66 市場調査
中佐さんにあちこちを案内して貰い、やって来たのは食堂。
いや、軍の食堂だから、常時営業していたりはしない。食事の提供は、朝昼晩の、兵隊さん達の食事の時間だけである。その他の時間は、調理の下作業や仕込み、そしてその他にも食材の仕入れや器材の手入れ、様々な事務仕事等があり、決して暇なわけではないらしいが、それらは烹炊場や事務室、食品倉庫等で行われる仕事であり、食堂の食卓席には誰もいなかった。
「ここは下士官以下の食堂だ。士官は別に士官食堂がある。まぁ、大隊長以上は会食でもない限り自室に運ばせるがな」
「ふぅん、それなら、病気が流行ったり毒を仕込まれたりしても、上層部がみんな一度に倒れるという心配はあまりないわけか……」
「え?」
ちょっと驚いた様子の中佐さん。そうか、そういう意図があったわけじゃなかったか。
「うち、病気の薬や毒消しも取り扱っていますよ?」
「お、おぅ……」
何か、少しキョドってるような感じの中佐さん。
あれ、敵の駐屯地に忍び込んで井戸に毒を入れたり、攻城戦において、伝染病で死んだ者の死体を切り刻んで投石機で敵の陣地に投げ入れたりするのって、ここではやっていないのかな? 地球じゃ常套手段だったのに……。
おや、ボードに何やら色々と貼ってある。
『軍人病治療薬は、軍で一括して購入している。兵が勝手に販売店へ行くことは自粛し、医務室で処置を受けるように』
って、これ、中佐さんが根回ししてくれたやつか……。
他にも、剣術研鑽会のメンバー募集とか、子犬あげますとか、色々な紙がピンで留めてある。うん、前世で勤めていた会社の社員食堂も、こんな貼り紙がしてあったよ。いずこも同じ、か。
そして次に連れて行って貰ったのは、屋外の訓練場。グラウンドで兵隊さん達が訓練をしている。
大掛かりな演習とかは、街門の外の広い演習場とか、少し離れた場所に行軍訓練を兼ねて出掛けるとか。
ふと演習場の隅の方を見ると、数人のグループが少し離れて、互いに何やら箱のようなものをカチャカチャと操作している。私が不思議そうにそれを見ていると、中佐さんが教えてくれた。
「ああ、あれは通信兵の訓練だ。昼間は手旗信号、夜はロウソクを灯した箱の正面をああやって開閉して信号を送るのだ。今は昼間だから、ロウソクは使わずに赤い布を入れて練習しているがな」
ほほぅ、手旗信号も発光信号もあるわけか。モールス信号のようなものかな。
「私も一応は読めるのだが、本格的に練習したわけではないからな。あんなに速いと読み取れん。
まぁ、今の立場で自分が直接交信することなどあり得んから、万一の時とかに、ゆっくりでも送受信できれば問題ないからな。通信は通信兵に、食事は調理員に任せれば良いのだ」
うん、中佐さんの言う通りだ。上の者はいちいち口を出さずに、担当者に任せてくれればいい。それを、あの営業部長のハゲが……、いや、何でもない。もう、過ぎた話だ。
「あれ? 何々、『アレハダレダ』、『クスリヤノシマイ』、『ナニシニキテル』、『オレニアイニキタ』、『シタノコハオレノダ』、ちょっと殴ってきていいですか?」
「…………なぜ読める? そして、殴るのは許可する」
「あ……」
そう、勿論、アレである。
『あらゆる言語の、会話と読み書き』
この国版のモールス信号も、『言語』かいっ!
「……」
「…………」
「………………」
「……………………」
「……と、まぁ、この基地はだいたいこんな感じだ」
よし、勝った!
そして、とりあえず通信兵のところへ駆け寄って、蹴りを入れてきた。
しかし、「基地」なのか……。王都の一部なのに?
そういえば、地球では海軍と空軍は基地、陸軍は駐屯地って言ってたなぁ。
アレかな、船や飛行機は母基地がないと稼働できないけど、陸軍は補給物資さえ届き続ければどこに居ても関係ないから、「基地」じゃなくて、今居る場所、っていうだけの意味で「駐屯地」なのかなぁ。
まぁ、毎回基地から出撃する海軍、空軍と違って、陸軍は毎回いちいち戻ってきたりしないから、そういう意味では「基地」じゃないのか。ならば、国外の戦地を転戦するわけではないらしい王都軍の常駐場所は、「基地」でいいのかも。
そして全ての目的を終えて店に戻った私は、知る由もなかった。
兵士達の間に、「薬屋の姉の方、あの目付きの悪い少女が足蹴にしてくれるというサービスがあるらしい」という噂が広まるなどということは……。
そして3日後。
「軍人病治療薬を、纏まった量、納入して貰いたい」
ちょっと年配の、士官らしき人がお店にやってきた。
おかしいなぁ、中佐さんから話が廻っているはずなのに……。
「あの、その件は王都軍第2大隊長の、ヴォンサス中佐が……」
しかし、その士官らしき人は、私の言葉に、顔を歪めて吐き捨てるように言った。
「王都軍第2大隊長、ヴォンサス中佐……。あの男、治療薬を王都軍だけで独占して、我ら近衛軍には1本も廻して来ないのだ! なのに、うちの者がここにまとめ買いに来ても、『ヴォンサス中佐を通してくれ』と言われるばかり……。どうにかしてくれ。いや、どうにかして貰わんと、近衛軍と王都軍の間に揉め事が起こるぞ!
