179 新たなる旅立ち 3
「そろそろいいかな……」
「え、何が?」
「いや、街から充分離れたし、人もいないようだから、そろそろ馬車を出そうかと……」
そう、ふたりとも馬には乗れるけれど、騎乗で何日、何十日も旅をするのは、ちょっと辛い。
なので、馬車の旅にしようと思うのだ。
馬車ならば、雨が降っても大丈夫だし、野営の時には中で寝ることもできる。
いや、勿論、雨の中をハングとバッドに歩かせたりはしない。すぐに木陰かどこかで雨宿りさせるよ。
「ああ、戦車とか言ってた……」
「いや、それとは別のやつ。あれは……」
そう、あれは、エドが牽く馬車だ。他の馬には、牽かせるつもりはない。
「ううん、あれは1頭立てだし、私と、幼児だったレイエットちゃんのふたり乗り用だから小さくて狭いし、騎乗の仲間がいたから、その中でどうこう、というつもりもなかったからね。
今度は、中でのんびりできて、寝ることもできるやつにしようかと……。
それと、乗ったまま街に入れるよう、目立たないように……」
うん、戦車は、カッコ良く作ったせいで、ちょっと目立ち過ぎたよ。
「何か、馬車について要望とかある?」
「ううん、特にない。カオルの好きなように作って頂戴。
……あ、勿論、お尻が痛くないようにね」
何か嫌な思い出でもあるのか、そう言いながら顔を顰めて、自分のお尻を撫でるレイコ。
まぁ、地球の馬車も、完璧というわけじゃないだろうからなぁ……。
では……。
「ぶひ! ぶひひぶひ!!」
うん、馬の言葉で呪文を唱えたのは、ハングとバッドに対するサービスだ。
これで、出てきた馬車が『女神の乗り物』であると理解できるだろう。
今回は、目立たないように外見を普通の馬車に似せたため、がっかりされることを心配しての配慮だ。何か、馬車に対して過大な期待を抱いていそうな気がしたからね。
そして……。
どん!
出ました、新たなる馬車!
ちゃんと、車内に飲み物が入った小さな樽が備え付けてある。
……いや、それがないと、馬車自体が『ポーションの容器』にならないからね。
そして、外見は普通の小型馬車に似ているけれど、その正体は……。
車体構造の大部分は、軽くて丈夫なカーボンナノチューブ製。
そして一部は、チタン製。チタンは利点が多いけれど、製錬・加工が難しく、費用もかかるため大規模な普及は難しいが、完成品が出せる私にはそんなデメリットは関係ない。
本当は、望めば地球には存在しない素材で作られたセレス特製のスーパー馬車が作れるのかもしれない。でも、まぁ、そこまで要求しなくてもいいだろう。一応、矢や槍は通さないようにできているし……。
御者台もあり、街に入る時はここに座って御者をやっている振りをする。
勿論、実際には、『音声誘導方式』だ。
ひとりで座るのは寂しいから、御者台はふたり並んで座れるようになっている。
そして、御者台から直接入れる客室は、小さなテーブルを挟んで、前向きのふたつの席と、後ろ向きの3人掛けソファーが向かい合っている。
前向きの席は、ヘッドレストまで付いた、身体全体を包み込むように支えてくれるやつ。うん、腰は大事にしなきゃね。
そして、リクライニングをいっぱいに倒せば、そのまま安眠できるという優れ物だ。
これで、野営時にも、馬車の走行時にも眠れる。
いや、安全のため、走行中は勿論ふたりのうちどちらかは起きているけどね。
勿論、ハングとバッドの期待を裏切らないよう、レバー操作で何本もの刃が飛び出るようになっている。この仕掛けがないと、材質以外は普通の馬車だからねぇ……。
いや、勿論、スプリングとか車体構造は別物だけど、見た目は、ってことで。
刃に実用性は殆どないだろうけど、ただ単に、ハングとバッドを満足させるだけのためのギミックだ。
今回は2頭立てなので、これでも普通の馬車よりはかなり軽いから、ハングとバッドの負担は小さいだろう。
まぁ、エドが最初あんなに抵抗した『馬車馬』という立場に対する抵抗感が少ないみたいだから、問題はないだろう。
……というか、もしかして、これを見越してエドが『神馬にしか牽けない、女神の馬車』という噂を広めてくれた? いやいや、考えすぎか?
