190 事業開始 3
「……というわけで、ハングとバッドを連れてきたよ!」
「何が、『というわけで』なのか、分かんないよ……」
困惑するミーネとアラルの前にいるのは、馬屋に預けていた、ハングとバッド。
馬屋に預けて郊外の牧場で世話してもらっていると、2頭を使う機会が全然ないのだ。
ちょっと街中のどこかへ行くくらいなら、馬屋にハングとバッドを連れて来させたり、私達が直接郊外の牧場に行ったりするよりも、目的地まで歩くか辻馬車を拾った方がよっぽど早い。
つまりそれは、遠出でもしない限りハングとバッドの出番が全くないということであり、……そして私達には、今のところ遠出する予定は全くない。
……そりゃ、泣くわなぁ、ハングとバッド……。
なので、逃げる心配もなく、口頭指示で言う通りに動いてくれるハングとバッドなら、ここで一緒に暮らしてもいいんじゃないかと思ったわけだ。周りには民家はないし、森の手前までは草むらだから、放牧状態にできるし……。それに、見張り番代わりにもなるしね。
幸い、物置か何かに使っていたのか、厩代わりに使えそうな小屋もある。
勿論、心を込めて世話をするけれど、専門家じゃないから正規の牧場のような完璧さは無理だ。だけど、その代わり私とレイコはハング達と話ができるし、怪我や病気にはポーションがある。だから、問題はないと思うけれど、そこは本人……本馬達の希望に沿いたいと思う。
なので、うちで暮らすのと馬屋が経営している牧場でのんびり暮らすのとどっちがいいか聞いたところ、当然のことながら、うちで暮らす方を選択したわけだ。2頭が、自分達の意思で。
うむうむ。
そして……。
「……というわけで、『体験勤務』はこれで終わり。うちがどういう場所で、どういう仕事をして、何を目指しているかは大体分かったと思う。なので、改めて聞くよ。
うちで働き続けるか、今までの給金を受け取ってどこかへ行くか、決めなさい。
但し、うちで働き続けることを選んだ場合、ここで見聞きした『普通じゃないこと』の口外禁止、という条件を守ってもらいます。そして、将来独立して自分達で店を持つ時には、ここで覚えたことを全て使っても構いません。
よく考えて、返事は3日以内に……」
「「ここでずっと働きます!!」」
「即答かい!」
というわけで、ミーネとアラルは正式にうちの従業員となった。
ならば……。
「ここが、地下室への入り口。在庫物資を取り出す時、作った商品を保管する時、……そして盗賊やうちを狙う悪党共に襲われた時には、逃げ込んで助けが来るのを待つために使う場所だよ。
出入り口を閉めると目立たなくて見つかりにくいし、内側の閂を掛ければ、外側からは力を入れて掴めるところがないから、なかなか開けられないはずだよ。普段開閉に使う取っ手は、閂を掛けた状態で無理に引っ張ると簡単に取れちゃうようになってるからね。
そして、自分達が降りた後は階段の留め金を外しておいて、誰かが降りようとしたら真っ逆さまに落ちるようにして、更に落下地点には毒を塗った竹を植えた台を置くように。私達は別の出入り口を使うから、そっちの心配は必要ないからね」
「…………」
なぜ、引き攣ったような顔で黙り込むのかなぁ、ミーネ……。
「ふえぇ……」
まだ6歳のアラルは、眼を丸くしている。
ふたりに開放するのは、第一層だけだ。今のところ、それより下層を開放する予定はない。
そして数秒後、黙り込んでいたミーネが、呟いた。
「隠れたり立て籠もったりするのはいいのですが、反撃して、賊共をこちらから積極的に殺してはいけないのですか?」
……どこの弓兵だよ!
「ひとり一殺、この身体を盾にして、必ずやカオル様とレイコ様をお守りします。なので、私が義務を果たして死んだ後は、何卒、アラルのことを……」
私の脳裏に、別の、ふたりの孤児の姿がよぎった。昔のままの、懐かしい姿が……。
「そんなのは求めてない!」
私が突然怒鳴ったから、二人がびっくりして怯えている。
……って、ちょっと怯えすぎでは……、って、いい、分かってる! くそ……。
顔から力を抜いて、微笑んで、優しい眼をして……、って、どうして余計に怯えるんだよ!!
