18 注目
リオタール子爵家 長子誕生パーティー当日
リオタール子爵家三男、アシル・フォン・リオタールは先程からそわそわしながら会場を見回していた。
まだか、まだ来ないか……。
疑っているわけではないが、何か事故や手違いでも、と不安になる。
会場には、既に本日の主役である長子のセドリックを始めリオタール家一同、そして来客も概ね揃っているようであった。
この国では、日本のように最初に主催者挨拶やスピーチが行われることはない。来賓が遅れることはよくあるので、始めは自由に歓談、ある程度時間が経ってから挨拶やスピーチが行われるのである。なので、実質的には既にパーティーは始まっている。
そしてアシルの心配がしだいに大きくなってきた時、パーティー会場にひとりの少女が現れたのであった。
パーティーの主催者であるリオタール子爵は、あちこちで交わされる会話でざわついていた会場がやけに静かになっていることに気がついた。
(何かあったのか?)
せっかくの長男の誕生パーティー兼お相手探し、ケチを付けるわけには行かんぞ…。
リオタール子爵が静かになった来客達の視線が集まる方へと目をやると、そこには、12歳くらいのひとりの少女の姿があった。肩のあたりまでの艶やかな黒髪、整った顔立ち、…目付きは少々キツいが、貴族としてはそれもまた意思の強さを現していて悪くはない…、そしてその身に纏う純白のドレスの何と見事なことか! どこの王族かと思われるそのドレス。そして、その身を飾る首飾り、髪飾り等の宝石類はいったい如何ほどの価値があるものか!
いや、金額などという無粋な問題ではない。いくら金貨を積もうとも、手に入らないものは手に入らない。そういう類の装身具の数々であった。
確かに、成人前のまだ幼い少女である。しかし、そんなもの、数年待てば良いだけのことだ。自分の手の中で成長するその姿を見守るのもまた、至福であろう。そう思わせる、可憐なその姿。
聡明そうであり、意思の強そうな瞳。金貨何百枚かかるかという宝飾品。
どこの令嬢だ? いや、お忍びの、どこかの国の王女殿下か? 如何にも高笑いが似合いそうな目付きだ……。
静まる会場、皆の視線の中、その少女は真っ直ぐに正面、リオタール子爵や本日の主役であるセドリックが座る席の方へと歩み続け、………右へと曲がって料理コーナーへと向かった。
がくりと項垂れる子爵。何たる肩すかし……。
嬉々として大皿から取り皿へと料理を取るその姿に、皆、生きた心地がしなかった。
(((ド、ドレスが汚れるぅ~~~!!)))
給仕が飛んで行き、あわてて取り皿を奪い取った。少女に欲しい物を聞き、代わりに皿に取り分ける。
受け取った料理を美味しそうに食べる少女。
ようやく音を取り戻した会場では、少女に話しかけようと男性陣が群がった。
しかし、『料理の皿を手に持った者には話しかけてはならない』というマナーがあり、途切れることなく食べ続ける少女に誰も話しかけることができない。
いつまでも食べ続ける少女。
その周りで、話しかける一番手を狙い互いに牽制しつつそわそわする男達。
少女はふと男達の方に目を向けると、ようやく取り皿をテーブルに置いた。
い、今だ!……
男達が我先にと声をかけようとした瞬間。
「本日はお招きありがとう、アシル!」
にっこりと微笑む少女の視線の先には、パーティーの主催者であるリオタール子爵家の三男、アシル・フォン・リオタールの姿があった。
「か、カオル…、ちゃん……?」
そこには、呆然として、ぱかんと口を開いた、アシルの姿があった。
何? どういうことだ? あの少女がアシルの知り合い?
気にはなるが、主催者が若い者同士の歓談に割り込むわけには行かない。ホストとしての務めを果たさねば……。
リオタール子爵は、すぐにアシルの所へ飛んで行き問い詰めたい心を抑えつける。
長男セドリックもまた、気になって仕方なかったが、同じく主役が席を立つことはできない。今日は、自分の席で父と共に、順次挨拶に来る各家の当主や後継者、令嬢等の相手をしなければならないのである。
いったい誰なのだ、あの少女は。そして、アシルとはどういう関係だ?
