172 長いお別れ(ロング・グッドバイ)1
あの後、急いで宿に戻った、カオルとレイコ。
些か、騒ぎすぎであった。
あのままだと、家や店から人が出てきそうだったため、レイコがカオルの手を引っ張って、大急ぎで退散したのであった。
あの様子ならば、みんなの消息を確認するのは容易だと思われたし、生活に困っているということもあるまい。そう考え、カオルも少し気持ちに余裕ができたようである。
「まぁ、宗教は儲かるからねぇ……」
そして、身も蓋もないことを言うレイコ。
昔と、全然変わっていない。
数十年に亘る人生経験とは、いったい何だったのか……。
そう思い、がっくりと項垂れるカオルであった。
ふたりは、その日はそのまま宿で休み、続きは明日にすることとしたのであった。
* *
翌日、まっすぐ『女神の眼』の本拠地へ向かうのはやめて、ふたりは図書館へと向かった。
どうも、先に状況を把握した方が良さそうだと思い、順番を考え直したのである。
そして、昔と変わらぬ場所にあった図書館は、入館料も昔と変わらず、結構高かった。
まぁ、銀貨の枚数は同じでも、貨幣価値が変わっているかもしれないが……。
そしてカオル達が最初に向かったのは、勿論、歴史書のコーナーである。
カオルが最初に手に取ったのは、『バルモア王国史』。歴史を調べるなら、やはり国が編纂した歴史書が一番であろう。
勿論、若干は王家に都合が良い内容に変えられているかもしれないが、どこの誰かも分からないような者が書いた、僅かな知識と一方的な偏見に塗れた本とか、自分達の一族を英雄に仕立てた、どこかの貴族が書いた本とかに較べれば、遥かにマシであろう。
そして、その歴史書を読む、カオル。
このコーナーに来るまでに視界内に入った、宗教コーナーにあった何冊かの本、『女神カオル真教の全て』、『女神か御使いか? カオル様の謎』、『カオル様名言集』、『カオル様99の秘密』、『カオル様のダイエット術』、『決してやってはいけない! カオル様の豊胸術』等は見なかったことにした。
……特に、最後のやつ!!
レイコも、この世界のことを知るべく、現在の世情について書かれた本を読んでいる。
レイコは、今更昔のことを知ってもあまり意味はないし、当時のことを知っているわけではないから、歴史書を読んでも、あまり面白いものでもない。なので、歴史書を読むより、現在のことについて書かれているものを読んだ方が遥かに役に立つ。……特に、この世界のことについては殆ど知らないレイコにとっては……。
歴史書の、ここ70年少々の部分を読んだカオルは、その後様々なコーナーを廻り、歴史上の事件を纏めた本、当時書かれた瓦版のようなもの、関係者が書いたらしき小冊子等、様々なものを読み漁った。
さすがにあれは大事件だったらしく、あの事件関連のことが記述された本は多かったが、紙質や筆記具、インク、そして手書き複写ということから、本の文字が大きくページ数も少なく、結構速く読めるのであった。
それでも、司書から『閉館の時間です』と肩を叩かれるまで、読書に没頭するカオルであった。
* *
「結局、今日は図書館だけで終わっちゃったか……。でもまぁ、絶対にやらなきゃならないことだったから、仕方ないか……」
宿に戻って、そう呟くカオル。
「で、調査の結果はどうだったの?」
あの、ブランコット王国王都アラスの『聖地』の様子や、この街の元自宅の様子から、カオルが悪党として言い伝えられている可能性はない。……というか、勿論、大体のことは察しているレイコである。
「うん、それなんだけどね……」
カオルが言うには……。
カオルが落とし穴に落とされ、大岩から逃げるためにアイテムボックスに入った後。
女神セレスティーヌが降臨して、激怒して大陸の破壊を宣言。
それを、大陸の守護神にして絶対英雄、勇者フランセットが阻止。女神セレスティーヌは悪人達の処分をブランコット王国の王位正統後継者にお命じになり、天界へと戻られた。
その後、ブランコット王国の王位は正統後継者である第一王子が継ぎ、王位簒奪を図った第二王子は父王殺しの罪と合わせて斬首刑、その妻子も後顧の憂いをなくすため全員死罪となった。
勿論、第二王子を唆した元ルエダの神官、貴族や大商人達も同罪として、全て死罪の上、お家お取り潰しとなった。
国の病巣の大掃除をする絶好の機会であったし、それ以前の問題として、女神セレスティーヌの指示を守らなかった場合にどうなるかということを考えると、処罰が過酷になるのは仕方なく、それには処罰を受ける側の者からも異議は出なかったらしい。
さすがに、自分のせいで大陸が壊滅するというのは、かなりの悪人であっても耐えられるものではなかったものと思われる。