我ら近衛軍は、王宮の警備や貴人の護衛、そして式典の儀仗兵を務めたりするから、王都軍の奴らのように、人前で平気でボリボリと掻いたりはできんのだ! なのに、どうして王都軍を優遇して、我ら近衛軍には廻して貰えんのだ!」
あああ、それは気の毒だ……。
って、中佐さん、仕切るのは自分のとこだけか!
まぁ、別の組織らしい近衛軍に廻しても、自分のメリットがないか……。
でも、これは看過できない。いくら私が無知で近衛軍のことを知らなかったとはいえ、これは酷いだろう。
「分かりました。次の納入予定の品、近衛軍へお廻しします。近衛軍の人数は何人ぐらいでしょうか?」
「おお! おおお! それはまことか! ありがたい、感謝するぞ!
近衛軍は、その役目上、大した人数ではない。4個小隊と司令部、支援要員等、全て合わせて200名くらいだ」
近衛軍の大尉であるらしい士官さんの話によると、王族の外遊等に随伴する時には、輸送部隊や追加の支援員は他の組織から出るらしく、普通の1個中隊規模でしかないらしい。中佐さんが無視しているのは、少人数だからか、それとも近衛と王都軍とは仲が悪いのか……。
まぁ、200人くらいなら問題ない。金貨3枚のやつを25本分だ。全員が罹患しているわけじゃないだろうから、24本入りのを1箱で充分お釣りが来るだろう。
しかし、この人、大尉で小隊長とか。普通は、小隊長は少尉か中尉だけど、近衛軍は階級がインフレなのかな。
あ、中隊規模だからといって、近衛軍のトップを大尉や少佐にすると、王都軍との力関係的にまずいのか! だから、人数に関係なく、上から階級を割り当てると、そうなっちゃうのか……。
「で、頼みを聞いて貰って何なのだが、実は、もうひとつ頼みたいことがあるのだ……」
「え、何でしょうか?」
少し言いづらそうであったが、話を聞いてみると。
「我が軍と同じく、王都軍が治療薬を廻していない王都警備兵達にも治療薬を廻してやって欲しいのだ……」
何それ! 警備兵と言えば、王都の治安維持の要、地球での警察官に相当する人達だ。
普段は安全な訓練の毎日で、出番は派手な戦いであり、手柄を立てれば褒賞が貰えて出世できるという王都軍の兵士達と違い、毎日が実戦であり、下手をすると犯罪者や酔って剣を振り回す兵士やハンターに殺される危険もあり、そしてそういう仕事を毎日やっていても、それで当然、犯罪者を捕らえても特に褒められることも英雄視されることもない、地道な仕事。その警備兵の皆さんに、治療薬が廻っていないと?
失敗した!
私が無知だから、兵隊さんはみんな同じ組織の兵隊さんだと思い、近衛軍や警備兵とかが王都軍とは別組織だとは思っていなかった。
この大尉さんは、別組織である警備兵のことも考えてあげているというのに、あの中佐さんは……。
そうか、遣り手ということは、自分のところに利益を集める者、ということか。
それはすなわち、他者へは利益を廻さない、ということだ。
それが、どの範囲まで、どれくらい適用されるのか。
私も、気を付けておこう……。
「分かりました。どうやら、王都軍の方を信頼し過ぎていたようです。警備兵の担当の方に、一度お越し戴けるようお伝え下さい」
多分、来てくれたことはあるのだろう。それを、私が「ヴォンサス中佐を通してくれ」と言って追い返したのだ。その後は、個人として買いに来てくれていたんだろうけど、あまり大量に売ってはアレなので、一日の販売量を絞っているから、仕事を終えてから来たのでは売り切れの時が多かったことだろう。いや、申し訳ないことをした……。
しかし、面倒事にならないように、怪我や病気がすぐに治るような薬の販売はやめて、こういう「貴族や金持ちが目を付ける危険のないもの」を選んだというのに、どうしてこう面倒事が起きるのか? 軍人病とは、それ程恐ろしい病なのか?
……うん、恐ろしい病なんだろうねぇ。
くそ、しばらくの間、一般販売の数を増やそう。
……しかし、他の薬の売れ行きが今ひとつだ。それに、シャンプーとリンス、そして基礎化粧品の売り上げが増えないのはなぜだろう。あの、貴族の奥さん、ちゃんと宣伝してくれているのだろうか……。
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