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33 地獄 二丁目

 アリゴ帝国北方侵攻軍が大量の物資を失ってから6日が経過した。

 結局、途中にあった6つの村のいずれも、全ての井戸が毒物に汚染されており、倉庫にも畑にも食べ物の欠片も残されていなかった。


 井戸と食料を確保するため騎乗兵のみで編成した先行部隊を出したところ、4番目の村で毒物汚染されていない井戸を確保したとの知らせがもたらされて驚喜したが、その後、王国の兵士と戦闘になりほぼ壊滅、残った兵士は逃げ帰って来た。


 その王国兵が毒物を撒く者とは無関係である可能性、また隠し井戸だったらしいその井戸の存在を知らない可能性に賭けたが、村に到着した時には、既に井戸は汚染されていた。隠し井戸の小屋に我が軍の兵士の死体があったことから、最初から井戸の存在は知られていたのであろう。井戸の処理に漏れがあったことに気付いて戻って来た部隊であったと思われる。


 20名以上の兵が7名の敵兵に敗れたということは、軍事国家たる我が国の兵士として恥ずべきことである。しかし、敵兵が仲間のひとりを『ロランド様』と呼んでいたとの証言から、その人物がかの『王兄ロランド殿下』ではないかと推察された。

 それならば供の者は精鋭たる近衛兵、そして最近ロランド殿下の護衛についたという異常なまでの強さを誇る謎の少女、『鬼神フラン』が居たものと思われる。

 それならば仕方ないか、と思わぬでもないが、その結果はあまりにも重大であり、戦死どころか重傷を負うこともなく逃げ帰った者の帰国後の処分は簡単に想像がつく。まぁ、もし帰国出来れば、の話であるが。少なくともこの遠征中は、普通に働いて貰う。無駄に戦力を減らす必要は無い。



 配給を4分の1に減らした食料も既に2日前に尽き、同じく4分の1に減らした水も今日で尽きる。水を減らされた馬の消耗を抑えるために騎兵も下馬して歩いているが、それでも倒れる馬が出ている。

 倒れた馬の騎手は、泣きながらその馬の動脈を切り、抜いた血を衰弱の激しい兵士に与えて飲ませ、生肉を皆に分配した。騎兵にとって、戦友の血肉を喰らうに等しいその所行。血肉を分け与えられた者も、涙を堪えてその血肉を貪った。涙は堪えなければならない。涙を流すと、せっかくの水分が無駄になる。

 また、肉を食べると、その分解・吸収にも水分を必要とするため、更に渇きが増すこととなる。唾液が出て、などというのは、一時的な気休めにすぎない。唾液も別に無から湧き出すわけではないのだ。


 毒入りの水を飲んだ者は、街道脇に放置した。最初は運んで連れて行こうとしたが、飲む水より体外に排出される方が多く、生き長らえさせるためには多量の水が必要であった。また、自力で行軍についていくことは出来ず、馬車に乗せるしかなかったが、もう、僅かな水しか与えられていない馬には余計なものを運ぶだけの体力が無かった。


 最初の村で知らずに飲んだ者は仕方ないが、その後の村で確認のため実験台となってくれた者には申し訳なさで胸が潰れそうであった。

 また、渇きに耐えきれず、村でこっそり井戸水を飲んでしまう者もかなりの数となった。確かに、飲んでいる間は、渇きが癒され、至福の味わいであった。30分程経つまでは……。


 そして、遂に、毒水を飲んでいない者も倒れ始めた。

 脱水症、そして熱中症。

 水と塩分を摂らせて涼しいところで休ませてやれば回復するというのに、その水も塩も無い。休ませる場所も、乗せてやる馬車もない。

 そっと街道脇に横たえる。





 そして街道を歩く兵士達の両脇から聞こえる、亡者の声。



 連れて行ってくれえぇぇ~~


 置いて行かないでくれえぇ~


 こんなところで死にたくないよぉ……


 俺は生きて帰るんだぁ… 生まれたばかりの娘が待ってるんだよぉ……




 顔を強張らせ、決して両脇を見ないように視線を前方に固定する兵士達。

 見てはならない。

 聞いてはならない。

 泣いてはならない。水分が勿体ないから。友の愛馬の命が無駄になる。


 地獄であった。

 戦って戦死するならまだ良い。

 しかし、戦うこともなく、糞尿に塗れて異国の道端で野垂れ死ぬ。

 そんなのは嫌だ!


