92 あの人は今…… 1
「何だと!」
部下からの報告を聞き、思わず椅子から立ち上がったフェルナン。
「ユスラル王国に、カオルが滞在しているだと?」
そう、その報告は、隣国ユスラル王国において御使い様と女神セレスティーヌが現れ、王国の危機を救ったというものであった。そしてその御使い様は、ユスラル王国の王都で少し前から薬屋を営んでいるという。
「カオルだ! アルファかベータか知らんが、そんなのはどうでもいい。とにかく、接触して、我が国に連れ帰るぞ。すぐに出発の用意を!」
ブランコット王国の王太子フェルナンは、今ではもう、あの『アルファ・カオル・ナガセ』が、自分が知っている、あの食堂のウェイトレスであったカオルであると確信していた。
(あんな女が、ふたりもいるものか……)
そう、アリゴ帝国との戦いや、講和会議。そしてその後の4年間の様々なエピソードは、それを確信させるには充分過ぎた。今回ブランコット王国を通過した際にも、住み込みで働いていた食堂に立ち寄るなど、偶然にしては出来過ぎであった。
(絶対に、連れ戻す……)
そう、固く決意した顔のフェルナンであるが、それを見るファビオの表情は、芳しくなかった。
カオルが、自国の国民であれば。
そして、カオルが普通の人間であれば。
その場合は、仮にも大国の王太子であるフェルナンの意向は、たとえそれが我が儘であろうと、ある程度はゴリ押しできるであろう。
しかし、他国に籍を置き、女神セレスティーヌから『人間を超えた力』を与えられ、『他にも何か悪さするところがあったら、適当にやっちゃってね』と、その力の行使を任された存在であるカオルに対して、たかが人間が勝手に区切っただけの国のひとつの、親玉の息子風情が何かを強要できるような権利があるのだろうか。
……とても、うまくいくとは思えない。
しかし、いくら説得したところで、フェルナンが諦めようはずもない。長い付き合いなのだ、それくらいは分かる。それに、うまくいく可能性は、ゼロではない。
たとえ千分の一、万分の一であろうとも、それは、決してゼロではないのだから……。
海辺での魚料理三昧の後、街道を進むこと数日。そこそこの規模の街に到着した。
海に面した街であり、小規模な港はあるものの、別に海運で栄えた街というわけではないらしい。
まだまだ、この世界では船は海運業にも大規模漁業にも充分なだけ発達してはいないのだ。今のところ、まともな外洋帆船が就役しているのは、アリゴ帝国だけである。
しかし、今各国で建造が進んでいる外洋帆船が次々と竣工すれば、そのうち海運が栄え、港町として発展する可能性は大きいだろう。
そしてここには、この国が現在総力を挙げて建造中の新型帆船があるらしい。それを見ようと思っていたら、港に、船が入港していた。私から見ると小さいけれど、ここの人達から見れば充分大型船の範疇となる船。そして船首に、どこかで見たような、目付きの悪いフィギュアヘッドを装着した帆船が……。
そう、アリゴ帝国の新造外洋帆船であった。
まだまだ、そう立派なものではないが、それでも人員や物資を積んで外洋を航行することが可能な、今までの小舟とは一線を画した画期的な新型船だ。
うむ、あいつは私が育てた!
