198 ミーネ
「じゃあ、こちらの方々の言われることに従い、ちゃんと働くんだぞ! へへへ、よろしくお願いいたしやす!」
そう言って、ぐいっと背中を押されて、その人の方へと押し出された。
そう、私を養女として引き取りたいと申し出たらしい、その男の人の方へ……。
今までにも、養子として貰われていった子は何人かいる。
でも、それは数年にひとり、いるかいないか、という程度だった。
当たり前だ。病気や事故、戦争、盗賊、その他諸々。人はよく死ぬし、孤児はどんどん増える。
子供が欲しい夫婦がいたとすると、その人達の兄弟姉妹、親戚、お友達等の中に、子供を残して亡くなった人のひとりやふたりはいるものだ。両親共に亡くなった者、片親はいるものの到底子供を育てられる状況ではない者、その他諸々……。
なので、赤の他人を孤児院から引き取るのではなく、そういう『知らない仲ではないところの子供』を引き取るのが普通であり、事情や血筋も分からない子供を孤児院から引き取るという者は決して多くはない。
ま、無理もない。引き取って長年育てた後で、『自分達の老後の面倒を見させるから、うちの子を返せ!』などと、嘘か本当かも分からないことを主張する『自称・本当の親』に怒鳴り込まれたり、金銭を要求されたり、せっかく育てた子供を無理矢理連れ去られたりということもあるらしいから……。
それでも、ごく稀には孤児を引き取りたいと言ってくれる人がいて、そういう人が現れた場合はしっかりとその人の事情や身元を調べ上げ、問題がなければ引き渡し、そしてその後も定期的に子供の様子を確認することになっていた。
……半年前までは。
半年前に、ずっと昔に私財を投じて孤児院を設立し数十年に亘って運営し続けてくれた『お父さん』が高齢のため泣く泣く引退、あとを任せた『おじさん』……『お父さん』は、お父さんだけだから……の代になってから、様子が変わった。
2~3カ月にひとりくらいのペースで養子に貰われてゆき、その分を補充するかのように、新しい子がやってきた。
そして、なぜか貰われてゆく先は、この国ではなく、他国。
それぞれの国にも孤児院があるし、孤児院にも入れない子供達が大勢いるのに、どうしてわざわざ他国から……。
みんな疑問には思っていたけれど、かといって何ができるわけでもなく、大人達に聞いても『養子に貰われていった子が羨ましいのだろう』と言って笑われるだけだった。
そして私の番が来て、8歳の時に隣国の中堅商家に養女として貰われていった。
そう、『養女として』、貰われていったはずなのだ。
……しかし、隣国の商家に着いた私を待っていたのは、商家の娘としての生活ではなく、朝早くから夜遅くまで無給で働く従業員、……いや、奴隷としての生活だった。
……話が違う。
私は、養女として迎えられたはず。だからこそ、孤児院が行った孤児引き取りの審査に通ったと聞いていた。
しかし、なぜか書類上は私は『50年分の給金を前払いしてある、住み込みの奉公人』ということになっているらしく、事実上の奴隷であったのだ。
……騙された。
そう、孤児院の運営に慣れていない『おじさん』が、調査不足でこの連中に騙されたのだろうと思った。『お父さん』の時には養子の数はずっと少なかったから、多分審査が緩くなっていたんだ、と。
なので、状況を確認し、孤児院へ帰るための道筋、距離、そのために必要なものを調べ、そして最低限の路銀を密かに貯めるのに1年近い月日を要した。
……給金なんかない中、お客さんから貰ったお駄賃とか道端で拾った鉄貨だとかをこつこつと貯めて、数日分の堅焼きパンを買えるだけのお金を貯めるのには、苦労した。
夜は野宿。そして草や木の実を食べながら森の中を歩き続ければ、そう大してお金が必要なわけじゃない。
それに、勿論、逃げ出す時にはこっそりとお店の中を漁って、水を入れる皮袋、食べ物、その他お金になりそうなものを持てるだけ持っていくつもりだ。
窃盗? いやいや、1年分の給金としちゃ、格安だろう。
それに、嘘を吐いて私を攫った誘拐犯、かつ違法奴隷売買の犯人の住処から逃げ出すのに必要なことならば、罪に問われるとは思えない。
うん、問題ない。
そして、準備がほぼ整った頃には、私は9歳になっており、そしてそろそろ身の危険を感じ始めていた。
……そう、『そういった方面』の……。
また、その頃、私がいたのとは別の孤児院から、6歳の男の子が引き取られてきた。
……養子、という名目で。
勿論その実態は、私と同じく、奴隷同然の無給の労働力。
私より前に買われてきた『先輩達』は、もう全てを諦めているのか、ただ無気力に日々を過ごしているだけだ。でも、孤児院にいた頃に懐いてくれていたジェシーに似たこの子は、まだ諦めと絶望に染まってはいない。そして、表向きは従順な振りをしている私に、なぜか懐いてくれている。
急遽、予定を変更してこの子も連れていくことにした。
何、移動速度が少し落ちるのと、食料の消費量が2倍になるだけだ。大したことじゃない。
