78 クレーム
「経営者はいるか?」
少し太った中年男性が、店にはいるなり、そう言ってきた。
普通の客であれば、まず陳列棚の商品を眺めるか、何々はあるか、と聞いてくる。なので、この客は「普通の客ではない」ということだ。また、面倒の臭いがする。
しかし、貴族らしくはないので、そう大事にはならないだろう。何か特殊な薬に関する質問か、それとも他の用事か……。
「あ、はい、私が店主ですが……」
「いや、雇われ店主ではなく、経営者に会いたいのだ」
まぁ、ちょっと調べれば、子供(に見える)店長、というのはすぐに分かるだろうけど、それはただ販売員として雇われているだけで、家賃を払ったり薬を仕入れたりする者が別にいる、と考えるのが普通だろう。
「……ですから、私が経営者、オーナーです」
「何!」
うん、もう慣れた。
「では、お前がここの家賃を払い、薬を仕入れ、そして販売しているというのか?」
「あ、はい、そうですけど?」
「……」
ありゃ、どうしたのかな、黙り込んじゃったよ……。
「ならば、仕入れ先を教えろ」
……また、これか。
「商売人が、仕入れ先や商品のことを簡単に喋るわけがないでしょうが。何? 小娘だと思って馬鹿にしているわけですか? どこの貴族家の方でしょうか?」
いい加減腹が立ってきたから、扱いもぞんざいになろうってもんだ。
「き、貴族というわけではない。私は、組合の者だ」
え? ここには、商業ギルドとかいう類いの、商工業全般に渡る組織はないはず……。税金は、直接役所に納めるようになっている。
職種別の集まりはあるけれど、それはあくまでも任意団体で、「鍛冶屋友の会」とか、「パン屋技術研鑽会」の類いの、有志のグループのはずだ。そしてこの街には、薬屋はうち、『レイエットのアトリエ』の他には、5軒しかないはず。
「何ていう組合で、どんな組織で、規模、ええと、加盟者数はどれくらいなんでしょうか?」
「う……」
なぜ、そこで口籠もる!
「薬屋組合だ! ここ以外の薬屋の過半数が加盟している!」
「え……」
それって、加盟数3軒、ってこと?
もし4軒なら、多分「1軒を除き全て」、5軒なら「全ての薬屋が」って言うに決まってる。
「……却下で」
3軒が勝手に作った組合なんかの言うことを聞く必要はない。これっぽっちも。
その組合の決まりは、組合員だけが守ればいい。他の者には関係ないし、何の拘束力もない。
「なぜだ! これは、組合からの正式な……」
「いや、それ、組合員にしか意味がないでしょ。それに、あと2軒はどうしたの?
あ、私が残りの2軒と手を組めば、3対3で、勢力が均衡して……」
「な……」
焦る中年男性。
いや、そもそも、どうしてそんな何の意味もない親睦会が勝手にそんなことを強制する?
「じゃあ、私にも、皆さんの仕入れ先や仕入れ値、調合の比率や秘伝を全部教えて下さるんですよね、勿論」
「ばっ! そんなことができるわけないだろう!」
そう言った後、ゴミを見るようなレイエットちゃんの視線に気付き、さすがに自分の言い分に無理があると思ったのか、男性は少し俯いた。純真な幼女の蔑みの眼は、いささか堪えたらしい。
ふむ、まだ『恥』という概念は持っていたか……。
「しかし、どうしてまた……。うちには、重傷や重病に効くような薬は置いてないし、目玉商品の軍人病治療薬以外は、下痢止めとか消毒薬とか、どこにでもある薬しか……」
「その、軍人病治療薬が大きいんだろうが! 普通は怪我か病気にならないと買わない薬が、継続的に売れる。しかも、軍を始め、ハンターや現場作業員、そして一部の貴族達にコネができて、他の薬も売り込める。それに……」
え、コネの利用や便乗販売はやっていないよ。あ、自分達ならそうする、って話か。
「普通の薬が、どうしてあんなに効くんだよ! どうして、うちの薬はまがい物じゃないのか、金儲けのためにわざと治らないようにしているんじゃないのか、って叩かれなきゃなんないんだよ! 多少水増ししているだけで、たくさん飲めば、ちゃんと少しは効くんだよ!!」
あ……。
効くように作っているんだから、そりゃ、効くわ。
でも、『女神の涙』やポーションのような、重傷や重病がケロリと治る、というようなものは作っていない。腹痛がじんわり治ったり、傷口が化膿しなかったりするだけの、ごくささやかな……、って、何度も使ったり、他の店で買った薬と較べたりすれば、すぐに分かるか。その効き目の違い、確実さが……。
って、おやじ、さっき何て言った!
