170 帰 還 3
そして、ふたりの話は続く。
「さっきの件だけどね……」
「え、どの件?」
「女神様の、香放置事件」
「ああ……」
礼子が、そんな話を振ってきた。
「あれ、突っ込まずにスルーしてくれない?」
「え、どうしてよ? 今度会ったら、とっちめてやろうと思ってるのに……」
「いや、そこをうまく私がフォローしてあげるからと、交換条件を……」
「なるほど……」
「「ふっふっふ……」」
混ぜたら危険。
ひとりひとりだと大して害がないのに、一緒になると悲惨なことに。
……それが、学園の守護者、『KKR』であった……。
「まずはバルモア王国の王都、グルアに行って、みんなの無事……はちょっと厳しいか。とにかく、私の知り合いで、今現在生きている者達が理不尽な状況になっていないかどうかを確認して、それから図書館で『あれからどうなったか』を調べて……」
「調べて?」
礼子の合いの手に、カオルがにやりと笑って答えた。
「もし、どさくさに紛れてふざけた真似をしてくれた奴らがいたら……、って言っても、殆どはもう生きちゃいないだろうし、たとえ生きていたとしても、もう人生の元は取った、って感じだろうからなぁ……。
ま、お家お取り潰しにして、家名を貶めて、子孫達を全員一文無しの平民に落としてやるくらいが精一杯かなぁ……。貴族とか王族とかは、家名だとかお家の存続だとか血筋とかに拘るらしいから、それらに思い切り土を付けて、というか、泥まみれ、ウンコまみれにしてやるか……」
「だよねぇ……。子や孫には罪がない、とか言われても、別に必要以上に苛めるわけじゃなくて、先祖が不当に手に入れたものを返してもらうだけなら、問題ないよねぇ。元々、自分達が相続する資格がなかった財産や名声なんだから……」
昔からカオルは、弱者を踏みつける者も、そして嘘を吐いて他者の利益を奪う者も、大嫌いであった。
人を守るための嘘、人を幸せにするための嘘は、構わない。しかし、悪意ある嘘、人を傷付ける嘘、そして何かを不当に奪うための嘘は、駄目である。
しかしカオルは、相手がそういう嘘を吐いたこと自体を直接非難することは、あまりなかった。
……ただ、相手を完全に敵認定するだけである。
そして、『敵』に対しては、何をしてもいい。勿論、相手がやったのと同様に、手酷い嘘を吐くことも含めて。
さすがに、会社勤務の時には、そこそこ控えてはいた。カオルも、子供ではないのだから。
しかし、子供としての無茶が許される学生の時には、かなりやらかした。礼子と恭子と共に……。
そして礼子が知っているカオル像は、その99パーセント以上が、『学生時代のカオル』なのであった。
「もし知り合いが生きていたら、名乗り出るの?」
「ううん……」
礼子の言葉に、首を横に振るカオル。
「結局、私はあの子達を守ってあげられなかったからね……。それに、せっかく『女神様の呪縛』から解き放たれて自分達の力で自由に生きただろうに、今になって私が姿を見せてもねぇ……」
平均寿命が短い世界である。カオルは、生き残っている者がいるとすれば、それは自分より若かった孤児達、つまり『女神の眼』のメンバーくらいだと考えていた。それに、他の者は別にカオルが庇護しなければならない者達ではない。なので、カオルが心を痛め、責任を感じているのは、あの子供達だけであった。
フランセットなど、お釣りがくるくらい恩恵を与えまくっているから、あれで不幸な人生を歩んだとすれば、それは自業自得である。そこまで面倒は見きれない。
しかし、それを言うならば、孤児達にしても、カオルと出会わなければ、あの健康状態と境遇では、数年のうちに大半の者が死んでいたであろう。それを考えれば、カオルがいなくなるまでの数年間を無事に、幸せに生きられただけで充分感謝されて然るべきであるが、カオルはそう考えるような人間ではなかった。自分が関わり、守るつもりであった者達については、最後まで責任を持って見守るつもりであったのだ。
だがそれも、『自分の、最期まで』と考えれば、充分に義務は果たしたと言えるのであるが……。
