20 リオタール家
翌朝。
研究室で仮眠を取るのはいつもの事であり慣れてはいるが、やはり少し身体が痛い。
目覚めたアシルが少しぼんやりした頭でそう考えていると、いつものように、いつもの声がかけられた。
「あ、アシルさん、お目覚めですか。いつもそんな寝方してると、身体を痛めちゃいますよ」
研究室に泊まった翌日にはいつも言われる、カオルの……、って、ええっ?
「か、カオルちゃん?」
「え、何ですか、そんなに驚いた顔をして。朝食、もう用意できてますよ。
実家に泊まるから朝食は要らない、って聞いてたから、ここで寝てるの見つけて慌てて追加したんですからね!」
そこには、いつもと全く変わらない、カオルの姿が。
え? え?
昨日の僕の後悔と絶望は? え?
朝食を終えた少し後に、実家からの使いの者が来た。
『すぐに来い』
まぁ、そうだよねぇ……。
とりあえず、カオルちゃんを資材庫へ連れて行き、昨日の話を聞いた。
カオルちゃんの手を引っ張っていく時、アルバンとブライアンの視線が痛かった。いや、何もしないぞ! 話をするだけだ!
昨日あれから、カオルちゃんは馬車で知り合いの所へ行って着替え、すぐに帰ってきたそうな。知り合いの家までは馬車だったため、アシルが戻った時には既に先に帰ってきており、もうベッドにはいっていたとか。
いや、違う、聞きたいのはそこじゃない!
「あの、カオルちゃん、昨日のあれは……」
「あ、ドレスは、その知り合いが用意してくれて…」
「いや、そこでもなくて! あの、カルヴィンの怪我を治した力は……」
「ああ、女神様から授かった力ですけど?」
そ、そんな簡単に……。
がっくりと膝をつくアシル。
結局、アシルがカオルから何とか聞き出した話は、次のようなものであった。
カオルは遠い国の出身であり、ある日、女神セレスティーヌ様に気に入られてお友達になり、不思議な力を授かった。
しかし国に居られなくなった。理由は察して欲しい。
この国に来て普通に暮らしていたが、せっかく女神様から授かった力を使わず、不幸になっている人を救おうとしないのは間違っているのではないかと思い悩んでいた。
そして、『力のことを一部の者に知られたら、また狙われる。でも、一度にみんなに知られたら、誰も自分を独占できなくなるのではないか』と考えた。誰も、敵対派閥がカオルの身柄を独占することなど許さないだろう、と。
で、昨夜、大勢の貴族の前という格好の場が得られ、とっさにやっちゃいました。ごめんなさい。
「え、それじゃ、セドリック兄さんに興味があって『交際申し込みの儀』の列に並んだわけじゃ……」
「『交際申し込みの儀』? 何ですか、それ?」
「は、はは……。いや、何でもないよ、はは……、ハァ」
力なく笑うアシル。
「いや、そうじゃなくて、どうするつもりなんだよ、これから! 大騒ぎになるだろう! 父上にどう言って説明を…、いや、それよりも、カオルちゃんの身の安全を……」
焦るアシルに、カオルは落ち着いた顔で答える。
「ああ、昨夜のことは人に話しても最初はなかなか信じて貰えないでしょうから、今日明日にすぐにどうこう、ということはないでしょう。
まぁ、あれだけの人数の貴族がいましたから、数日も経てばさすがに上も動くでしょうけど、その頃には噂は充分に広がっていて、一部の権力者がこっそり、という訳には行かなくなっているかと…」
「上?」
「はい、王宮、とかですね」
「………」
「あ、アシルさんのお父様には、『政治の道具にされそうになって逃げて来た他国の娘を助けたら、懐かれた』とでも言っておいて下さい。『今現在、信頼されているこの国の貴族は自分だけだ』とか。本当のことですしね。
多分、そのうち私を呼ぶようにと上から言ってくるでしょうから、その時になったら私のことを教えて戴いて構いません。
