36 計算違い
その日の午後、帝国軍は突如として攻勢に出た。
「凄い効き目ですねぇ、王兄であるロランド様の名は。倒して名をあげようとしているのか、捕らえて人質にしたいのか…。それに、ロランド様が直接伝えたとなると、聖国経由の軍が敗北したという話も信憑性が増しますからねぇ…」
そう言うカオルの言葉に、複雑な表情をするロランド。
今、カオルとロランド達は、前線近くの小高くなっている場所に騎乗のまま立っていた。勿論、目立つために、である。
既に最前線、両軍の接触面では激しい戦いが繰り広げられていた。
カオルがその力を全力で振るえば、あるいは味方の戦死者を大幅に減らすことも出来たかも知れない。しかし、そうしてどうなると言うのか。
女神が片方に助力して一方的に勝った。
そこには兵士の誇りも何もなく、勝者も敗者も納得が行かないだろう。
戦死するであろう兵士やその家族にとって、それはどんな意味があるのだろうか。
勿論、カオルはその力を振るうつもりでここに来た。しかしそれは、強い攻撃力をもって片方を一方的に殲滅するためではない。両者の被害を少なく戦いを終わらせるためであった。今は、介入するためのチャンスを待っているのである。
「ロランド様、ちょっと動き回ってみたり、不審な動作をしたりしてみて下さいよ」
「……それに何の意味がある?」
カオルの頼みに、嫌そうに答えるロランド。
「いえ、餌が不審な動きをすると、逃げるんじゃないか、とか、何かするんじゃないか、とかで、敵兵がこちらを気にして時々ちらちらと視線を向けるようになりますよね。それが僅かな隙になって、戦っているこちらの兵士が有利になるんですよ」
「……分かった」
兵のためになるならと、うろうろしたり手を振ったりし始めるロランド。良い上官であった。
しばらく経つと、敵軍が、全体的な戦況には明らかにそぐわない動きを見せ始めた。明らかに優先度が高い他の場所を攻めず、カオルとロランド達が立つ小高い場所に兵力を向けてきたのである。
数騎の騎乗兵を先頭に、その後に続く多数の歩兵。山越えで馬は無かったはずであったが、どこかで現地調達したものと思われる。
「釣れましたね。では、もう少し引きつけたら、伏兵を配置した方へ引っ張って行って下さい。私は見晴らしのいいここで見物させて戴きますので」
少し小高くなっているここは、戦況には全く影響しない、無視される場所である。美味しそうな餌さえいなくなれば。
無害そうな少女がひとりいるだけの、戦況的には無意味な場所に、敵がわざわざ兵を出すはずがない。
「…分かっている」
ロランドは迫る敵の動きを見つめながら言った。
しばらくすると、王国軍を強引に押しのけながらロランド達に向かう敵の部隊がかなり接近してきた。ロランド確保を余程重要視しているのか、中々の精鋭揃いらしい。
無理にこちらに兵力を振ったために戦域のバランスが崩れ、他の場所では王国軍が少し有利になり始めている。計画通りであった。あとは、突出してこちらへ向かっている敵部隊をうまく誘導して包囲の中へと引き込み殲滅、敵の勢いを削ぐ。
「そろそろですかね。敵兵に充分姿を見せつけながら行って下さいね」
「分かっている」
ロランドは、目立つようにと、大きく右手を挙げて大声で移動の指示を出す。
「下がるぞ! 皆の者、続け!!」
そして小高くなっている場所から降り、友軍である王国兵がいない方向へとゆっくり移動する。敵兵が追いかけやすいように。
『さて、後はしばらくの間、文字通りの高みの見物と行きますか』
この世界での戦いは長時間に及ぶ。まだ戦いは始まったばかりであり、カオルが手出しするのはまだまだ先であろう。それこそ、数日先、ということもある。
