79 卸 し
「どういうことだ!」
あ、中佐さん。
「どう、って?」
「惚けるな! ……というか、惚けようもないか。
何だこれは! そして、薬はどうした!!」
中佐さん、激おこだ。
「あ、薬屋は廃業しました。理由は、使いの子に持たせた手紙の通りで……」
「ふざけるな! じゃあ、その組合とやらを潰せばいいんだな! 組織を潰せばいいのか? 店を潰せばいいのか? それとも、店主を潰せばいいのか?」
……『店主を潰す』って、物理的に、なんだろうな、多分……。
でも、先日文句を言いに来た組合とやらの人は、塩対応で追い返したから、もう関係ない。私は既に、薬屋じゃないんだからね。
「いやいや、これは貴族や軍人からの介入じゃなくて、ごく普通の、同業者同士の問題だから、中佐さんが口出しする問題じゃあ。軍人さんがあまり関係ないことに口出しするのは、ちょっと……」
「関係、大ありじゃ! この馬鹿者が!!」
ひえぇ! 中佐さん、本気で怒って……、あ、マズい!
私は、慌てて両手の掌を胸の前で振った。……フランセットとロランドが、入り口前で剣の柄に手を掛けて、こっちを睨んでいたから、何でもない、って必死でアピールしたのだ。でないと、今にも斬り込んで来そうな形相だったから……。
「うちの薬はどうなる! 軍人病治療薬だけでなく、お前のところの薬は効く、という噂だから、他の薬もこの店のに切り替えるよう指示したのに!」
あああ、それが原因じゃあ! 急に怪しげな「組合」とかが発生したのは!
「ん? 何だ、その眼は……、あ!」
うるさい、この眼付きは生まれつきだ!
で、あれ、中佐さん、どうして急に動揺した様子に?
……あ、気が付いたのかな、原因が自分かも、って。
「……」
「…………」
「「………………」」
「あ、いや、ああ、その……」
じとり……。
「…………」
困った様子の中佐さん。
まぁ、あんまり苛めるのも可哀想か。
「じゃあ、薬は、この街の薬屋のうち、組合以外の2店に卸します。定価の8割で。その2店が2割の利益を取って、今までと同じ価格で軍に売れば、問題ないですよね?」
「あ、ああ、それは構わないが……、そうなると、お前の利益がほとんど出ないだろう。嫌がらせの難癖に負けて、みすみす利益を無くすことはない。ちょっと軍から圧力を掛ければ済む話だぞ。今後、軍は一切組合の3店からは購入しない、とか、軍関係者、その係累等にもその旨周知する、とか言えば、文句は言わなくなるだろう」
う~ん、それはそうかも知れないけれど、別な形で嫌がらせをされるのも困るし、嫌な思いをしてまで続けたいわけじゃない。闇討ちとかされたら大変だし。……向こう側が。
眼の前で民間人を斬り殺すところを見せられるのは、あまり気が進まない。
やはり、ここはひとつ……。
「いえ、利益は弁当屋で充分出ますから、薬の方は、馴染みのお客さんに迷惑が掛からないよう、サービスで……。勿論、軍人病治療薬以外の薬も、2店に卸します。むこうが引き受けてくれるなら、ですけど」
「そんな美味い話、引き受けないわけがないだろう……」
うん、私もそう思う。
「仕入れ先は秘密、というのがこのあたりの商人の常識らしいですから、この件はご内密に。もし漏れたら、また変なのがやって来ますからね。もしそうなったら……」
「そうなったら?」
中佐さんの質問に、にっこりと微笑んで。
「どこからも薬が買えなくなるだけです」
で、私の言葉を聞く前に、ビクッとして急に身体を引いたのは、どうしてかな? えぇ?
そして更に数日後の、開店直後。
「店主はおるか!」
二度あることは、三度ある。
そして今回は、クレーマーは3人に増殖していた。
増殖したいのはこっちだよ、くそ!