 帰りも、またここを通るのか。

 その時にも、この声は聞こえるのか。

 そもそも、自分達も生きて帰れるのか。



 随伴しているルエダ聖国の聖職者たちの表情も強張っていた。

 この、道の脇に横たわる者達に、女神の慈愛の存在について説けるのか。


 ……悪魔と地獄の存在であれば、簡単に説けそうであった。

 そう、お前達をここに連れて来た者が悪魔であり、ここが地獄だ、と言えば済むのだから。





 あと一日。

 明日には、町に着く。

 そこでたっぷりと水を補給し、食料を徴発し、兵に休養を取らせる。

 そうすれば、今のボロボロの幽鬼の群れではなく、精強なアリゴ帝国の軍隊が甦る。

 無防備な町に入り込み、占拠するだけで良いのだ。



 そして翌日。

 予定より大幅に遅れて、アリゴ帝国北方侵攻軍は、ようやくのことでバルモア王国王都から一日の距離にある衛星都市、ニコシアの近郊まで到達した。

 そして最後の丘を回り込み、先頭の部隊がようやく町を視界に収めた時。

 突然、先頭の部隊が停止した。

 先がつっかえて、後方の部隊がつんのめって隊列を崩す。

 希望の目的地を目前にしての前方部隊の不手際に、司令部幕僚が怒りも露わに前方へと馬を飛ばした。伝令用にと多めに水を与えていた貴重な馬である。

 そして先頭部隊の位置まで行った幕僚は、皆と同じ光景を見て凍り付いた。

 そこにあったのは、ニコシアの町の前面に展開した、バルモア王国の王都防衛兵力1万2千。籠城に残した3千を除く、全軍の姿であった。


「馬鹿…な……」

 崩れ落ちる幕僚。

「王都に籠城しているのではなかったのか………」




 知らせを受けた司令官も部隊の先頭へと姿を見せ、絶望の表情を浮かべた。

「いくら我が軍の半数強とは言え、歩くのがやっとの我が軍に対し、王国軍は万全の態勢。しかも簡易陣地まで構築してある。戦いにもならんか……」


 戦いは、全ての兵士が一斉に戦闘にはいるわけではない。もしそうならば、2対1の戦いが1万組同時に行われることになり、それならば弱った兵でも勝機が全く無いわけではない。

 しかし、現実は、各々の軍の前面、敵との接触部分でのみ戦闘が行われ、それが後方からの兵に順次入れ替わっていく。つまり、実際にある瞬間に戦闘を行っている兵の数は双方あまり変わらないのである。

 それならば、弱い方はどんどん倒されていく。剣道の勝ち抜き戦のようなものである。

 ……勝機はない。


 撤退しようにも、もう行軍する力は残されていない。帰路にあるのは、毒に汚染された井戸だけである。また、ふらふらの行軍では、すぐに追いつかれて後方から襲いかかられる。

 無謀にも戦闘に臨んだところで、帝国の貴重な将兵2万を無駄に失うだけであった。アリゴ帝国軍8万のうちの、貴重な2万の兵力を…。

 それならば、素直に降伏し、終戦後に帰国できる道を選んだ方が…。

 それに、まだ帝国が負けると決まったわけでもない。

 降伏の責任は司令官である自分が取れば良い。2万の将兵の命に較べたら、安いものだ。

 まさか捕虜全員を処刑するなどあり得ないし、2万もの捕虜を食わせるだけでも大きな負担となるだろう。どちらが勝利を掴もうとも、兵が国に帰れるのはそう遠い話でもなかろう…。


「降伏する。すぐに使者の用意を!」


 司令部幕僚や兵士達は、無念そうな顔をするも、反対することはなかった。


「急げ! 途中で残してきた者達に救援を出して貰えるかも知れんのだ、時間が惜しい!」

 はっとした顔をして、幕僚は慌てて駆け出した。





「終わったかな?」

「そのようだな…」

 展開する王都防衛軍のやや後方で、カオルの呟きに答えるロランド。

 村人達も思ったより早く自分達の村に戻れそうである。


 井戸の薬は、何もしなくても投入から10日で効力を失うようになっていた。カオルに万一のことがあっても井戸が長期に渡って使用不能になることを防ぐためである。

 そして勿論、10日間を待たなくても、カオルから受け取った薬を投入すれば即座に効果が消える。

 ただ、各家にあった瓶の中の水とか罠として残した食料等は、薬をかけるか10日が経過するまでは決して口にしないよう何度も強く念押ししておく必要があるが。

 まぁ、もし飲んでしまっても、充分な水さえあれば、数日間下痢に苦しむだけで済むのであるが。




「しかし、えげつない……」

「じゃあ、まともに戦って数千人の戦死者を出した方が良かった? 騎士らしい正々堂々とした戦い、とやらをやって」

「そ、そういうわけでは……」


 常に正しき騎士たらんと努力してきたフランセットには少々納得しづらいようであったが、自己満足のために多くの王国兵を死なせたいか、と問われれば、否定するしかなかった。


