32 地獄 一丁目
4番目に処置をした村に到着。
カオル達は男の子、タパニの案内で村はずれの小屋へと向かった。隠し井戸は外側に小屋を建て、ただの物置小屋に見せかけているらしかった。
「あの小屋です」
カオル達が馬車から降りてタパニが指し示す小屋に近付こうとした時、村の中心部方向から20騎前後の騎兵が接近して来た。
「くそっ、帝国の先遣部隊か!」
ロランドが馬上で剣を抜き放ち、騎士フランセットと5名の近衛兵もそれに続く。敵兵の数は3倍近くであったが、武勇に名立たる王兄ロランドと、精鋭の近衛兵である。そして、本人の意志ではないが見習い騎士に見えて相手を油断させるフランセットの実力は、ポーションを飲む前に較べて遥かに上昇している。以前から一人前以上の実力であったのに、である。
それに対して、帝国の騎兵は数日間の水不足と空腹で精彩を欠き、その乗馬もまた疲れが見えていた。
その様子を見て、大丈夫そうかな、と思い、カオルは小屋へと向かった。少年タパニを加えた8人の子供達もそれに続く。
小屋の前で、子供達のうち4人が立ち止まった。小屋の入り口を守るためである。手ぶらに見えるが、子供達はそれぞれ懐にナイフを忍ばせている。どうせ子供の身体ではまともに剣を振るうことは出来ないので、中途半端に武装するよりは無手に見せて油断させ、ここぞという時にナイフを振るう、という戦法である。子供であるという不利を有利に変える作戦であった。
カオルは、アイテムボックスから1本の薬瓶を取り出して左手に握った。何度も薬の効力を決めて作成するのが面倒だったので、毎回いちいち創り出すのではなく、まとめて創ってアイテムボックスに保管しておいたのである。
そして右手で扉を開け、4人の子供達と共に薄暗い小屋の中にはいって、……3人の帝国兵と顔を合わせた。
帝国兵は、今この村に着いたというわけではなかったらしい。
「何だ、お前達は?」
汲み上げた水を飲んでいた帝国兵のひとりがカオル達に向かって言った。
正直に答えられるはずもなく、固まる5人。
すると、兵士のひとりがカオルの持つ薬瓶に気がついた。
「え、おい、それは何だ!」
カオルは、まずい、と思ったが、もう遅い。
「まさか、お前達が井戸に毒を……」
手にしていた木製のカップを置き、立ち上がる3人の兵士達。
どうしよう、と、カオルは躊躇った。
爆発は外の兵士の注意を引く。いくらロランド達が強くても、人数の差が大きいから、数人の帝国兵が小屋へ向かうのを阻止するのは難しいかも知れない。硫酸か塩酸では? しかし絶叫されれば同じか。一瞬で戦闘力を奪うには……。
その気になれば、敵兵を倒すのはそう難しくはない。武器を持たない子供達にいきなり斬りかかって来ることもないだろう。
そう思って、少し余裕を持ってカオルが作戦を考えていたほんの数秒。それを、子供達は、カオルが打つ手が無くて困っているのだと判断した。
「……え?」
子供達の中で最年少、8歳の少女ベルが、カオルの手から薬瓶を抜き取った。そしてそのまま兵士達の方へと駆け出す。
止めようと伸ばしたカオルの手を、エミールがそっと抑えた。
「大丈夫です。ベルはやります」
カオルには、エミールが何を言っているのか分からなかった。
薬瓶を胸の前に抱えて、たたた、と走り寄るベルを見て、兵士たちがにやにやと笑う。幼い少女を捕まえることなど簡単、それこそ児戯にも等しい。自分達に真っ直ぐ向かってくる上、薬を井戸に入れるためには瓶のフタを開けるか、そのまま投げ入れるにしても振りかぶる動作が必要になる。どちらにしても、いったん立ち止まるか走る速度を落とす必要があった。今でさえ辿々しい走り方だというのに。
少し離れた位置から投げたなら、大人3人が壁になっているのだ、簡単に叩き落とせる。
兵士達は余裕の表情で井戸の前に立ち塞がっていた。
真ん中の兵士の真正面に走り込んでいたベルは、その直前で左脚を踏ん張って右に移動、それまでの辿々しい走り方から一変して鋭い切り込みでふたりの兵士の間に突っ込んだ。阻止するために使えるのが片手だけとなり、隣り合った兵士が互いに相手が止めるかと思い油断する、最も突破し易い場所。盗みを働いた浮浪児を捕らえようとする大人達の囲みを突破するために鍛え上げた、小柄な身体を活かした、生きるための技であった。
両腕を胸の前で組み、姿勢を低く下げ、捕まえられる可能性を最小限に抑えた少女は、瓶のフタを開ける動作も、腕を振り上げる動作もせず、その速度を落とすこともなかった。先程までのわざと遅く見せかけた走り方ではなく、子供達の中でも俊足を誇るその速度を保ったまま、兵士の間をすり抜けると、そのまま真っ直ぐに頭から井戸の中へと突入した。
「え……」
呆然とするカオルに、エミールが言った。
「言ったでしょう。ベルはやる、と」
カオルが、信じられない、という顔でエミールを見ると、その顔には表情は無かった。
「なぜ! どうしてあんな真似を!」
激昂して怒鳴るカオルに、エミールは平然と答えた。