でも、エドは結構義理堅くて気の回る奴だったしなぁ……。
あ、いかん、またしんみりしてきた……。
エドは、私がエドのことでしんみりするより、大笑いしていた方が喜んでくれるだろう。あいつは、そういう奴だった。何せ、4年半の付き合いだからなぁ……。
馬にとっての4年半は、人間に換算すれば18年くらいか。出会った時、エドは6歳だったから、人間の24歳相当。24歳相当から42歳相当までって、人間だと、殆ど『人生を共にした』って感じだなぁ。
……で、ハングとバッドの反応は……。
『おおおおお、これが、女神の馬車……』
『遂に、俺達が女神の馬車の牽き手、神馬に……』
何だか、感涙にむせび泣いてるなぁ……。
でも、嘘を吐くのは嫌だから、正直に言っておこう。
「それは、エドが牽いていたのとは違う馬車だよ。あれは、エドだけの馬車だから……。
だからそれは、あなた達ふたり……2頭のために新しく造ったものよ。なので、2頭立てになってるでしょ?」
偉大なる御先祖様が牽いたものとは別物、と聞いて、がっかりするかな……。
『えええ! 我らのために、新たに馬車を! ということは、我ら専用の馬車ですね! 我ら亡き後は、エド様の馬車と並んで神界に永久保存されて、我らの功績が永遠に……』
『おお! おお! おお!!』
喜んでるなら、ま、いいか……。
「それじゃ、行こうか。搭乗!」
何か、巨大ロボットに乗り込む戦隊ヒーローみたいな掛け声で、レイコと一緒に馬車に乗り込んだ。幅が広い主要街道を真っ直ぐ進むだけなら、私達は客室でいいだろう。
すれ違う旅人達が無人の御者台を見て驚くかもしれないけれど、別に大したことじゃない。よく訓練された馬だとか、客室内から細いロープで馬を操っているだとか、新型の軍用馬車の試験中なので、探ろうとする者は他国の間諜と看做される、だとか言えば、変に絡んでくる者もいないだろう。
前向きに設置された2脚の椅子……何か、ゲーミングチェアみたい、というか、私がそうイメージしたからこうなっているのだろうけど……に、それぞれ座り……。
「発進!」
「……」
「…………」
「「………………」」
「動かないわよ?」
「動かないねぇ……」
どうして……。
『カオル様、どうやって牽けばいいんで?』
外から、ハングの声が聞こえた。
……あ、馬を馬車に繋いでないや……。
「……というわけで、ここをこうすれば、金具が外れるからね」
『『…………』』
ハングとバッドを馬車に繋いでから、2頭が自分でハーネスを馬車から外す方法を説明した。身体からハーネスを外すより、その方が馬の前足で操作しやすいと思って、そっちが外れるようにしたのである。
旅の間、盗賊や魔物に襲われたり、馬車が崖から転落したりするかもしれない。そんな時、自分で馬車からハーネスを切り離せれば、助かる確率が上がるだろう。そう思って、そういう機構を取り付けたんだけど……。
何やら、2頭の機嫌が悪い。どうして?
『ま、まさか、俺達が乗客を見捨てて逃げるとか、そんなことを考えているんじゃねぇだろうな!』
え?
『乗せているのが女神様だとかは関係ねぇ! 俺達が、運んでいる人間を置いて逃げるとか、そんなことを考えているんじゃねぇだろうな、って言ってんだよ!!』
あ~、職業的なプライドを傷付けちゃった?
バッドだけでなく、丁寧な……馬としては……言葉使いをしていたハングまでもが、少し荒い言葉遣いで、不愉快そうな様子を露わにしている。
そうだ、エドも、私がエドの矜持を傷付けるようなことを言ってしまった時は、本気で怒ってた。エドもその家族も、矜持を大事にする連中だったよ。
……いかん、マズった……。
「そ、そんなことはないよ! もし賊や魔物に襲われた時、ハングとバッドが自分でハーネスを馬車から外して客室の真横に来てくれれば、私達が馬車を捨てて騎乗で逃げられるじゃない! 自分の判断で馬車を切り離せると自由度が高くなって、色々と便利だよ。
そう、それだけハングとバッドを信用して、頼りにしてるってことだよ!」
『……そ、そうか?』
『うむ、そういうことであれば、自分で切り離す判断をすることを受け容れるのは、吝かではない……』
……チョロい。
まぁ、本当は、敵に追われて逃げる時に馬車が横転したり、崖から落ちたり、魔物に囲まれて馬車を盾にしたり、そして私とレイコが馬車を捨てて逃げ出したりする時に、ハングとバッドが自分で逃げられるように、なんだけどね。
エドの子孫を、簡単に死なせたりはしない。