人が戦い死ぬのを眺めるのはあまり良い気はしないが、戦争なのだ。誰もが死なずに解決、などと夢想するのは、頭の中にお花畑がある者だけである。
のんびりと傍観者モードになっていたカオルに、エドが言いづらそうな口調で話しかけた。
『…なぁ嬢ちゃん』
『なに?』
『気のせいかも知んないが…、敵さん、餌とやらには向かわずに、そのままこっちへ向かってないか?』
『え……』
全ての帝国軍将兵には、ある指示が出されていた。
【第一優先確保目標、女神の寵愛を受け、治癒ポーションの製造に関与していると思われる少女。第二優先確保目標、王族。第三優先確保目標、閣僚及び上級貴族。
第一優先確保目標を確保する機会が得られたならば、他の優先目標は無視しても構わない。兵の大量損耗も許容する】
そして、少女の特徴を全将兵に伝えていた。
【年齢10~12歳、黒髪黒瞳、可愛い顔立ちなれど目付き悪し】
そして、大量のポーションを持って来たという王兄と共に在り、伝えられた通りの外見で、後方ならばともかく、戦場の最前線近くに居る歳若き少女。
無理を承知で強引に突出した帝国軍精鋭部隊の確保目標は、王兄ロランドではなくカオルであった。
そして、何を考えてか、最も重要な人物である少女をひとり残して離れて行く王兄と護衛兵達。逃すことのできない、絶好の機会であった。
『ああ、騎兵に回り込まれた……』
馬に乗ったカオルに逃げられないよう、全速を出した騎兵が後ろ側へと回り込んだ。いくら現地調達で乗り慣れていない馬であっても、騎兵であればそれくらいのことは簡単であり、慌てて狼狽える素人のカオルが逃げ出す余裕は与えなかった。
後方から半円状に包囲して、しだいに包囲の輪を縮めてくる数騎の騎兵。前方から近付く歩兵の群れ。
『ヤバいヤバいヤバいヤバい! エド、逃げ出せそう?』
『無理っスよ、嬢ちゃん!』
全然予定していなかったけど、ここで爆発か?
いや、ただ単に爆発で蹴散らしても、大きな意味はない。死者を大量生産するだけだ。毒で数人を殺しても、これだけの人数では……。
どうする?
退路を切り開く程度の爆発? しかし、逃げようとしたら矢を射掛けられるのでは? 矢が刺さったら死ぬかも?
捕まっても、殺されることはないだろう。逃げるチャンスなら後でいくらでもあるだろうし……。
カオルが考えを纏められないうちに、遂に歩兵はカオルのところまで到達し、傷付けずに捕獲するためカオルを包囲し始めた。剣や槍を向けられては、強引に突破することも出来ない。
そのうち、カオルを馬から降ろすために剣を収めて近寄る数名の兵士達。
いい手が浮かばずカオルが混乱していると、後方から接近していた騎兵が急に方向転換を行った。
「あ、フランセット……」
カオルの眼に映ったのは、異状に気付き全力で引き返して来たフランセットと、必死でその後に続くロランド、そして4人の近衛兵の姿であった。
文字通りの、鎧袖一触。
鬼神と呼ばれるフランセット、勇猛名だたるロランド、そして精鋭の中の精鋭、近衛兵。とても、現地調達の馬に乗る即席騎兵に敵う相手ではなかった。
敵騎兵を片付けたフランセット達は、カオルを包囲する兵士の一角を突き破ってカオルの回りを囲んだ。そしてすぐに下馬。
皆、移動には馬に乗るし、騎乗で戦うことも出来る。しかし、本職は自分の足で動き回っての歩兵戦闘であった。
騎乗での戦いは通常ならば確かに有利ではあるが、余りにも優秀な兵士にとっては、馬が自分の動きについてこれなくなり戦いづらくなる。また、多くの歩兵に取り囲まれての騎乗戦闘は、武器を持たない側や後方からの攻撃、馬に対する攻撃等が防ぎ切れず、更に、多数の敵を同時に捌くことが困難となる。ましてや、護衛すべき対象を守っての戦いとなると、下馬以外の選択肢は無かった。
