94 ベリスカス 1
ユスラル王国の国境を越え、東側の国、ベリスカスにはいった。
この国は王制ではなく、どちらかといえば共和制に近いのであるが、完全な民主主義というわけでもなく、共和国と名乗れるほどのものでもない。なので、特にそういった言葉を付けることなく、普通に国名のみのベリスカスと呼ばれている。首都はジャムスで、ほぼ国の中央近くに位置している。
「カオルちゃん、国境を越えたけど、どうします? 王都に行くなら、北東に進まないと……」
「あ、もう少し、このまま海沿いで」
カオルは、フランセットの言葉を遮った。久し振りの海なので、もうしばらく海沿いに進みたかったのである。
船による海運や漁業がまだ盛んではないこの大陸では、海岸近くに、つまり国の一番端っこに首都を作る国は少なく、首都や王都、帝都の類いを廻るならば、海岸線から離れる必要があった。
それに、今までいた半島部ではなく大陸の本体部分となると、そもそも海に面していない内陸国が多かった。そのため、そのうち海岸線から離れることになるのは必定であった。
いや、別に、首都に拘らないのであれば、無理に内陸方向へと向かわねばならない理由はないのであるが……。
ともかく、とりあえずは海岸沿いの街道を進むカオル達一行であった。
「あ、街が見えてきたよ」
先頭を進んでいるエミールが言う通り、前方に街らしき建物群が見え始めていた。海沿いであるため、湾曲部では遠くから見え、距離はまだかなりある。急ぐ旅でもなく、のんびりと進むカオル達。
「そこそこ大きいですね。どうしますか、カオルちゃん」
「う~ん、国境も越えたし、しばらく滞在しようかな。いい街だったら、住み着いてもいいし」
フランセットにそう答えるカオルであるが、他国に永住されては困るロランドは、微かに顔を顰めていた。
エミールとベルも、本当はカオルにバルモア王国へ戻って貰い、残してきた『女神の眼』の孤児達と一緒に暮らして欲しいと思っているのであるが、それはあくまでも自分達の希望に過ぎず、カオルの判断や行動に口出しするつもりは全くなかった。
フランセットは、とにかくカオル優先である。どこまでもついて行きたいと思っているが、王族であるロランドがいては、それも叶わないであろうと思っていた。
自分ひとりであれば。ロランドがいなければ。
ついつい、そう考えてしまうフランセットであった。
(……婚約したの、早まったかも……。いや、まだ結婚したわけじゃない。今ならまだ、婚約破棄をすれば……)
そして、ロランドが知れば卒倒しそうなことを考えていた。
諦めていた結婚を可能にしてくれたカオルのために、結婚相手を投げ捨ててカオルについていく。……本末転倒というか何というか、もう、わけが分からない。
「カオルちゃん、お願いがあるのですが……」
そしてフランセットが、何やらカオルに直訴するようであった。
「何?」
「今度の『設定』では、私もカオルちゃんと一緒に暮らせるようにして欲しいのです。別居で常時見張るのは、さすがに、少々厳しく……」
「そりゃ、厳しいわ! 当たり前……、いやいや、どうして常時見張ってるのよ!」
呆れて叫ぶカオルは、フランセットが『私達も』ではなく、『私も』と言ったことには気付いていなかった。そしてしっかりとそれに気付いたロランドが、少し青ざめていた。
* *
ようやく、街の入り口に到着。結局、街の建物が見えてからも、到着するまでにかなりかかった。
う~ん、どうしようかな、ここでの『住民と交流するための、お仕事』は……。
薬屋は、どうも失敗だったようだ。
いや、収益としては成功だけど、私の本来の目的である、『のんびり暮らしつつ、街の住民に溶け込んで、いい男を探す』という大目的には。
そして弁当屋は成功したけれど、毎日の仕込みや弁当の作成は、ちょっと大変だ。今度は、もう少し楽に、のんびりとやりたい。
かといって、勤めに出るのは大変だし、毎日仕事をしていては、職場以外での出会いがない。この世界での職業的特技を持っていない私では、チート無しで目立たないように普通に働くには、店員か女工、その他単純作業くらいしかない。店員ならまだしも、他のは男性との出会いは少なそうだ……。
メイド? あれは結構大変だし、それなりの技量を求められる。そして主家の人達と同僚以外の男性と出会える機会はとても少ない。そもそも、毎日が忙しすぎて耐えられそうにない。
うん、やはり、自由気ままで人間関係にあまり気を使わなくていい仕事となると、個人経営主、つまり、自営業が一番だ。
まずは、10式戦車形のポーション容器を出して……、って、それは『自衛業』だ!