「物陰からこっそり見て、幸せそうなら、そのまま立ち去るつもりよ」
そういう香に、『じゃあ、幸せそうじゃなかったら?』などと聞くような礼子ではない。
そんなの、聞かなくとも分かっているから。
「そう言えば、ひとつだけ、謎が残ってるの……」
「え、何?」
香の言葉にそう聞き返したものの、礼子がセレスティーヌから根掘り葉掘り聞いたのは、香の消息に絡むことばかりである。なので、国のことや、香の知り合い達に関することは、何も知らなかった。
「私が落とされた穴と、その上から落とされた岩のことなんだけどね。
穴の方はまぁ、人海戦術で、昼夜を問わず全力で掘らせて、疲れたら人員を交代させる、ってことにすれば、数日あれば4メートルくらいは掘れるかもしれないけれど……。
でも、岩! あの、真球に近いくらいのまん丸に仕上げられた、あの岩! あんな大きさの岩を運んできて、穴のサイズぴったりに、まん丸に加工するなんて、そんなに短期間じゃ難しいでしょ? どうやったのかな、と……」
「あ、それなら知ってるわよ?」
「ええっ!」
言ってはみたものの、まさか礼子が知っているとは思ってもいなかった香は、驚いた。
「昨日の昼間、観光客として聖地見学ツアー客の後ろにくっついてたのよ。そうしたら、ガイドの人が説明してたのよ。
何でも、元々神殿にあった、女神像と一緒に置いてあったものらしいわよ。この世界が球体であることを知っていた者が、女神にお守り戴いている世界、という意味で置いたのかもね。そしてたまたまそれを利用しようと考え付いたのか、それとも、神殿にあった女神様縁の品で御使い様を潰す、ということに嗜虐的な喜びを感じていたのかもね」
「え? でも、偶然穴にピッタリなんて……」
「逆よ、逆! 『岩のサイズに合わせて、穴を掘った』に決まってるでしょ!」
「あ……」
カオル、痛恨のミスであった。
「しかし、大岩を、あんなにつるつるの、真球に近いものに仕上げるとは……。多分、石工か神官達が、長い期間、手作業でゴシゴシと……」
「「こすったりか?」」
ぎゃはははははは!!
暗闇に響く、少女ふたり(見た目は)の笑い声。
ネタが通じる者がいてくれるのは、何と幸せなことであろうか……。
カオルは、数年振りの日本語での駄洒落に、心安まる思いであった。
いや、ここの言葉も完璧に操れるので、勿論この国の言葉で駄洒落を言うことはできる。
……しかし、ウケないのである。全く……。
孤児達にも、困ったような顔をされるだけであった。
笑わないといけないの?、という顔。女神がそんな下らないことを言っては駄目です、という顔。明らかに無理をして笑おうと、引き攣った顔。
そして、カオルは叫んだのであった。
『くっ、殺せ!!』
文化の違いは、如何ともし難いのであった……。
* *
ふたりは、徒歩でバルモア王国の王都、グルアへ向かっていた。
乗合馬車がかなりの頻度で出ているらしかったが、乗合馬車に乗ると、ふたりが自由に会話することができないからである。
ふたりが話すことは、日本でのこと、カオルがアイテムボックスに入る前のこと、セレスティーヌのこと、これからの活動方針、その他である。……人前で話せるはずがなかった。
この世界では出会ったばかりのふたりには、他者に聞かれても問題ない話題だけで数日間楽しく話し続けることなど、到底不可能であった……。
カオルのアイテムボックスには、あの戦闘馬車が入っているが、馬を買って、というのも気が進まなかったし、あの特殊な馬車で街道を走り続けるのもまた、気が進まなかった。
目立つし、昔、あの馬車を見たことがある者が、まだ生きている可能性もある。
しかし、カオルが本当にあの馬車を使いたがらない理由は、ただの感傷であった。
(……エドは、もういないんだ……)
そう、馬の寿命は短い。
カオルの愛馬、エドは、カオルが戻らない理由も知らないまま、カオルを待ち続け、そしてこの世を去ったに違いない。
戦友にして相棒だった、エド。
エドは、もういない……。




