29 怒り
フランセットから連絡があり、カオルは久し振りにアダン伯爵家へと出向いた。リオタール子爵家ではない、ということは、表向きの話ではない、ということだ。
そしてそこで王兄ロランドから聞かされる様々な話。
国際情勢、追い詰められた帝国、戦争、そしてルエダ聖国の企み。
「じゃあ、この戦争って、私のせい?」
「いや、そういうわけじゃない」
カオルの問いに答えるロランド。
「元々帝国は、地政学的に、自国を半島の先端部に閉じ込める形になっている国を侵略せざるを得ない状況だったんだ。そして、軍備に力を注ぎ過ぎた。
大体、戦争など僅か数ヶ月で準備が出来るようなものじゃない。元々そのつもりで準備していたんだよ。たまたま、カオルのことも開戦理由のひとつとして追加されたかも、という程度に過ぎないさ」
ロランドの説明に、少し安堵するカオル。さすがに、自分が原因で戦争が起きるなど、嫌過ぎる。
そして、ルエダ聖国のやり口に腹を立てた。
「分かりました。では、明日の昼過ぎに、ここで」
「了解した。では、よろしく頼むよ」
ふたりの口元は、少し吊り上がっていた。悪い顔をした嗤いによって…。
工房に戻ったあと、カオルはその頭脳を全力で回転させた。
今回は、巧く立ち回るためではない。ただただ、全力で敵を叩き潰す。それだけの為に、知恵を絞ってこれからのことを考えた。
もう、能力の出し惜しみはしない。どうせ一部の者には女神だと思われているし、他の者にも女神の寵愛とか何とか思われているのだから、少しくらい不思議パワーが追加されてもあまり変わらないだろう。そんな事より、悪党や兵士以外の者の命が無駄に失われることの方が重大である。
……兵士は良いのだ。それが仕事だし、自分で選んだ道なのだから。
考えながらも工房の皆の夕食を作り、片付け、そしてようやく行動方針を決めたカオルは、翌日に備えて眠りに就いた。
翌日、アダン伯爵邸。
部屋には、アダン伯爵、王兄ロランド、騎士フランセット、カオル、そしてルエダ聖国からの一行。護衛は室外や邸外で待機している。
「おお、御使い様、お会い出来て光栄でございます!」
二人の司教と数名の神官を連れた、なんとかいう名の枢機卿がにこやかな笑みを浮かべて挨拶してきた。禿げた頭に長い髭、でっぷりとしたその腹は、日頃の贅沢が窺い知れた。
カオルが否定した『御使い』という呼び名を使ったということは、情報収集の不足なのか、承知の上でカオルを『御使い様』として祭り上げるつもりなのか…。
「いえ、私は別にセレスの使い走りじゃありませんから。それは周知のことなんですけど。私の事は全く何も御存じないんですね」
冷ややかなカオルの表情に、少し慌てる枢機卿。
「いえいえ、女神セレスティーヌ様のお言葉をお伝えになられる御方は、女神様の御使いであらせられます!」
どうしてもカオルを女神の使いに仕立て上げたいらしい枢機卿。
「ふぅん、そう…。それで、私を呼ばれたのは何の御用ですか」
「はい、御使い様は御存じないかと思いますが、今、アリゴ帝国の軍が、ここ、バルモア王国の王都グルアに迫っております。そこで、帝国の軍が王都に到着します前に、御使い様には是非安全である我がルエダ聖国にお越し戴き、聖国の大神殿にてお守り致したいと……」
反応の悪いカオルに、ここぞとばかりに説得にかかる枢機卿。
「え、でもそれって、聖国の仕業ですよね?」
「え……」
カオルの言葉に絶句する枢機卿。
「だって、聖国の北西から侵入されたのに、どうして南東方向のこの国に知らせが来なかったんですか? 豪華に飾り立てられた、重くて速度が遅そうなあなた方の馬車が着いているのに、早馬の知らせが来ていないのはどうしてですか? 侵攻を受けてから準備して出発したにしてはあなた方の到着は少し早くはないですか? こんなに帝国軍の侵攻が速いということは聖国の抵抗が全く無かったということになりますが、どうして抵抗なく通したのですか? また、なぜ他国に連絡や救援要請をしなかったのですか?」
「え、え…、そ、それは……」
思いも寄らなかったカオルの強い指摘に、返答に詰まる枢機卿。
「…つまり、聖国は帝国軍の味方、グルってことですよね」
「う……」
黙り込んだ枢機卿を無視して、カオルはロランドの方を向いて言った。
「ロランド様、各国に知らせを出して戴けますか。ルエダ聖国が女神セレスティーヌを裏切り中立を放棄、アリゴ帝国に味方した、と」
「な、何を! デタラメだ!」