とにかく、言うべきことを言ってしまおう。
「私達は、自分の身を守ることくらいできる! 子供に命を投げ出してまで守ってもらう必要なんかないよ、大人を馬鹿にするな! 子供は、黙って大人達に守って貰ってりゃいいんだよ、無理に背伸びなんかするんじゃない、10年早いわっ!」
言い方がキツい? いや、この手合いは、これくらい言っても足りやしないんだよ。そういうのは、この世界での『第一シーズン』で充分思い知った。
今度は、狂信者は作らない。子供は、子供らしく成長させるんだ。
「……え? 大人、って……。ここ、他にも人がいるんですか?」
……うるさいわ!
「ええっ、おふたり共、15歳? レイコ様はともかく……」
だから、うるさいっての! 身長は、レイコとそこまで大きく変わらないだろうが! ……身長は!!
クソがっっ!!
はぁはぁはぁ……。
ぎろり!
「は、ははは、はいっ! わ、分かりました、15歳ですね、はい、15歳!!」
……よし、分かればいいんだよ、分かれば……。
「それと、これを持ってなさい」
そう言ってふたりに渡したのは、お揃いのペンダント。
「首に掛けて、服の内側に入れておきなさい。外から見えると、金目のものだと思って奪おうとする者がいるかもしれないからね。……これは装身具じゃなくて護身用のものだから、他人に見せる必要はないから」
「お守りですか?」
ミーネが、そう聞いてきた。
まぁ、普通はそう思うよね……。
「ううん、これは気休めの飾りじゃなくて、実用品。いい、使い方をよく見ておいてよ……」
そう言って、教育用に作ったものをポケットから取り出した。見た目は同じだけど、あくまでもこれは教育用の見本に過ぎない。だから……。
「まず、賊に襲われた場合、相手にこの部分を向けて、ここを押す。すると……」
ぷしっ!
「このように、少量だけど勢いよく霧状のものが噴き出すからね。押すのは一瞬でいいから。
相手が多い場合は、押したままぐるりと周りに吹き付ける。
これは見本だから噴き出しているのはただの水だけど、ふたりに渡したものからは眼にかかったり鼻や口から吸い込んだりすると七転八倒の苦しみを味わう毒霧が出るから、本番以外では絶対に使わないように! ……まぁ、後遺症は残らないから、悪い奴らに対して使う場合は、躊躇ったり遠慮したりする必要は全くないからね!」
「う……、うん……」
「そして、この部分をつまんで引き抜くと……」
ぴーっ、ぴーっ、という可愛い音が出た。
「本物は凄く大きな音と、『誘拐犯です、助けてぇ~!』って大声が交互に出るから、攫われそうになったり、助けを呼びたい時には、遠慮なく使うこと! アラルには、後でミーネからもう一度じっくりと説明してあげるように」
「は、はい!」
うむうむ、こんなところでいいだろう。
下手に鉛玉が飛び出す射出武器なんか持たせたら、誤射や操作ミスとかで無関係の人を怪我させたり、自分達が怪我したりするかもしれない。だから、持たせるのは万一のことがあっても後遺症が残らないようなものだけ。
それに、この子達に人を殺させるのは、なるべく避けたい。
こんな世界だから、甘いことを言うつもりはないけれど、そういうのは、もう少し大きくなってからで、かつ、他に方法がなくて仕方なく、って時が来るまでは、先延ばしにできるに越したことはない。
それに、この子達が狙われるとすれば、それはこの子達を金蔓にするためであって、決して遠距離から狙撃してヘッドショット、一撃必殺を狙う、というわけじゃないだろう。なので、誘拐さえ防げれば、それでいい。敵の殲滅は、後で私とレイコが担当すればいいだけのことだ。だから……。
「これを使うのは、本当に身の危険を感じた時のみ。遊びや冗談、悪ふざけで使っていいようなものじゃない。
……でも、使うべき時には躊躇わずに使うこと! お金を持っているくせに、勿体ないからと節約し過ぎて病気になったり飢え死にしたりする者は、頭がいいと思う?」
ぶんぶんぶん!
うむうむ、全力で首を横に振っているな。何か、首が取れそうで怖いから、それくらいにしとこうか?
よし、これだけ言っておけば、大丈夫だろう。
あとは、始めたばかりの事業を軌道に乗せるのみ。規模の拡大や他の事業の開始は、その後だ。
とりあえずは、始めた事業が黒字で、何とかやっていけてる、ということを街の連中に示すのが先決だ。黒字の企業には、信用ができる。事業には最も重要な要素である、『信用』が……。