うむむ、どうすべきか……。
勿論、仕入れ先や製法を教えることはできない。
……というか、できるはずがない。
その両方共、『存在しない』んだから。
うむむむむむむ……。
そうだ!
「分かりました、善処致します。数日、お待ち下さい」
「うむ、分かったか! では、さっさと準備しろ!」
「はい、では、薬屋組合に加盟されているお店のお名前を……」
3つの店の名前を告げて、『薬屋組合』とやらのおやじは足取りも軽く帰っていった。おそらく、数日後からの大儲けを想像して、胸を弾ませているのだろう。
「……カオルお姉ちゃん、大丈夫なの?」
ポーションは能力で造り出していることを知っているレイエットちゃんが、心配そうな顔でそう言ってくれたけど、うん、問題ない。
あ、そういえば、今回はロランドとフランセットが出て来なかったな。
商人ぽいおやじひとりだったから、普通のお客さんだと思ったのか、ふたりでデートにでも出掛けて……、いや、無いな。それは無い。絶対、どこかからじっと見ている。
……怖いわ!
そして私は店を出ると、軒に掲げられた看板を見た。
『レイエットのアトリエ』
そしてその下に、別のプレートに書かれた、『お薬、調合致します』の文字。
うむうむ。
そして数日後。
「て、店主はおるかあっ!」
「あ、この前の、薬屋組合の……」
うん、血相変えて怒鳴り込んできたのは、数日前の、あの薬屋のおやじだ。
「い、いったい、どうなって……、って、こ、これは!」
店内に並べられた、以前より種類を増やしたお弁当。しかも、自分で好きなおかずを選んで詰めるシステムまで追加されていた。
その他にも、飲み物、干し肉や堅焼きパン等の携行保存食、クッキー等のお菓子が並べられている。全て、能力で出したのではなく、普通に他の店から仕入れたり、材料を買って自分達で作ったものである。飲み物は、持ち込みの容器に入れて貰えるサービスもある。
「な……、く、薬は! 薬はどこに!!」
「薬? いったん外に出て、ちゃんと看板を見て下さいよ」
「何?」
そして、店から出て軒を見上げた男の眼に映ったものは。
『レイエットのアトリエ』
『お弁当、総菜物の店』
そう書かれた、大小2枚の看板であった。
そして、入り口の横の張り紙には。
『薬屋組合(クルトバー薬店、ベイラス薬局、薬師の店メルトレン)からの「よく効く薬を売られては困る」とのクレームにより、薬の販売は取りやめました。これからは、お弁当屋さんとして、よろしくお願い致します』
「なっ……」
口をぱくぱくさせている、薬屋のおやじ。
「薬の販売はやめて、弁当屋1本に絞りました。これで、問題はなくなりましたよね!」
私がにっこりと微笑みながらそう言うと、おやじは顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「大ありだ! 3軒の店には苦情が殺到して商売にならんし、客は全部、組合にはいっていない2店に流れている!」
あれ?
私は別に、薬屋に固執していたわけじゃない。貯め込んだお金のことは表に出さず、普通に生活するためのお金を稼いでいるように見えて、たくさんの人と交流できる場が欲しかっただけだ。そのために自分が簡単にできることが薬屋だっただけで、思いがけないヒットとなった弁当屋でも、その目的は充分に果たせるのである。
面倒事が多い薬屋が何だか少し鬱陶しくなったし、弁当屋の方がお客さんのダイレクトな反応があって嬉しいし、仕込みは大変だけど、何か「働いた!」って実感があって、楽しい。
それに、弁当屋でも、ちゃんとセレスに貰った能力は役立っている。時間がある時に大量に作り置きして、時間経過による劣化のないアイテムボックスに収納しておけばいいから、毎日毎日時間に追われる、というほどは忙しくないのだ。
売れた分を少しずつアイテムボックスから出して補充するから、廃棄品はほとんど出ない。そして、商品は全て自分達の手作りなので、達成感と満足感は充分に得られる。
これぞ天職!
……なのに、どうしてこのおやじは煩く喚いているのかなぁ……。