割を食ったのが、もはや政治的野心はなく、のんびりと余生を過ごすつもりであった、財貨を持ってルエダから逃げ出した他の元神官達である。
女神セレスティーヌからの命令が半島基部の国々にも伝えられ、各国が血眼で元神官達を捜索、その全てを捕縛し、没収した財産と共にバルモア王国ルエダ領へと送り返した。
自分達を含む、大陸全ての人々の命が懸かっているのである。捜索に当たった者達の様子には、鬼気迫るものがあったらしい。
そして、大陸中の人間全てが全力で捜索に協力するのであるから、まさかそんなことになるとは思いもせず、個人情報の秘匿や管理が杜撰であった元神官達は次々に捕らえられたらしい。
まぁ、彼らは全員が死罪となったわけではなく、あの件に関係がなく、元々そう悪辣ではなかった者達の中には、財産没収だけで済んだ者もいたらしいが……。
そして、ブランコット王国の国王となった第一王子は直ちにバルモア王国と講和条約を結び、バルモア王国、ブランコット王国にアシード王国、アリゴ帝国を加え、半島部の4カ国で通商条約を締結。
更にブランコット王国に大陸側で隣接するドリスザートとユスラル王国にも声を掛け、半島部とその基部に当たる国々で巨大な商圏を形成する基礎を作り上げた。
「あのストーカー野郎、そんなに政治的能力があったとは、驚きだよ……」
カオルは、複雑な顔をしてそんなことを言っているが、勿論、それはフェルナンが『御使い、カオル様が王権を与えるにふさわしい者としてお力をお貸しになった者』と認識されていたためである。もしそれがなければ、『継承争いで国を乱した無能な若造』と見られ、とても各国を纏めることなどできなかったであろう……。
そしてフランセットは、バルモア王国をアリゴ帝国の侵略から護った救国の大英雄という肩書きに加え、女神セレスティーヌの魔の手からこの大陸の全てを護った、『大陸の守護神にして絶対英雄、勇者フランセット』として、現人神にも匹敵する扱いとなったらしい。
その後、2ランク陞爵して、侯爵になったとか……。
「女神なのに、『魔の手』なんだ……」
呆れたような顔でそう言ったレイコであるが、カオルは肩を竦めただけであった。
そして、バルモア王国だけでなく、大陸中の国々に祝福されての、フランセットとロランドの超特大結婚式。
生まれた娘が、王太子、つまりロランドの弟で国王陛下であるセルジュの長男と結婚し、セルジュは『これで、兄さんの血を王家の本流に戻せた……』と涙したらしい。
『女神の眼』の子供達についての記述は、あまりなかった。
カオルが面倒をみて(もらって)いたというだけの、ただの孤児達なのだから、書物に記載して残すようなことではないと判断されたのであろう。
もしかすると、カオルに一番近い位置にいたのが王族や貴族、聖職者達ではなく孤児達であったという記述を正式な歴史として残すのを嫌がった可能性もある。……そういう奴は、どこにでもいるものである。
……しかし、『女神カオル真教』という名は、いくつかの本に少し出てきた。
それは、カオルは女神セレスティーヌの御寵愛を受けし御使い様であり、人間であるとする、セレスティーヌを唯一神とする『女神正教』系の教えが主流である中、カオルは女神セレスティーヌの友人である異世界の女神であるという、一部の者達からは異端呼ばわりされている少数派の宗教であった。
開祖、エミール・ナガセ。
「え? カオルの子供? それに、カオルって貴族なの?」
「私はまだ独身だし、由緒正しい平民だよっ! その子は、一緒に暮らしていた孤児だよ」
レイコの質問に、鼻の頭を掻きながらそう答えるカオル。
「でも、名字があるのは貴族だけ、って……」
「うん、基本的にはそうなんだけど、大商人とかは名字とか屋号とかを名乗ってもいいらしかったし、この子達には、そのぉ、『カオル様の眷属にしてください!』って頼まれちゃってねぇ……。キラキラ輝く14の瞳に見詰められて、勝てる女の子はいないよ……。
で、つい了承しちゃってね。そうしたら、『よし、これで俺達はカオル様の眷属、つまり従僕であり使者、そして一族、親族、郎党。……つまり、家族だ!』とか言ってたから……。
あの子達が私と一緒に暮らしていたことはみんなが知っていたから、あの子達が私の名字を名乗るのを誰も止められなかったんじゃないかなぁ。もし余計なことをして、セレスの怒りを買ったら、とか考えたら……」
「あ~……。そりゃ、見て見ぬ振りをするわよねぇ……。子供達は多分、カオルの名が、正しくフルネームで伝わることを望んで、そうしたんでしょうねぇ」
「うん……」
カオルも、エミール達の気持ちが分かるため、文句を言う気はなかった……。