「え、私は『女神の言葉を伝える、御使い様』じゃなかったんですか?」
真っ赤になって叫ぶ枢機卿に、カオルの冷たい声。
枢機卿は必死になって叫ぶ。
「聖国に逆らえば、破門だぞ! バルモア王国が女神正教から破門されても良いのか!」
怒鳴る枢機卿に、カオルが冷ややかに告げた。
「破門されるのは、ルエダ聖国の方ですよ。女神セレスティーヌは、腐った国が自分の名を使って悪事を働くのはもう許さないそうです。我慢も限界なので、もう自分の名を使うな、と」
愕然とする枢機卿。
「ば、馬鹿な…。聖国は、女神様が奇跡を起こされ、祝福された国! その奇跡を受けた者たちの国だぞ!」
「あ、それ、間違いですから」
「「「え……」」」
カオルの言葉に、ぽかんとする聖国の一行。
「あれは、あの土地に歪みが出来たのでセレスが散らしただけですよ。つまり、祝福されたわけではなく、穢れた土地を元に戻しただけです。マイナスをゼロに戻しただけで、別に他の土地より祝福が多くなったわけじゃありません。
聖職者の先祖だって、別に奇跡や祝福を受けたわけではなく、セレスが浄化の邪魔だから立ち去るようにと言っても従わずに居残り、セレスの作業を遠くから見ていただけの人達だそうですよ。おかげで作業がしづらくて迷惑だった、って愚痴をこぼしてましたよ、セレス」
「そ、そんな…、そんな馬鹿な……」
呆然とする枢機卿は放っておいて、カオルは再びロランドに指示をした。
「ロランド様、聖国の企みと、女神から破門された件、そして聖国には元々何の祝福も無く、ただ女神に迷惑をかけた者達の子孫に過ぎないということ、纏めて各国に知らせて下さいませんか。あ、聖国の国民の皆さんにも周知させてあげて下さいね」
「分かった。すぐに急使を出そう」
「ま、待て、待ってくれ! やめてくれ、そんなことをされたら……」
「自分達のしでかした事でしょう?」
縋る枢機卿を突き放すカオル。
「あ、敵国に侵入して虚偽の情報を流し重要人物を連れ去ろうとする、って、間諜行為? 破壊工作? とにかく、捕縛して情報を吐かせる、ってのが相場ですよね?」
ロランドの指示により、室外や邸外で待機していた兵士がルエダ聖国からの使者一行を全員拘束、王城へと連れて行った。
「情報を教えたのは私だが、しかしそれにしても、容赦ないな…」
「え? 容赦がないのは、これからですよ?」
王兄ロランドの言葉に、カオルはにやりと嗤って答えた。
その顔を見たロランドは思った。
(ああ、この子って、どうしてこう悪人顔が似合うのだろうか……)
「じゃ、各国への連絡、よろしくお願いしますね。私はちょっとやる事がありますので…」
「え、何をするつもりだ?」
何か悪い予感がしたロランドが訊ねた。
「ちょっと出掛けようかな、と。帝国軍を潰しに」
「え………」
ひとりで聖国経由の帝国軍を足留めしに行く。
そう言うカオルを、ロランドは止めた。もう、必死で止めた。
しかしどうしても単独で帝国軍に向かうというカオルに、ロランドは仕方なく護衛の兵を数名付けるということで妥協した。
ここは、女神様の力を信じるしかなかった。王都防衛計画も再検討すべきかも知れない。
「というわけで、ちょっと行ってくるから。もしもの時は、溜め込んだ今までの給金とコレ持って逃げなさい」
元浮浪者、現『女神の眼』構成員の7人の子供達に対し簡単な状況説明を行うと、カオルは数本の治癒ポーションを渡した。市販品ではなく、『女神の涙』に近い性能のものである。勿論、使用期限はない。
そのまま帰ろうとしたカオルは、子供達に取り囲まれた。
「「「お供致します」」」
「え……。いや、2万人の帝国軍に向かっていくんだよ? 死ぬかも知れないんだよ?」
「「「「お供致します」」」」
困惑するカオルに、子供達のリーダーであるエミールは言った。
「あの時助けて貰わなきゃ、このうち2~3人は今頃もう死んでた。数年以内にはもう2~3人死ぬことになってただろう。残ったヤツも、ゴロツキ同士の縄張り争いで殺されるか、盗みで衛兵に捕まって縛り首か……。
でも、今の俺たちは屋根と壁があって雨も風も吹き込まない家に住んで、綺麗な服を着て、腹一杯食べて、明日の話が出来るようになった。この恩は返さなきゃならない。それに……」
「それに?」
カオルの返しに、エミールは胸を張って答えた。
「俺たちは、『女神の眼』。女神様のために情報を集め、そして、女神様を守護する者だ!」
他の6人も、胸を張って頷いている。
引く気は全く無さそうであった。