「そういうわけで、前回の失敗に鑑み、今回はこういう設定でいきます!」
街の入り口を前にしての私の宣言に、呆れたような顔の面々。しかし、構わず説明を続ける。
「まず、仕事は、普通のお店をやります」
「「…………」」
胡散臭そうな顔の、ロランドとフランセット。どうも、『お店をやる』という部分ではなく、『普通の』というところに引っ掛かったらしい。……うるさいわ!
「お弁当屋さんはやらないの?」
ベルが、そう聞いてきたが……。
「作るのが面倒だからね。面倒なのや、日保ちしないのはパス!」
いや、アイテムボックスがあるけど、弁当は売り場に並べていれば傷むし、毎日夜に仕込みをして早朝からたくさん作るのは、かなりキツい。強制的に手伝わされていたフランセットも、あからさまにホッとした顔をしている。
「なので、食べ物ではない品を売ります。手間がかからず、傷まず、余計な苦労をしなくていい物を!」
そう、売り物が雑貨だとか置物とかだと、ホント、無茶苦茶楽だよねぇ。魚屋さんとか八百屋さんとかに較べると……。
生鮮食料品関連のお仕事の皆さん、ありがとう!
夜の仕込みも、早朝の仕入れや作業も、水仕事もなし。当日売れ残っても、そのまま棚に置いておけばいい。保冷庫に戻す必要も、廃棄する必要もない。急な休業も、問題なし。食中毒や、傷んでいたとかのクレームの心配もない。閉店前に値引きシールを貼るのを、おばさん達に取り囲まれて急かされることもない。
非食料品、バンザイ!
「そういうわけで、私、レイエットちゃん、ベルの3人は姉妹で、エミールはベルの恋人の新米ハンター、ってことにしよう。ロランドとフランセットは、亡くなった私達の両親に恩義があるため、私達姉妹を見守っている騎士のカップル、ってことで。
フランセットはともかく、ロランドは絶対平民には見えないし、言動や動作からも貴族だと思われるから、私達と兄妹、っていうのは無理があり過ぎるからね。フランセットも、平民出身の凄腕騎士としては若過ぎるから、貴族の娘とでも思わせないとつじつまが合わないし。それに、少々装備が立派過ぎるしね」
エミールと兄妹にしないのは、アレだ。もし人前でベルとイチャイチャされて、私達が『ちょっと危ない兄妹』だと思われると、婚活に影響するかも知れないからだ。それと、フランセットとベルが売約済みだと、必然的に、若い男性達の眼が私に向くからである。ふはは、完璧な作戦である!
……私ではなく、レイエットちゃんに男性達の眼が向いたら、泣くぞ!
「よし、では、吶喊!」
私の号令に、誰も声を上げることなく、肩を竦めて馬を進めるのであった。
いや、本当に叫び声を上げて突入して欲しかったわけじゃない。そんなことをすれば、警備兵に迎撃されてしまう。
そして勿論、馬車はアイテムボックスに収納し、私はレイエットちゃんを自分の前に座らせて、エドに騎乗している。常歩でポクポクと歩き、街並みへ。
この街は、城郭都市ではなく、自由に出入りできるというか、フルオープンである。敵に攻め込まれることを考慮していないのか……、って、首都とは全然方向が違う、国の端っこ、海に面した街にわざわざ兵を派遣して攻めてくる敵軍はいないか。首都を落とせば国が落ちるのだから、こんな戦況に全く関係ない街を攻める馬鹿はいないだろう。うん、納得!
そして首都から遠いから、王様やら王子様やらに絡まれる心配もない。せいぜい、この街を治める領主様にさえ気を付けていれば……。
そう思っていた時代が、私にもありました。
「え? この国って、王様は他国との外交用のお飾りで、政治は合議制? 君主制じゃないの?」
何と、ロランドの話によると、この国は、国王も貴族もいるけれど、国王が独裁するのではなく、上級貴族達が合議で国の意志決定を行っているらしい。そしてとても共和制とか民主制とかはいえないが、他の王国や帝国とは少し違い、平民の、特に商人達の発言力が強いのだとか……。
「じゃあ、この街では領主様とか貴族のことは気にしなくても?」
「そんなわけがあるか! 領主は領主だし、貴族は貴族だ。この国の貴族も、ちゃんと金に汚くて特権意識が強くて平民のことは家畜のように思っている者が多いから、安心しろ」
ですよね~!