「あなたたちは、このまま王都に戻りなさい」

 カオルは、エミール達8人の子供に向かって言った。村の少年タパニも、いつの間にか完全に溶け込んでいた。


「あなたたちは、と言うことは、カオルは戻らないってこと?」

 エミールが食ってかかる。


「そう。でも、今度は貴方たちは駄目」

「どうして! 僕達でも盾の代わりにくらいなれる!」

「だからダメなの! 今度は、誰かが一撃で首を飛ばされ、心臓を貫かれるかも知れない。そうなったら、私でもどうしようもないの。自分ひとりなら、どうとでもなるんだけどね」

「それは、僕達が足手纏いってこと?」


「……そうね。貴方たちはまだ弱いからね」

 カオルは少し躊躇ったあと、ズバリと言った。

 黙って俯くエミール。


「勘違いしちゃダメよ。『まだ、弱い』ってだけだから。まだ子供なんだから仕方ないでしょ。それに、別にフランセットみたいに強くなれって言ってるわけじゃないし」

 突然引き合いに出されて目を白黒させる騎士フランセット。


「それに、貴方たちが役に立たない、って言ってるわけじゃないの。私が自分の得意な仕事をしている間に、貴方たちには、貴方たちが得意な仕事をして私を助けて欲しいのよ」



 説得の結果、渋々ながら納得してくれた『女神の眼』プラス1名。

 …これはもう、8名、ということでいいか。なんか馴染んでるし。


 そういうわけで、子供達は馬車で王都へと戻ることとなった。王都で、今回の件で貴族や有力者がどのような行動、どのような言動をしているかの情報を集め、他国に繋がっている者、どさくさに紛れて何かを企んでいそうな者を見分けるため、という名目で。

 勿論、本当に分かれば良いが、それは中々難しいであろう。とにかく、子供達が王都に戻ることに納得してくれる理由となれば充分であった。



「……で、今度は何をするつもりなのだ?」

 子供達が離れたあと、ロランドが呆れた顔でカオルに訊ねた。

「あ、今からこのまま、西方の戦場へ行こうかと思っています」

「「「えええええ~っっ」」」


「許可できるわけがないだろうが!」

 大声を出すロランド。

 しかし、カオルは聞かない。

「別に、ロランド様の許可が必要なわけではありませんから。ただの他国から来た平民の娘が、王都にふらりとやって来たように、西方にふらりと旅をするだけの事ですから」

「な、なっ……」


 顔色を変えたロランドであったが、すぐに落ち着いてにやりと笑った。

「どうやって西方へ行くのかな? 今西方へ行く商人はいないし、定期馬車の運行も勿論止まっている。馬車が無ければ歩くしかないだろうが、カオルの足では、何日かかるかな…。勿論、王宮からは馬車も御者も貸さないからな」

 馬に乗れないカオルでは、これで手詰まりだろう。そう思ったロランドは余裕の表情であった。


「…あ、そうですか。じゃあ、ちょっとツテを当たってみますね」

「え?」

 ぽかんとするロランドを後に、とてとてと歩いて行くカオル。その行き先は、あの村で敵から戴いた軍馬を繋いでいるところであった。



『ねぇ、あなたたち。だれか、私を乗せて長旅に付き合ってくれない?』


 ぎょっとする18頭の馬たち。


『お、お嬢ちゃん、新種の馬か?』

 動揺した声で聞く、栗毛の馬。


『いや、ただの人間だよ。ちょっと女神様にコネがあるだけの…』

『『『女神様にコネがあったら、ただの人間のわけがないだろうが!!』』』


 なんと、馬に突っ込まれた。


『まぁ、それは置いといて。旅に乗せて行ってくれたら、怪我や病気は全部治してあげるし、美味しい食べ物を用意してあげる。旅が終わったあと、馬屋や牧場とかで気に入った娘がいたら買ってあげる。私の持ち馬として一緒に置いてあげるよ。』

『『『ホンマか嬢ちゃん!!!』』』


 俺が、いやワシが! うるせぇ小僧、年配者に譲れよゴルァ!



 大騒ぎになってしまった…。


「あ、あの、カオルさん、なんかブヒブヒ言ってましたけど、一体何が……」

「あ、誰が私を乗せていくかで争いが……」

「「「「えええええ~~~!!」」」」

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― 新着の感想 ―
[良い点] そりゃこんな虫でももう少し息しているような相手に籠城する必要ないよね
[一言] ブヒブヒ言ったらそれは豚だろうと カオル「ヒッヒフー ヒッヒフー」
[一言] 33/333話まで読破!!残りは300話。 3がさんざんに多いな。3だけに。(だからどうした) そういや動物とも話せたっけ。 序盤、1回しか見せなかったから忘れてました。
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