24 平和な日々
ブランコット王国第一王子、フェルナンの表情は暗い。
あのパーティーでの悲劇の翌日、カオルが働いていた食堂に見舞いに行ったファビオとアランは、カオルに会えずに戻ってきた。
食堂の者が言うには、偉い人に目をつけられて呼ばれた、もう戻って来られないかも知れない、と言って、食堂に迷惑がかからないようにと辞めて行った、とのことらしい。
そこまで覚悟していたのか。そこまで追い詰めていたのか…。
その後、行方を捜した結果、当日の夜に外門へと向かう血塗れの少女の目撃談。血塗れの少女がろくな荷物も持たずに外門から出たという門番の証言。
無事に他の街に着けたであろうか。
あの傷で、ちゃんと仕事に就けたであろうか…。
考える度、心が重く、暗くなる……。
「フェルナン、面白い話を聞きました」
やって来るなり、少し興奮気味に言うファビオ。
いつも落ち着いたファビオにしては、かなり珍しい。
「どんな話だ?」
少し興味を持って聞くフェルナンに、ファビオはにやりと笑って言った。
「驚かないで下さいよ。今日王都に着いた、グルアから来た商隊の者から仕入れた情報なんですが…、『グルアに女神セレスティーヌ様の御友人が現れ、奇跡を起こし、人々を救い、王と神殿をボコボコにした』って話です」
「何だ、それは……」
フェルナンは呆れた。
そんな、お伽噺でもありそうにないヨタ話を、ファビオが面白がるとは。
「それで、その『女神様の御友人』なんですが……」
まだ続くのか、その話…。
「歳の頃は11~12、黒髪、黒瞳」
なに?
「カオル、という名だそうです」
「バルモア王国へ行く用事を考えろ! 政務、表敬、何でもいい、出来る限り早く行けるようにしろ!!」
「はいはい、そう言われるだろうと思いまして、既に準備にかからせておりますから…」
さすが、ファビオである。
「よし、連れ帰るぞ! あの国の王宮と神殿の双方と揉め事を起こしたと言うなら、居づらくなっているだろう。丁度、都合が良い!」
多少は反省していても、自分に都合良く考える癖はそう簡単には治らないようであった。
「平和だ…」
カオルは、平穏な日々を過ごしていた。
あの『公開会見』の後、頭の悪い者が押し掛けて来るかと少しは心配していたのだけれど。貴族とか、貴族とか、貴族とかが。
しかし、脅しが効いたのか、そういうのは殆ど来なかった。
カオルを捕らえたり脅したりしても、奇跡は女神様にお願いするものである以上、『全て女神様にバレる』わけであるから、意味がない。まさか女神様に人質が通用するとは思えないのだから。
まぁ、下手したら派閥ごと、王都ごと、とか言われたら、上の方からも『手を出すな』と厳命されるであろうし。
結局、カオルは『女神様の友人』というだけで、王族や貴族が強引に接触することによるメリット・デメリット、費用対効果、リスクアンドリターン、そういったものが悪すぎたのである。
神殿側もまた、国民に広く知れ渡っている以上、信徒でもない少女を無理に神殿に連れ込むことはできなかった。
一般の人々も、『女神の寵愛を受けているだけの、普通の女の子』という認識で、敬意は払うものの、おかしな特別扱いをする事はなかった。カオルがそう望んだので。
まぁ、『女神の寵愛を受けている』という時点で、『普通の女の子』と言えるのかどうかは分からないが…。
身内に怪我人、病人を抱えている者達の心中は穏やかではないかも知れないが、押し掛けたり、無理に強要したりした時点で女神様のお怒りを買う、となると、おかしなことは出来ない。