「どうして他の2店に薬を卸して、我々の店には卸さない!」
いや、そんなこと言われても……。
「え? 私、薬屋は廃業したって言いましたよね、皆さんの御要望通りに。
そのお店が、うちから仕入れているとでも言ったんですか?」
「い、いや、そういうわけではないが……。しかし、あれはお前の店で扱っていた薬だろう!」
「知りませんよ。そもそも、他店の仕入れ先を無理矢理聞き出すのは御法度なんじゃなかったんですか? 私が廃業するにあたって、自分の仕入れ先を高値で他のお店に譲ったとして、何か問題でも? そして、それを無理矢理聞き出そうとするのは、問題がないとでも?
その2軒の薬屋さんとか、街中のお店に聞いて回りましょうか、あの3つのお店ではこういうことをしていて、それが商売人にとって当然の行為だと言ってる、って……」
「「「なっ……」」」
そりゃ、困るだろう。他の商売人達から白い目で見られるか、相手にして貰えなくなるか、じゃあお前達も俺達に教えてくれるんだよな、と言われるか。いずれにしても、歓迎できることではないだろう。
「前回は、いくら理不尽な要求とはいえ、一応は『同業者からの申し入れ』と言えなくはありませんでしたが、今回は、『全く関係のない、他業種の女の子に対する言い掛かり、脅迫行為』です。その旨、役所に届けようかと……」
商人が潰し合えば、税収が減る。そして商人は、一般労働者より遥かに多くの税を納める。更にここは王都であり、その税収は国王陛下に直接納められるものである。
……つまり、ここの役人や警吏は、よく働く。
「「「「「「…………」」」」」」
そして3人の薬屋店主を無言で見つめる、たくさんの眼、眼、眼……。
今は、開店直後。つまり、弁当を買いに来る客が一番多い時間帯であった。
ハンター、旅人、営舎外で暮らしている下士官以上の軍人、その他諸々。
『レイエットのアトリエ お弁当・総菜店』の客には、強面の者が多かった。そしてその者達が、更に恐い目付きで3人を睨み付けていた。
顔色が悪くなった店主達には、慌てて逃げ出す以外の選択肢はなかった。
「すみません、お待たせしました。お詫びに、今いる人には、お弁当その他、2割引です!」
「おお、カオルちゃん、太っ腹!」
「失敬な! お腹は太くありません、スマートですよ!」
「スマートなのは、胸……、いや、何でもねぇ!」
さすがに、そのからかいの言葉は残酷すぎる。そう思って、慌てて誤魔化した客であったが。
「そこは、ちゃんと最後まで冗談で通して下さいよ! 変に同情されたら、余計惨めになるでしょうがあっ!」
「違ぇねぇ……」
笑い声に包まれる店内であった。
それから5日後。
私が起床し、まだぐっすりと寝入っているレイエットちゃんを起こさないように、そっと身支度を整えて1階へと降りて、カーテンと木窓を開けると……。
「うおっ!」
外には、長蛇の列が。
いや、今までにも、長い客の列ができたことはある。しかし、今回は少し様子がおかしい。
今までの行列には、それができるだけの理由があった。店が開店した直後だとか、割引セールだとか……。しかし、今回は理由が思い当たらない。そして……。
騒がず静かに並んでいるものの、皆の顔が焦燥しており、そしてその眼が血走っていた。
「な、何事……」
私が固まっていると、ドアがコンコンとノックされた。明らかに、並んでいる連中とは別口であった。
急いで閂を外し、ドアを開けると、ふたりの男性が店内に飛び込んできた。
「カオルちゃん、よく効く薬はないか! 今うちにあるやつじゃ、太刀打ちできん!」
「緊急事態だ、頼む!」
それは、この街、つまり王都にある5件の薬屋のうち、例の「組合」とやらに加盟していない、残り2軒の薬屋の店主達であった。そう、私が契約し、薬を卸しているところである。
「いったい、何が……」
「病気だ。どうやら、たちの悪い流行病が蔓延しているらしい。かなり強烈なやつらしく、患者が急増、そして、……死者が出ている」
「え!」
まずい。
一時は薬屋をやっていたけれど、自分自身には薬品や医学の心得は全くない。
さすがに、何でも治り、死にかけのじじいばばあも踊り出す、エリクサーとかの非常識な薬を使うわけにはいかないだろうし、見ただけで病名を当てることも、治療法を教えることもできない。せいぜいが、脚気の診断法を知っているくらいだ。あの、膝頭を木槌でコツンと叩くやつ。
……何の意味もない。
困った、どうしよう……。




