68 空蝉(うつせみ)の術
「ふむ、では、今ある店の商品を回収するか……」
オラム伯爵は、朝一番で、昨日、事実上の経営権を丸々手に入れたに等しいあの薬屋に足を運ぶことにした。
さすがに、契約してすぐに、というのは憚られたので、昨日は契約書を交わしただけで引き揚げたのであるが、そういつまでも放置しておくつもりはなかった。
そう、まずは、店の商品のうち、自分の役に立ちそうなものを回収するのである。自分が回収するものに関しては他の者には売らないよう指示し、安値を付けさせる。その他のものは高くさせて、売り上げの半分を回収する。
伯爵家にとっては、小さな商店の売り上げなど微々たるものである。しかし、あの店を手中に収めた理由は、そのような端金が目当てではない。あれは、あくまでも「あの店と、その取り扱い商品の全てを手に入れるため」である。
全て。
そう、素材の仕入れルートも、薬の製法も、ガラス細工や陶器等の入手ルートも、何もかも、全て。そして、あの店主の面倒を見てやるのも、やぶさかではない。いささか幼いが、それはそれで、また趣もあるだろう。
そろそろ到着する頃か……。
「到着致しました」
御者がそう声を掛け、同乗していた護衛が先に降りて、騎馬の護衛と共に周囲の安全を確認した後、伯爵は用意された簡易階段を踏み、ゆっくりと馬車から降りた。
そして目的の薬屋の扉を開け、ゆっくりと足を踏み入れると……。
「「いらっしゃいませ!」」
噛まない、ふたつの揃った声に迎えられた。
「え……」
そして、伯爵は眼を剥いた。
……無い。
壁沿いに並んでいた商品棚も、そこに並べられていた薬壺も、ガラス細工も、陶磁器も、何やらよく判らない品々も、何もかも。
がらんとした店内には、テーブルがひとつと、その上に並べられた弁当らしきものが数個。
そして会計カウンターには、16~17歳の青年と、11~12歳の少女。あの、店主の少女と、その妹の姿はない。
「な……」
呆然とする、オラム伯爵。
たっぷり10秒は固まった後、伯爵はカウンターの青年、エミールに向かって叫んだ。
「こ、ここ、これは一体どういう事だ! 薬や陶磁器はどうした! あの姉妹はどこへ行った!」
カウンターに駆け寄り、身を乗り出して唾を飛ばしながら叫ぶ伯爵から身を逸らしながら、エミールが説明した。
「ああ、店長なら、お店ですよ」
「どこだ! どこにもいないではないか!!」
喚く伯爵にエミールが、ああ、というような顔をして詳しく説明し直した。
「支店の方です。何でも、ここだと赤字になって生活できなくなるとか、仕入れ先の人から口止めされていることを教えなきゃならなくなって約束が守れなくなるとか言って、ここでは作り方を教えても構わないものだけを売ることにしたそうです。ほら、そこに置いてある、お弁当ですよ。
朝の内に、主にハンター達を対象とした、昼食用のお弁当を売っているんです。で、程々の時間になれば、店を閉めて、我々も仕事に出ます。
小銀貨3枚のお弁当30個が完売して、小銀貨90枚。月に20日くらい売って、小金貨18枚。半分が家賃とのことなんで、月に小金貨9枚なら、まぁ、妥当な金額ですよね。毎日完売すれば、ですけど……。
なので、今日からここ、本店は倉庫兼住居兼お弁当屋となって、薬屋は支店の方に移りました」
「な、ななな、何だとおおぉ~っっ!」
そう、カオルはあの後、不動産屋をとっちめて、即座に借りられる空き店舗を要求したのである。
不動産屋は「自分には責任がない」と主張しようとしたが、カオルがそのような言い分を、はいそうですか、と認めるわけがない。アイテムボックスから取り出した契約書を翳して、ねちねちと契約条項を読み聞かせたり、信用を失った店の末路を話して聞かせたりして、とりあえず臨時の空き店舗を提供させたのである。即日で。
勿論、ずっとそこで営業するつもりはなかったので、本店を選んだ時のような拘りはあまり無く、とりあえずすぐに使えるならばどこでも良かったのである。
そして保証金無し、最初の一週間は家賃サービス、という破格の条件で借りたのが、『レイエットのアトリエ Mk-Ⅱ』であった。
対外的には、「支店」、もしくは「2号店」と呼称しているが、カオルの頭の中では、「Mk-Ⅱ」である。「G」にするか「Mk-Ⅱ」にするかは、かなり迷った。
そして、オラム伯爵が支店に案内せよと騒ぐため、エミールが案内することになった。
無視しても、そのうち勝手に探すだろうし、そうなると、すぐに見つかる。ならば、さっさと案内して、エミールがいる時に片付けた方がいい。そういう判断である。
「ベルは店番だ。弁当の販売開始初日にあまり売れ残りを出すと、カオルが泣くからな」
そう、実はこの弁当、ポーションとして出現させたものではなく、カオルがベルと一緒に自分達の手で作り上げたものであった。
勿論、能力で一瞬の内に作り出すことも可能であったが、カオルは、「それは、何か違う」と思ったのである。そのあたりは拘る、カオルであった。
「……分かった」
これから危険な目に遭うかも知れないエミールを、何の感慨もなく、軽く手を振って見送るベル。
決して薄情なわけではない。これがもし他のことであれば、ベルはエミールを引き留めるか、自分も一緒に行くと言って譲らなかったであろう。しかし、今回は、カオル様の安全に拘わることである。
自分には戦闘能力があまりなく、隠し持ったナイフでひとりかふたりを倒せれば良い方で、逆に人質になって足を引っ張る可能性がある。それならば、ここ、カオル様の城、御神殿をお守りし、もしエミールが倒れた時には後で奇襲によりその仇を取り、そしてエミールの代わりにカオル様の盾となり、この世界の女神、セレスティーヌ様のお側で再会できる日までお護りし続ける。それが、ベルの忠誠心であった。
そして、間違っても、エミールが自らの忠誠心を示し責務を果たすのを邪魔してはならない。なぜならば、自分達は女神様に救われ、女神様に忠誠を誓う者、『女神の眼』のメンバーなのだから!