それでも、カオルが店番とかをしていたならば『顔を見たい』、『会ってみたい』という連中が押し掛けたかも知れないが、生憎カオルは工房の営業関係にはノータッチ、奥の方で料理や掃除、雑用等に務めているため、工房に行っても会えるわけではなかった。
外出時においても、元々カオルを知っている者は、『女神様に気に入られていようがいまいが、カオルちゃんはカオルちゃん』ということで今まで通りに相手してくれていたし、その他の者も普通にしてくれた。
それに、そもそも、カオルに気付く者もそう多くはなかった。
黒髪の者が少ないとは言っても、人口が多い王都ではそれなりの人数が居るし、あの時中央公園にいくら大勢が集まったとは言え王都の住民数から見ればごく一部、それもカオルの顔がはっきり判別出来るほど近くで見えた者は決して多くはなかった。そして、ここには写真も無ければ、それを広めるマスコミュニケーション・メディアも存在しなかった。そのため、カオルのことは、せいぜいが『黒髪の可愛い少女』というくらいにしか伝わっていなかったのである。瞳の色など、誰にも見えはしなかった。
そのため、今日もカオルは気軽に街に出掛けていた。
カオルも、別に外出先は市場と図書館と廃屋しかない、というわけではない。たまには普通に散策したり自分の買い物をしたり、買い食いをしたりもする。
カオルが先程屋台で買った串焼きを頬張りながら歩いていると、前方から美人の女性が歩いて来た。
実際にはまだ少女と呼ぶべき年齢であったが、カオルから見ると15歳以上の西洋人は殆どが大人に見える。まぁ、成人年齢が15歳であるこの国では、その認識で間違いではないが……。
背筋が通った姿勢、きびきびとした動き、腰に佩いた剣。服装から見て、騎士か、騎士見習いか…。
そしてすれ違いそうになった時、その女性…、少女が突然立ち止まり、カオルの顔を凝視。驚いた顔をして叫んだ。
「ああっ、女神さまっ!」
……どこの長寿漫画だよ!
「……誰?」
知らない少女にいきなり叫ばれ、困惑するカオル。
周囲の人は、ああ、間違って伝わった噂を聞いたんだな、と思い、スルーした。
「わ、私です、騎士フランセットです!」
「…いや、だから誰?」
騎士フランセットはようやく気付いた。あの時、名を名乗っていなかったということに…。
たとえ名乗っていたとしても、カオルは多分忘れていたであろうが。
女神様、と言い続ける少女の扱いに困り、カオルは少女を近くの軽食屋に引っ張って行った。……この国に、カフェや喫茶店というような洒落た店は無かったので。
昼食までまだ時間があるため、店内は空いていた。カオルは一番隅の目立たない席に座り、適当に注文すると、再び少女に訊ねた。
「…で、誰ですか?」
フランセットは必死で説明した。あの森で会ったこと、エクトル様達の御祖母様が治ったこと、王宮で残り2本を使ったこと……。
カオル呆然。
「王宮の反応の異常な速さは、それでか…。しかし、それにしても……」
身を乗り出し、フランセットの顔をぺたぺたと触る。
「まさか、本当に、ここまで完全に……。さすが、神に匹敵する超高位生命体の謎技術……」
「は?」
「いやいや、何でもないよ、こっちの話」
誤魔化しながら、カオルは考えた。
(どうする? あの女神とは別人の振り? いや、いくら髪の色が違うといっても、顔が同じだからなぁ。偶然似てるだけ、ってのも無理があるか…。なんか、完全に崇拝されてるみたいだし、うまく取り込めば……。よし!)