「ごめん、なんか、計算違いがあったみたい……」
しょんぼりするカオルであったが、護衛のため苦労してついてきた6人は、やっと出番が来たかと笑っていた。
そして始まる、壮絶な戦い。
ロランドと4人の近衛兵は、ショートソードを振るう。
ショートソードと言っても、別に普通の剣より短いというわけではない。騎兵が使うものをロングソード、歩兵が使うものをショートソードと言うだけであり、ごく普通の、兵士が使う剣である。この剣を使っていることからも、彼らが本職の騎兵ではないことが判る。
本来は片手剣であるショートソードであるが、盾を手にしていない今は、両手で振るう。盾など無くとも、剣で防げば済むことである。
叩き切り、弾き返し、突き刺し、切り飛ばす。
日本刀とは違い、すぱっと切るための剣ではない。力で押し潰し、叩き切る。それでも、腕くらいなら切り飛ばせる。響く悲鳴、苦悶の叫び。
一方、フランセットが振るうのはバスタードソードであった。片手でも両手でも扱える両用の剣であるが、ショートソードより長く、そしてかなり重い。少なくとも、十代半ばに見える少女に使いこなせるような剣ではない。普通であれば。
そして勿論、フランセットは普通ではないので、充分に使いこなしていた。装備方法は、腰に差すと地面に引き摺るので、背に背負っているが。
フランセットの膂力からすれば、もっと重く巨大な剣を使いたいところであったが、それには体重が軽過ぎることと、身体のサイズ的に帯剣が不可能ということで断念したのであった。
そのバスタードソードを、まるでエペかフルーレを振るが如く軽々と振り回し、敵兵を薙ぎ倒していく。嬉々として。
そして次々と築かれていく、死体と重傷者の山。
「き、鬼神フラン……」
敵兵の間に、恐怖に震える声が広がっていく。
そして直ぐに、後方からは作戦の失敗に気付いた伏兵達がロランド救出のために急行し、前線側では防衛線を突破し突入した敵兵を殲滅すべく左右から王国兵が襲い掛かった。カオル達の周囲は混沌とした乱戦状態となり、混乱が続く。ただその中で、『少女を決して傷付けてはならない』ということだけが、敵味方共通の認識であった。
余りの乱戦に、カオルも手出しが出来ない。『ニトログリセリンのようなもの』にしても、他の薬品にしても、こうも多くの兵士が入り乱れて激しく動き回っていては、味方を倒してしまいそうであった。
『収納』を使う、という手段はあるが、それを使うと、もう『女神様とお友達なだけの、ただの人間』という設定は終わってしまう。いや、爆発を使った時点で同じことか……。
周りで倒れ伏す兵士の数が3桁に達する中、どうやら乱戦の中でも自分の身は一応安全らしいと気付いたカオルが少し余裕を持った時、それは起こった。
乱戦の中、味方に当たる危険を顧みず放たれた矢の1本が右肩に当たり、思わず剣を振るう腕を止めてしまったロランド。
その隙を逃さず、剣を突き出す敵兵。
ガキィン!
金属同士がぶつかる音が響く。
そしてそこには、無理な体勢で敵兵の剣を打ち払ったために姿勢を崩したフランセットと、その手に握られた、刀身が折れ飛んだバスタードソード。
あまりにも強力なフランセットの膂力で振るわれ続けたバスタードソードは既に限界が近かったが、それが無理な体勢で強引に振るわれたために芯を外した斬撃となり、とうとう折れてしまったのであった。
そして、その絶好の機会を逃すことなくその右胸に突き入れられた、1本の
槍。
槍を引き抜かれた胸の傷から噴き出す鮮血。
「フラン!!」
倒れかけたフランセットをロランドが抱き留める。
「や、やった! 俺が、俺があの『鬼神フラン』を倒したぞおぉっ!!」
嬉声をあげる帝国兵。
そして次の瞬間、その男の頭が破裂して吹き飛んだ。




