師の老人のお仲間だから。
「では、お話はこれで……」
「ま、待て! 『長命丹』の調合ができる者は、この街では儂くらいのものじゃぞ! お前も、得意客を失いたくは……」
「得意客? 小銀貨6枚の、一見さんが? しかも、お店に金貨40枚近くの損をさせた客が?」
「う……。いや、しかし、以後の取引では……」
「以後? うちはもう植物素材は扱いませんよ? 携帯食品や日用品を、すぐに金貨40枚分の利益が出せるくらい買って戴けるとでも?」
私の言葉に黙り込む、薬師の老人。
「さ、お客さんのお帰りだよ。フランセット、エミール、お見送りして!」
「は!」
「はい!」
真面目な顔で返事をする、フランセットとエミール。久し振りの、護衛らしい仕事が嬉しいらしい。……でも、くたびれた老人と非力な少女を摘まみ出すだけだよ? あまり、騎士らしい仕事では……。
ま、私に命じられた仕事、ってだけで、少しは自分の出番というか、存在意義が確認できたことが嬉しいのだろう。選に漏れたベルが悔しそうな顔をしているけれど、あんた、相手側と同じくらい非力じゃん。
エミールは、自分に近い方の少女をスルーして、老人の方へ。若い女性に軽々しく触れたり腕力を行使することには、さすがに抵抗があるらしい。なので、フランセットは少女の方へ。うっかり骨折させたりしないことを祈ろう。
「離せ、まだ話は終わっとらん! お前達、儂を誰だと思って……」
抵抗する老人と、フランセットが身体に触れるまでもなく、素直に、引きずられる老人の後に続く少女、タオナ。
ふぅ、疲れた……。
しかし、相手の態度のおかげで、おかしなものをおかしな価格で売ったという失敗を、うまく誤魔化せた。これで、あの『謎の植物3点セット』の存在は、無かったことにできた。よしよし。
……で、『長命丹』って、なに?