「騎士フランセット、あなたにお願いしたい事があります」
「は、はいっ! どうぞ何でも御命じ下さい!」
声を潜めてのカオルの言葉に、同じく抑えた声で答えるフランセット。
他の客との距離は充分離れている。カオルは小声でその願いを説明した。
「……というわけで、今、私は『セレスティーヌの友人』ということになっています。まぁ、そのこと自体は本当なのですが…。ただ、私自身は普通の娘、と偽って、ああ、それも嘘ではありませんね。今は人間の姿を纏っていますから。少し癒しの力を持つだけの、普通の娘、です」
「は、はぁ…」
フランセットは、あれからいったんアダン伯爵領に戻り、身辺の整理を行い、先日王都に戻ったばかりであった。伯爵一家が不在の王都邸には顔を出さず、王宮へ初出仕する日まで宿暮らし。そのため、中央広場での件の詳細は殆ど知らなかったのである。
「そういうわけで、今は『普通の娘』として人間の生活を楽しんでいます。変な邪魔はされたくないのですよ」
「は、はい! 決して秘密を漏らすようなことは…」
背筋をピンと伸ばし、真剣な表情で誓うフランセット。
「あ、はい、それもなんですが、お願いしたいのは、別のことで……」
カオルは説明する。
なんとか平穏な生活に持ち込んだものの、今の状態では人々に祝福を与えることが難しいこと。権力者側に味方が欲しいこと。その味方は秘密が守れ、信用でき、自分とカオルの身を守れるだけの力を有していること。
そこで、フランセットの主家であるあの兄妹の伯爵家に密かに接触できないか、と…。
伯爵家ならばそれなりの力を持っているであろうし、親族が祝福の恩恵を受けているし、子供ふたりと臣下の者数名が奇跡に立ち会っている。おかしな真似をする可能性は、他の貴族家に較べるとかなり低くなるだろう。また、カオルとのせっかくの繋がりを断つ危険は冒すまい、との考えであった。
しかし……。
「え? 私、アダン伯爵家は辞しまして…、伯爵領の住居を引き払って王都に移って来たのですが……」
「え?」
せっかく思いついた計画のいきなりの頓挫に、呆然とするカオル。
「…で、明後日から、王兄であるロランド様の護衛として王宮務めとなります」
「えええええ?」
作戦変更、である。
その頃、王宮では。
「兄さん、それじゃあ、やはり融和浸透策で…」
「ああ、無理はせず、ゆっくりと親交を深め信頼を得て行こう」
「とりあえずは、リオタール家の者に任せましょう。あとは、そのツテから少しずつ交流の輪を広げさせて…。
あ、他の貴族からちょっかいを出されにくくするため、リオタール家を子爵位から伯爵位に昇爵させて、何かの役職にでもつけましょうか?」
弟である国王セルジュの言葉に、兄ロランドは呆れたように肩を竦めた。
「それじゃあ、『偉くない貴族』ではなくなってしまうだろう…」
「あ……」
その頃、王都大神殿では。
「大司教様、では、やはり懐柔策で…」
「ええ、少しずつ交流を深め、いずれは我が神殿にお招き出来るように。なに、祖国はお捨てになられたのです。この国には御友人殿の宗派はありません。我がセレスティーヌ正教正統原理派に帰依して戴ける日もそう遠くはないでしょう…」
ペリエ司教にそう告げたソルニエ大司教は、側に控えるかなり年配の巫女に向かって言った。
「巫女シェーラ、お願いしますよ。女神セレスティーヌ様が前回の神託の折、皆への御託宣の後に二人きりでの会話を望まれたあなたです。きっと御友人殿からの信頼を得ることが出来ましょう。何人か供の者を選んで付けますので、よろしくお願いします」
「はい、お任せ下さい」
恭しく受けるシェーラに、大司教は、ふと思い立って訊ねた。
「ところで、巫女シェーラ。もうあれから50年以上経つのです。あの時に女神様とお話しした内容、教えては貰えませんかな。この53年、それが気になって仕方ありませんでした。できれば、死ぬ前に知りたいものですが…」
しかし巫女シェーラは微笑みながら首を横に振った。
「いえ、それは、私と共に墓の中へと……」
「そうですか。いや、そう答えられるであろうと分かってはおりましたよ、ええ……」
ソルニエ大司教も微笑みながらそう答えたが、少し残念そうであった。
(言えません! 『殿方の気を引くには、どうすれば良いのでしょうか』と相談されたなんて! ふたりでずっとその対策を考えていたなんて!!)
巫女シェーラがこの秘密を墓の中まで持って行くのは、確実であった。