「あの日、薬を飲ませて貰えなければ、ベルは死んでいました。それからの幸せな日々は、あの子にとっては命を捧げるだけの価値が充分にあったんです。そして…、そして、ベルもまた、『女神の眼』の一員だからです」
「ふざけるなァ!」
エミールを殴り飛ばすべく右腕を振り上げたカオルの眼に映ったのは、エミールの頬につうっと流れるひと筋の涙であった。
カオルは、振り上げた腕をそっと降ろした。
「この馬鹿共が……」
しばし呆然としていた帝国の兵士達がようやく我に返った。
「こ、この餓鬼共、何てことしやがった……」
「たったひとつの、無事な井戸が……、我が軍の希望が………」
自軍の未来と、子供だと油断して大事な井戸を守れなかった自分達の未来とに絶望し怒り狂った3人の帝国兵は、剣を抜いた。子供達を全員殺す。眼がそう語っていた。
しかし、怒り狂っていたのは帝国兵だけではなかった。
「……死ね」
カオルの低い呟きと共に、胸や腹を押さえて蹲る兵士達。
ひとりは、肺にたっぷりと詰まった過酸化水素水により呼吸が出来なくなり陸上で溺れて。
ひとりは、胃に詰まった希硫酸に体内から溶かされて。
そして最後のひとりは、身体が動かなくなり、心臓さえも徐々にその動きを止めて行き。
しばらく苦しみ抜いた後、皆、息絶えた。
「まだ、一丁目だよ」
カオルはそう呟いた。日本語の言い回しを知らないエミール達には、それが何のことだか分からなかった。
ふとカオルが気付くと、エミールが急いで井戸へと向かい、中に入ろうとしていた。
「何してるの?」
「ベルが生きているかも知れない。助けなきゃ!」
「そんな必要はないよ」
「え……」
カオルの言葉に驚くエミール。
そしてカオルが左手をかざし、次の瞬間、そこにひとりの少女が現れた。
「あ、あれ? 私……」
「「ベル!!」」
カオルはアイテムボックスの仕様を決める時、意味も無いおかしな制約をわざわざ付けたりはしなかった。中では時間が停止するのだから、生物を入れても問題ない。亜空間に直接収納するのだから手に触れたりする必要もない。
だから、井戸に飛び込んだ瞬間、ベルをアイテムボックスに収納したのである。落ちてからだと怪我をする可能性があったし、頭から飛び込んだから下手をすると死ぬかもしれなかったので。あの時水音がしなかったのに、なぜ誰も疑問に思わなかったのか…。
フタを開ける前の薬瓶も一緒に収納してしまったため、今から投入しなければならない。
「エミール、みんなに伝えておきなさい。皆の命は私に捧げたはず。ならば、私の許可無く勝手に死ぬことは許さない、と」
ベルを抱き締めて涙を流しながら、エミールはこくこくと頷いていた。
『女神の眼』の者はともかく、奇跡を初めて目にしたこの村の少年タパニは、口を開けて呆然とした顔でそれを眺めていた。
改めて井戸に薬品を投入、小屋から出ると、丁度戦いが終わるところであった。
4~5人となった敵兵は、必死で逃げ去って行った。
別に全滅させる必要はない。隠さねばならない事は何もないのだから。
逆に、これから行く村にももう使える井戸は無い、と知り、士気の低下に拍車がかかるのは良いことであった。
味方にも負傷者が出ていた。近衛兵のうちひとりが腕を切られ軽傷、ふたりがかなりの深傷である。
騎兵同士の戦いであったため、負傷して落馬した者に止めを刺す余裕がなく、戦闘能力を失った者はそのまま放置してすぐに別の相手との戦いとなったため、味方に死者が出なかったのは幸いであった。
勿論、ポーションですぐに完治させた。
初めて目にした奇跡に、近衛兵達が驚く。市販のものの効果は見たことがあるかも知れないが、今回使った物は、それとは根本的に異なるので無理はない。
帝国兵には、剣を受けた場所が悪かったのか死者も出ていたが、生きている者も多かった。殺すかどうするか迷ったが、結局、途中で反撃されることを防ぐため死なない程度にだけ治癒させて、縛り上げて連れ帰ることにした。物資を消費して荷物用の馬車に空きが出来たし、逃げた者と死者を除けば、捕虜は10人ほどであったので。
なお、念のため村の中を軽く再確認したところ、村人らしき3体の死体を発見した。タパニに確認させたところ、例の裏切り者の男達であった。
隠し井戸の場所さえ分かれば、敵国の村人に報奨金など出すわけがない。それも、侵攻中の敵軍が。
いくら田舎村の農民とは言え、あまりにもお粗末な考えであった。
まぁ、村人達の財産は盗まれることなく済んだようで、重畳である。
帝国兵は全員が騎乗兵であったため、死者と捕虜の乗馬は全て回収した。幸い死んだ馬はいなかったので、怪我は全てポーションで治癒。小屋にいた兵の馬と、怪我の治癒を行った馬に対しては、しっかりとカオルが所有権を主張した。馬、特に軍用に訓練された馬はいい値で売れるのである。カオルにとっては、捕虜の兵士より馬の方が遥かに価値があった。
馬と捕虜を連れたカオル達は再び帰路につき、途中で、井戸への薬品投入を終えて引き返して来たふたりの近衛兵と合流した。そして、念のためにと残り2つの村の井戸の確認とその他の処置を行いつつ、一行は王都方面へと帰還したのであった。