まさか私がこんなところで平民としてお手伝いさんをしているとは誰も思わないでしょうから、それまではそうそう見つかりはしないでしょう」
「カオルちゃん、君はいったい……」
「父上、お呼びだそうで……」
「巫山戯るな! さぁ、説明して貰うぞ! あの少女に関することを全部喋れ、今すぐ!!」
アシルが実家であるリオタール子爵邸に戻ると、怒り心頭の父親に迎えられた。場所は子爵の執務室。長兄のセドリックの姿もあった。
「昨夜、あれからどうなったと思っておる! 幸いにもセドリックへの『交際申し込みの儀』は済んでいたからパーティーとしての一応の体裁は保てたが、あの後、どれだけの騒ぎになったか! そして、私がどれだけ質問攻めにされたか!!」
いつもは温厚な父の怒りに怯むアシル。
「どこの令嬢か。アシル殿との関係は。セドリック殿の『交際申し込みの儀』に並んだということは、そういうことなのか。あの力は何か。あの少女は女神セレスティーヌ様の御使いなのか。少女とリオタール子爵家との関係は。
知らん。私は何も知らん。何を答えられる? だが、それで興奮した連中が納得すると思うか? アシル、なぜひとりで逃げ出した!!」
いや、そりゃ、それが自分に向くのが嫌だったからに決まっています、父上……。
その後、アシルは父親に、概ねカオルに言われたとおりに説明。
息子のみがあの少女の信頼を得ている、と知った子爵は、喜び、そして悩んだ。
女神様の寵愛を受けし愛し子、御使いの少女。親交を持てれば。そして、もし、もし息子と……。
だがしかし、一介の子爵家に過ぎない我がリオタール家に、そんなことが許されるのか? 伯爵家や侯爵家、更には公爵家や王族すらも、彼女を求めて群がり寄るのでは? そんな中で、少女と親交の深い一介の子爵家が無事でいられるのだろうか。
揉め事に巻き込まれる程度ならまだしも、邪魔な存在として叩き潰されるのでは?
だがしかし、それを恐れて手を引くにも、既に昨夜のことはとっくに広まっているだろう。アシルと仲が良く、セドリックの『交際申し込みの儀』に並び、セドリックと使用人のために奇跡の力を行使したのだ。今更の話か……。
「分かった。アシル、彼女の居場所は知っているのか?」
「はい。しばらくは他の者には見つからないと思います」
「よし、王宮からの勅命があれば従い、仲介役を務める。他の貴族家等からの問い合わせや圧力は全て無視だ。それまで、彼女を守り、親交を深めろ。
会いに行く時には、尾行に気を付けろよ!」
「分かりました…」
「アシル、彼女に伝言を頼みたい」
それまで静観して話を聞いていたセドリックが、突然アシルに話し掛けた。
「彼女、カオル殿に、交際のお申し込み、喜んでお受け致します、とお伝えしてくれ」
あぁそれか、と、アシルは兄に少し意地悪をしたくなった。
「兄さん、カオルちゃんは、あれが交際の申し込みだとは知らなかったそうだよ。ただ、兄さんと父上に挨拶して、カルヴィンを治癒したかっただけだって。僕の父親と兄に挨拶したかっただけで、兄さん本人には何の興味もない、って。『今現在、信頼しているこの国の貴族はアシルだけ』だってさ!」
「なん…、だと………」
呆然とする、兄、セドリック。
悪い人ではないけれど、いつも自信たっぷりで、弟には常に上から目線である兄を一度へこませてやりたいと思っていたアシルは、少しスッとした。
その後アシルは、兄が復活して何か言われる前にと、急いで工房に戻った。
王宮からの使者がリオタール子爵家に着いたのは、そのしばらく後のことであった。
さすがのカオルも、自分が以前戯れに与えた3本のポーションがどこでどのように使われ、それがどういう影響を及ぼしたか、ということまでは予想できなかった。
王宮の主要人物たちが数ヶ月前に『女神の奇跡』を目の当たりにしたばかりであり、昨夜のことを聞いた瞬間に即座に動いた、などということは……。