「アシル殿、こちらの御令嬢を是非紹介してくれたまえ」
取り囲む男達に迫られるアシル。
少女ひとりならば直接声をかけても良いのだが、少女の家族や友人、知人等が同席している場合は、まずはその者に紹介を頼むのがルールである。
「あ、ああ、彼女は、カオル……」
それ以上、言うことが無い。平民だから家名は無いし、まさかお手伝いの少女だと言うわけにも行かない。このドレス、この宝石を身に着けた少女に対してそんな紹介をすれば、巫山戯るなと袋叩きにされるのは確実だ。
困り果てるアシル。
「カオルと申します。家名は、あの、内緒でお願いします…」
アシルに助け船を出すカオル。
男達は家名を伏せたがるカオルのことを、やはりお忍びか、と考える。そして、アシルの様子から、アシルとは単なる知り合い程度に過ぎないと判断し、我先にとカオルに話しかけた。身元に関しては触れない、という配慮は忘れずに。勿論、女性に年齢を聞くような無礼者はいない。
「カオルさん、御婚約等はされておりますか?」
「いえ、まだですわ。当家では、殿方は自分で捕まえる、という家風でして…」
少しはにかむカオル。色めき立つ男性陣。
カオルを取り巻く男達は、10歳前後から十代後半までの少年達、その上の青年層、更にその上の中年層までと、幅広い構成である。
「アシル殿とはどのような御関係で?」
「アシルは、この国に来て最初のお友達です。色々とお世話になっておりますの。私の手料理を食べて、美味しいって褒めて下さいますのよ」
うん、嘘はない。
大した関係ではないと思っていたアシルが令嬢の手料理を振る舞われるような関係と知って、警戒する男達。名を呼び捨てのようだし…。
「御自分でお料理を?」
「ええ、結構上手ですのよ。今日も、この国のパーティー料理が食べられると聞いて、アシルにお願いして呼んで戴きましたの。うちの国の料理と食べ比べてみたくて…」
さっきからの食べ続けはそのためか、と思う男性陣。ただ単に、カオルの食い意地が張っているだけであったが。
「で、では、今度の我が伯爵家のパーティーにも、是非お越し下さい。自慢の料理の数々を味わって戴けますよ」
「いや、当家の料理長は元王宮勤めで…」
「当家では…」
しばしの間、料理自慢とパーティーのお誘いが続いた。
アシルは、とても平民とは思えない、その別人のようなカオルに動揺し、話し掛けられないでいた。
「皆様、本日はようこそお越し下さいました!」
挨拶の時間が来たらしい。
カオルの周囲の男達も、さすがにこれは無視できない。いったんカオルの包囲が解かれ、皆、会場の前方へと散って行った。
挨拶で、リオタール子爵は来客達への礼、リオタール家の最近の話題に少し触れ、本日の主役たる長男セドリックの紹介。そして、次男と、三男であるアシルのことにも少し触れ、セドリックとアシルにはまだ婚約者がいないことにもちゃんと言及する。その時、アシルと、その横に立つ黒髪の少女の方へちらりと目をやった。
挨拶と紹介が終わり、各個の歓談が再開され、男達がまたカオルの方へと寄り始めた。しかし、そこにはもう一つの人の流れがあった。
「あれ? アシル、あの人達はなに?」
かなりの人数の女性達が、それぞれ手に何かを持って前の方、子爵やセドリックの方へと向かっていた。
「あ、ああ、あれは、今日の主役である兄さんに、名前を覚えて下さい、って女性が贈り物を手渡しに行ってるんだよ。既婚者や、婚約者、恋人とかがいる子は行かないよ」
ようやくのことでカオルと話すアシル。
「え、聞いてないよ?」
「カオルちゃんには関係ないでしょ」
う~ん……。
予定変更、ここで出る!
「私もちょっと行ってくるね!」
「え? え、何? どういう…、待って、駄目!」
顔色を変え、必死で引き留めようとするアシルの腕をひょいと避け、カオルは主役の席へと向かった。途中、ある使用人の位置を確認した。アシルの話にあった特徴を持つ、その使用人の位置を。
カオルが前方に行くと、そこには令嬢方による列が出来ていた。モテモテである、子爵家長男。
「あら、貴方もセドリック様に?」
列の最後尾に並んだカオルに、前に並ぶ、如何にもな御令嬢から声が掛けられた。
「それにしては、贈り物を御用意なさっていないようですわね。手ぶらで御挨拶なさるおつもり?」
先ほど男性達の注目を独り占めにしていたカオルに対しての嫌味か、セドリックを巡る争奪戦の牽制か……。
「あ、大丈夫です。ご心配なく」
軽く返すカオル。
「あら、そう。そういえば、以前、贈り物を落として壊してしまった子が、手への口づけを贈り物代わりにしたとか、愛称で呼ぶ権利を贈ったとか聞きましたわね」
貴族の少女は、そう言うと、ふん、という顔で正面に向き直った。
多分、贈り物を持っている様子のないカオルのために、アドバイスしてくれたのだろう。
(え、えぇ子やぁ……)
列の令嬢たちは、セドリックに贈り物を渡し、少し話をし、次の者に代わる。
令嬢方の列はしだいに短くなり、最後尾、カオルの番となった。
「君は……」
まさか来るとは思っていなかった黒髪の少女に、驚きの声を漏らすセドリック。
「弟の彼女、じゃないのかい?」
「アシルとはお友達ですよ。とってもいい人です」
「いい人、ね。はは……」
セドリックは、少し弟が可哀想に思え、力なく笑った。
隣に座るリオタール子爵も、苦笑い。
「今日は、お招き、ありがとうございました。アシルのお兄さんとお父さんに御挨拶したくて、列に並んじゃいました」
「弟は、なんか死にそうになっているが……」
セドリックは、顔色の悪い弟の方にちらりと目をやった。
「で、列に並んで手ぶらというわけにも行きませんから、贈り物をしたいと思うのですが…」
そう言われて少女を見ても、何も持っているようには見えない。まさかその身に着けた宝石を渡すわけではあるまいし。
「使用人のカルヴィンさんを呼んで戴けますか?」
「え……」
予想もしない少女の言葉に、セドリックは絶句した。




