62 想定外
2階のひと部屋をエミールとベルに提供し、無事、4人での共同生活に突入した。
同室とはいえ、エミールとベルは元々幼児の頃から一緒に暮らしてきた兄妹同然であり、今更どうこういうこともない。あの廃屋同然、いや、ズバリ廃屋そのもので、雨風をなんとか凌げる部屋がひとつしかない崩れかけた家にみんなで住んでいたのだから。
そして、今では恋人同士である。……へたれエミールが、まだ12歳で妹同然のベルに当分の間は手を出すとは思えないが。それに、部屋を分けたりすると、エミールはともかく、ベルがへそを曲げるに違いない。
とにかく、これで一段落、である。あとはフランセット達であるが、そのうち「出会い」があるだろう。今は、宿屋でふたりきりでイチャイチャしているが良い。ぐぬぬ、そのうち私も……。
というわけで、遅めの朝食後の休憩を終え、そろそろ開店である。
「そろそろ行くよ」
「は~い」
レイエットちゃんの返事は、勿論私の膝の上から。
それを羨ましそうに見るベル。
いや、あんたの方が私より重いよね? 潰れちゃうよ、私。4年前の、出会った頃ならばともかく……。
エミール達は、仕事を求めてギルドへ出掛けた。
私はレイエットちゃんと共に階下へと降り、カーテンを開け、内側のガラス窓を開けた。
ガラスを自由に作れる私は、当然の事ながら、窓を改装したのである。外側には元々あった木窓をそのままにして、内側にガラス窓を付けたのだ。……外側をガラス窓にすると、夜の間に盗まれるので。いや、純度の高いガラスは高級品なのだ。
とにかく、いったんガラス窓を開けて、外側の木窓を開けると……。
「うおっ!」
……いかんいかん。ここは「きゃっ!」だろうが、私!
相変わらず、女子力低いなぁ……。
とか言っている場合じゃない!
何じゃこりゃ~!
外には、20人近い人集りが。
……って、これ全部、お客さん?
そりゃ、初日は物珍しさで一挙に10人近いお客さんが入ってくれたけど、その後はポツポツ、という感じだったのに、なぜ?
とにかく、木窓を開けた状態にして固定し、ガラス窓を閉めて、ドアを開けて……。
「いらっしゃいませ!」
「いららっしゃいましぇ!」
いや、レイエットちゃん、キミ、それもうわざとだよね?
普段、普通に喋ってるし、滑舌悪くないよね?
うむむ、レイエットちゃん、恐ろしい子!
「軍人病治療薬をくれ!」
「俺もだ!」
「お、俺も!」
おお、薬無しではいられない身体になった人々が……。
計画通り!
「銀貨3枚のやつだ」
「俺も」
「俺も!」
どうやら、薬の効果がはっきりしたから、一時凌ぎではなく完治を目指すことにしたらしい。
ま、治っても、どうせすぐに再発するだろうけどね。周りが保菌者だらけだし、靴もそのままなんだろうから。
購入希望の人数が増えたのは、前に買った人の様子を見たからか、少し使わせて貰ったからか。
まぁ、どちらにしても、宣伝効果が出るのはありがたい。
「3本くれ」
「俺も」
「俺は5本」
え?
「あの、1本で治りますよ? また再発したら、その時に買えばいいのでは?
それに、5本とか、明らかに買い過ぎでしょう?」
「ああ、職場の上司に贈って、点数稼ぎをするんだよ」
「俺は、イリーザにプレゼントする」
「あ、こら、テメェ!」
「俺は職場で転売……、いや、何でもない」
ふざけんなコラ!
「…………ひとり2本までです! うちは薬屋、小売店であって、卸しはやってません!」
お前が余計なことを言うから、いや、お前が、とか仲間割れしていたが、私が、あんまり揉めるようならひとり1本に、と言うと、素直に2本ずつ買って帰った。
「俺は、便秘薬と下痢の薬を」
「え? どうして正反対の薬を?」
普通は、商店の店員はお客さんのプライベートに関わるべきじゃない。
でも、うちは薬屋だ。薬を売るからには、どうしても譲れないことがある。納得できない使い方は見過ごせない。
「ああ、遠出して現地で食料を調達すると、食べ物が偏ったり、時々変な物が混じっていたりしてな。酷い便秘になったかと思うと、翌日にはピーピー、シャーシャー……」
「お買い上げ、ありがとうございました!」
「ましゅたー!」
そして、売り上げは順調に伸びていった。
店では、腹痛や歯痛等の、痛み止めも売っている。
しかし、もしそれが重大な病気の兆候だったとしたら、痛みだけを消していれば、気付かないうちにどんどん病状が悪化していく可能性がある。それを防ぐため、痛み止めには「痛みを止めている間は、病気の進行も止まる」という効果を付与してある。
完治させたりすると、偉い人や悪い人達に目を付けられるから、それはやらない。ただ、現状を維持するだけ。完治は『レイエットのアトリエ』の薬ではなく、女神様の慈悲である『女神の涙』の役割だ。
そして、そのうちエミールとベルには『女神の眼』としての働き、つまり「女神の慈悲を受けるに相応しい者の選択」をお願いしようと思っている。あくまでも、細々と、だけどね。
女神の恩恵は、資格のある者が全員受けられるというものではない。その中の極々一部の、たまたま運が良かった者が受けられることがある、という程度。
神とは気紛れなもの。特に、この世界の女神様は。
「ここか!」
「はっ!」
お客さんがいないのでレイエットちゃんといちゃいちゃしていたら、店の外からきびきびした声が聞こえてきた。
いや、子供は大抵私の顔を見ると怖がって逃げるので、小さな子と遊べるのは十数年振りなんだよ! 少しくらいいいじゃ……って、それどころじゃないか。
あ~、悪い予感が……。
そして、当たるんだよね、私の「悪い予感」って。
あ、この段階では、それはもう「予感」じゃないって? ああ、だからいつも当たるのか。
「レイエットちゃん、2階へ行って隠れてて」
「うん!」
ふたつ返事で2階へと駆け上がるレイエットちゃん。
いや、別に薄情というわけじゃない。こういう場合はぐだぐだ言わずに指示に従うこと、僅かな時間の遅れが私を不利にするから、と、何度も言い聞かせているからだ。つまり、できる限り早く私の指示に従うということが、レイエットちゃんにとっての忠誠心の表し方、というわけだ。
かららん
「ここが『レイエットのアトリエ』とかいう店か」
「はい、そうですけど」
ドアベルを鳴らして店に入ってきたのは、どう見ても軍人さん。しかも、兵隊さんではなく、もっと偉そうな人だ。その後に、兵隊さん……兵士というべきなのかな、ずっと階級が低そうな若い人がふたり。
「店主はおるか」
「はい、私ですけど」
「何……、あ、いや、そうではない。今の店の責任者、という意味ではなく、この店の経営者のことだ」
「ですから、私ですけど。この店の賃貸契約を結び、賃料を払い、品物を仕入れ、売り、軍人さんに絡まれるのは、全て私の仕事です」
「な……」
軍人さんの二度目の驚きの声は、私が本当に店主だということに対するものか、それとも子供の口から放たれた嫌みに対するものなのか……。
「では、お前がレイエットか」
「いいえ、違いますけど?」
「「「え?」」」
案内役の兵士さん達と共に、ぽかんとした顔の軍人さん。
いや、別に、このボケをかますために店の名前を『カオルのアトリエ』ではなく『レイエットのアトリエ』にしたわけではない! ……多分。