そして、『その日』を待つ……。
* *
「起きて、アラル……」
「ん……」
寝惚け眼のアラルに、小さな声で、そっと告げる。
「私はここから逃げ出すわ。……一緒に来る?」
「うんっ! どこまでもついていく!!」
アラルは、利発な子だ。寝惚け眼がくわっと開き、そして小さな声で、しかし力強くそう言って頷いてくれた。
「上等よ! よし、作戦開始!!」
水を入れる皮袋、保存食、そして釣り銭の置き場所は分かっている。伊達に1年間下働きをしていたわけじゃない。必要なものを片っ端からバッグに詰め込む。
ひとりで運べる量を厳密に計算し、持っていくものの種類や量はきっちり決めてあった。それに、アラルの消費量と持てる量を考えて計算し直し、素早く準備を進めていった。
お金は、銀貨以上は全て金庫に収められているけれど、釣り銭として用意してある鉄貨と銅貨は簡単な鍵が付けてある机の引き出しに入っている。大した金額じゃないから。
……そんなの、その気になれば簡単に開けられる。
これは、『盗み』じゃない。
私の1年間の給金の、ごくごく一部を支払ってもらうだけだ。
そして残りは、別の形で支払ってもらう。……いささか強烈な形で。
大きな取引の、重要な証文は金庫に収められている。
でも、少額の取引や、お金の遣り取りの証文ではない普通の文書や覚え書き、取引の予定表とかは、普通に机の引き出しに入れてある。
……それらを全部、ずだ袋に突っ込んだ。
ずっと持ち運ぶわけじゃない。手近なところで川にでもぶち込むから、一時的に担げる量であれば問題ない。
そう、少しでも店を混乱させて、私達を捜すための人手を減らすのだ。
そして……。
そっと内鍵を外して外へ出て、扉に用意していた紙を貼りつける。
文字は、孤児院で『お父さん』や『お母さん』達に教えてもらった。
その拙い文字で、思い切り書き綴った、私達『養子として引き取られた奴隷』のこと、この店のあくどいやり口、脱税のやり方、二重価格、証文の偽造や書き換え、その他諸々について……。
商取引や税、帳簿の計算等は、孤児院で教わった。
……というか、眼が悪くなって帳簿をつけるのが難しくなった『お父さん』を助けるためにやり方を教わり、『お父さん』が引退される前の1年くらいは、孤児院の帳簿記入は私が任されていた。
でも、ここでは私は何も知らない振りをしていた。そして、私には理解できないだろうと思って、私がいる時にも平気で不正行為の話をしていた商会主や番頭達。
『いいか、ミーネ。多くの人は、自分を実力以上に見せようとする。でも、そんなことをすれば、後で本当のことがバレると相手を失望させるだけだろう? でも、最初に過小評価されていれば、本当の実力を知ってもらえたときには喜ばれるだろう? そして何より、……相手が自分を馬鹿にして油断してくれていると、色々とやりやすいからな』
そう、『お父さん』に教わったのだ。
また、騙され、搾取された場合は、必ず相手がそれによって得た利益を上回る損失を与えろ、と。
でないと、そいつらは次の獲物から同じように搾取するから、と。
だから、孤児院の子に手出しすれば利益どころか大損する、と思い知らせる必要があるのだ、と。
自分が泣き寝入りすれば、それは自分だけの損失ではなく、味をしめた連中により大勢の後輩達が餌食になるのだということを。
そして、更に色々なことを教わった。
『最悪の場合は、敵と刺し違えろ。そうすれば、少なくとも大勢の後輩達を守ることができる』
『出来る限り敵に打撃を与え、こっちに手出しする余裕をなくさせろ』
『怒りを燃料にして、凶暴な自我に喰わせてやれ! そうすれば、無敵の力が湧き上がる……』
『失うものがない者は、無敵だ!』
孤児院を開く前は、何をやっていたんだろうか、『お父さん』……。
そして、どうやって孤児院の開設資金を手に入れたのだろう……。
でも、多分、その教えは正しい。だから私は、その教えを守り、従う。
「……よし、脱出!」
その後、商業ギルドの扉、広報用の広場の立て看板、その他数カ所に同じ紙を貼り付け、街から逃亡。
別に、城塞都市というわけじゃない。街が壁で囲まれているというわけじゃないから、街から出るのに何の支障もなかった。
あとは、アラルと一緒に、懐かしの我が家、孤児院を目指して歩くのみ!
たとえ何日、何十日かかろうが。
泥水を啜り、草を食むことになろうが。
……帰る。
必ず帰り着く。
あの、仲間達がいる孤児院へと……。
……それがなぜ、短剣を持った『少なくとも数十人は殺したと思われる、殺人者の眼』をしたお姉さんに睨み付けられ、そして明らかに弓より強力そうに見える必殺の武器らしきもので狙いをつけられているのだろうか……。
「「ひいっ!!」」
アラルとふたり、思わず飛び退って、尻餅をついた。
「こ、殺さないで!!」
その時は、私もアラルも、思ってもいなかった。
それが、私達の栄光の日々の始まりであったということなど……。