いや、本当だ。ポーション容器として作成した帆船模型を提供したり、羅針盤の改良案を出したりして、色々と貢献している。
……模型の砲座の開口部を、これは何のためのものかと聞かれた時には、何とか誤魔化した。現在それは、明かり取り兼空気入れ替え用の開閉扉として使われている。そのうち、誰かが本当の用途に気付き、弓矢や投擲槍、バリスタ等の発射口として使うかも知れないけれど、それは本人達の勝手であり、私の知ったこっちゃない。
アリゴ帝国の船は、以前バルモア王国の北側の港に寄港した時に中を見せて貰ったことがある。あれとほぼ同型の船みたいだから、今更見なくてもいいや。それより、私のことに気付かれて騒がれる方が嫌だ。だから、この国初の大型帆船の建造状況は見てみたいと思っているけれど、帝国の船の方には近付かないようにしよう。
……と思っていたら、この国の帆船は、まだ艤装どころか、船体の完成も当分先らしい。
まぁ、急に上の方から建造を命じられても、予算、利権争い、設備、技術者、その他色々で、プロジェクトが動き始めるまでに無駄な年月が流れ、その後も、様々な障害が立ちはだかったことだろうから、無理もないか。
バルモア王国とアシード王国でさえ、ようやく試作小型帆船が完成し、実用大型帆船が建造中なのだから、それ以外の国がもっと遅れているのは当然だ。既に実用大型帆船数隻を就航させているアリゴ帝国が異常なんだよ、うん。
ま、国の命運を懸けて、国力の全てを投入した後のないプロジェクトに突っ走る、鬼気迫る国家に張り合える国は無いだろう。
よし、この街はスルーして、このまま通過しよう。
「カオル様!」
ぎゃあああ!
「ひ、人違いでは……」
「いえ、その眼付き、間違いありません!」
うるせぇよ!
よく見ると、確かに見覚えがある。アリゴ帝国の技師のひとりだ。以前、色々と議論したことがある。
模型しか資料がない状態で、横帆や縦帆の使い方、揚力と抗力、帆が膨らんだ形の保持、気流の剥離の抑制等、映画や小説、漫画等で聞きかじった知識しかない凡人の私と、そういった知識はないけれど異様に頭の回転がいい技術者達との白熱した議論と、湖で小舟を使っての試行錯誤の日々。
……何か、楽しかった。
まるで、素人で凡人の自分が、研究開発の最先端技術者になったみたいな気分になれて。この世界での、文字通りトップクラスの技術者達と一緒に、自分もその仲間であるかのような気分を味わえて。
燃えてたなぁ、あの、バルモア王国の技術者達の目を盗んでの会議や実験の日々。楽しかったぁ……。
私が追憶に浸っていると、焦れたらしい技師が暴挙に出た。
「どうしても惚けるおつもりなら、こちらにも考えがあります!」
そう言って、大きく息を吸い込んで……。
「おお、女神の御友人、カオ……」
「やめんか!」
腹に一発入れて、黙らせた。
崩れ落ち、腹を押さえて呻いているが、知ったこっちゃない。
自業自得だ!
「ひ、酷いですよぉ……」
ようやく復活した技師が恨めしそうにそう言うが、脅迫同然のことをしたのだから、謝らない。
「お忍びなのに、大声で不穏なことを叫ぼうとするからよ!」
「ごめんなさい……」
アリゴ帝国の者は皆、私を怒らせてはいけない、ということくらい知っているはずだ。いくら逃げられたくなかったとはいえ、あれはマズかった、と反省している様子。仕方ない、許してあげるか……。
「で、何の御用ですか?」
「いや、用も何も、こんなところでカオル様に出会ったら、そりゃ、声掛けるに決まってるでしょ!
自慢の船も見て貰いたいし、何か意見やアドバイスを貰えれば、と……」
そう考えるのも無理はないか。……まぁ、それくらいならいいか。
そう思い、みんなを連れてアリゴ帝国の帆船へ。
うん、大砲を積んでいないから、『軍艦』というよりは、『軍の帆船』という感じだなぁ、やっぱり。戦力は、海兵隊と、いざという時には船員全員が剣を持って斬り込むのだろう。
まぁ、この船の用途は戦闘用ではなく、物資輸送や貿易、例の西の島への人員輸送とかだろうから、運航を軍人が行っているだけで、ただの輸送船、というのが正しいのかも。
見たところ、基礎技術が無かったところに模型を参考にして短期間ででっち上げたにしては、よく頑張った方だと思う。強度計算とかはプロがきちんとやったのだろうけど、水漏れも思ったより少ないし、帆も私と討議した時のものより工夫が凝らされて進歩してる……。
うんうん、頑張ってるなぁ。
こいつらは、私が育てた!
「……カオル、このフィギュアヘッド……」
さぁ、帰るか!
何してるの、出発だよ! 次の街へ向かうよ!
チキショーめ!!