あまりにも重い、ベルの決意など知る由もなく、カオルはレイエットのアトリエMk-Ⅱで店番をしていた。レイエットちゃんを膝に乗せて。
かららん
「いらっしゃいませ~」
「いららっちゃいまちぇ~」
うん、レイエットちゃん、もう少しで伝統芸能に指定されるよ、それ。
「あれ、エミールじゃない、どうしたの……、って、何とか伯爵様!」
「オラム伯爵だ! 娘、なぜこのような真似を……」
「そりゃ、理不尽な真似されてお金と商品の秘密を要求されたら、意趣返しくらいするでしょ? 馬鹿じゃないんだから……」
「な、なっ……」
伯爵様が驚いたような顔をしているけど、何、それってそんなに驚くようなことなの?
「私は、別に約束は破っていないし、契約書に書かれたことも全部守っていますよ? あとは、毎週、お弁当の売り上げの半分を伯爵様に納めればいいんですよね?」
平気な顔でそう言う私に、伯爵様は顔を真っ赤にして怒鳴ってきた。
「な、何を言っておる! そんなふざけた真似をして、この私を怒らせたら、どうなると思っておる!」
「どうもならないと思いますけど?」
「な、何だと!」
うん、どうもならないと思う。
「もし、またこの建物をお買いになられたら、私もまた別の建物に引っ越すだけですし、次の建物は中佐さんの御実家にお世話戴くとか、いよいよとなれば、軍の敷地内で部屋を貸して戴いて、民間の人も利用できる酒保にしてもいいし……」
その他、屋台式の移動店舗にする、という手もあるが、そこまで手の内を晒す必要はない。
おそらくオラム伯爵は、店を移すにはかなりの手間と日数を必要とし、そうコロコロと変えられるものではないと思っていたのだろう。しかし、一夜で簡単に移転した店を見て、自分の考えが間違っていたと気付いたはずである。
「ぐ、ぬぬぬ、う……」
軍と貴族、そして商売は別。しかし、息子に頼まれて自分が店を世話した少女に他の貴族がちょっかいを出したとなれば、貴族の面子にかけて、中佐さんの父親である伯爵様が乗り出すだろう。そして、その件が噂になれば、誰が非道を行ったかということが国中に広まる。そしてそれは、名誉と体面を重んじる貴族にとっては、些か都合が悪かろう。
更に、店を軍の敷地内に移されたりすれば、もう、完全に手出しはできなくなる。後に残るのは、常識外れの馬鹿げたゴリ押しをしようとして小娘に軽くあしらわれたという、とんでもない汚名だけである。
「それに、本当に困ったら、店を閉めて、他国に移動します。他国から流れてきたんですから、別にどうしてもこの国に住まなくちゃならないというわけでなし。また別の国へ行って、そこで店を開けば済むことですからね。
で、引っ越す前に、街の人達や中佐さんを始め、王都軍や王都警備兵、近衛軍の皆様にも、オラム伯爵様からの無理な御要求に耐えられないため他国へ移動します、と御挨拶をしておきます。理由も告げずに急に閉店するのは礼を失する行為ですからね」
真っ赤な顔をして、黙り込む伯爵様。
うん、そんなことになれば、王都中で噂になり、そして王都軍、近衛軍、王都警備兵達からの恨みと憎しみを一身に受けることになってしまうだろう。
軍には、貴族の当主本人やその子弟、その他様々な関係者がいる。勿論、大商人の係累とかもいるだろう。オラム伯爵が軍人病治療薬を自分の支配下に置いてコネ作りに利用しようとしていた、それら「コネを作ろうとしていた人々」を完全に敵に回し、恨みと憎しみを買う。
……貴族として、それは致命傷だろう。本人も、家族も、自分が属する派閥も。
いや、派閥からは即座に追い出されるだろう、自分達にも累が及ぶのを恐れた他の貴族達によって。
貴族相手にこんなに強気に出ていいのか?
うん、この国はかなりまともで、いくら貴族と言えども、金目当てで平民に危害を加えることは許されない。そんなのを許したら、貴族相手の商売など成り立たないし、金持ちの商人とかが襲われ放題になってしまう。さすがにそれでは国が成り立たない。
でも、小娘に馬鹿にされて、カッとなって護衛の者に殺害を命じたら?
いや、エミールが貴族とその護衛を連れて店に入ったのを見たフランセットとロランドが、とっくに店に入って、いつでも剣を抜いて斬り掛かれる体勢を取っているから。
普通の客の振りをしているけれど、全神経は護衛達の動きに集中されていることくらい、素人の私にでも分かる。多分、護衛の人達にも分かっているんだろう。何か、さっきから脂汗を流しているからね。




