165 最 期 3
「うあああああああぁ~~!!」
四壁が隠し通路に駆け込んで神官達を捕らえている間に、フランセットはその怒りと憎しみの全てを叩き付けていた。……敵の近衛兵達に対して。
神官達に4人、近衛兵達にひとり。
……戦力配分のバランスがおかしい?
そんなことを考える者など、バルモア王国の兵士達の中にはひとりもいない。
その『ひとり』が、あの、鬼神フランであったなら……。
鬼神。悪鬼羅刹。魔王。どんな言葉でも表せない、怒り狂った『それ』。
暴力と死。
血と肉片。
熱したナイフでバターを切るかのように、簡単に両断される敵兵の剣や防具、大理石の柱、……そして、人の身体。
「ひいいいぃっ!」
玉座の上に乗っかっている肉塊が、何やら不愉快な音を出している。
しかし、フランセットにとって、そんなものは後回しであった。……逃げる様子がないから。
誰ひとり、そして何ひとつ、逃がさない。
自分から女神を奪った者を。
女神に対して不敬を働いた者達を。
フランセットは、カオルが死んだなどとは欠片も思っていなかった。
当たり前である。カオルは、女神なのだから。
しかし、現在の肉体が傷付き、滅びたならば、今回の休暇は終わりとして自分の世界へ帰ってしまう。そう思っていたため、必死でカオルを護ろうとしていたのに、馬鹿共のせいで全ては台無しとなってしまった。
もはや、自分が生きて再びカオルに会えることはあるまい。
馬鹿共のせいで。
愚か者共のせいで。
他の兵士や近衛達は、カオルを敵に回すことを拒否して姿を消していた。
しかし、コイツらは第二王子の味方をしてここに留まり、自分達の邪魔をした。そしてそのために、カオルがこの世界を去ることになった。
ならば、コイツらに与えるべきものは……。
「……死ね!」
そう、『死』しかなかった。
上官の命令に従っただけ?
妻も子もいる?
……知ったことか!
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……。
止める者もおらず、死と狂気を振りまきつつ踊るフランセット。
そしてカオル達の時と同じく、止める者も立ちはだかる者もいなかったためあっさりと王宮へ、そして謁見の間へと辿り着いた第一王子フェルナンの一行が目にしたのは、息のある者などひとりもいない近衛の死体の山、四壁によって半殺しにされて転がっているルエダの元神官達、玉座の上で泣きながら蹲っている第二王子ギスラン、そして血糊ひとつ付いていない神剣エクスグラムを手にし、呆然と立ち尽くしているフランセットの姿であった……。
「カオルは、カオルはどこだ?」
「「「「「…………」」」」」
フェルナンの問いに、誰も答えない。
今の状況から、カオル達の圧勝であったことははっきりと分かる。
なのに、なぜカオルの姿がないのか。そして、フェルナンの問いに、なぜ誰も、何も答えないのか。
嫌な予感が胸に広がるフェルナン。
フェルナンは、先程から自分の視界内にある明らかに異質なものについては、あえて言及しなかった。もしそれを聞いてしまうと、取り返しのつかないことになってしまいそうな気がして。
そう、謁見の間の入り口から玉座に向かう通路のど真ん中にある穴と、そこから立ち上る煙と熱気という、絶対にこの場所にあるはずのない異物について……。
そしてその時、フェルナンとフランセットの丁度真ん中あたりの場所の空中に光の玉が出現し、それが急速に膨らみ、人の形をとった。
それは、フランセットが二度、四壁達は一度だけ目にしたことのある、アレであった。
……そう、女神セレスティーヌの降臨である。
「カオルちゃんの魂の反応が消失しました! カオルちゃんは、カオルちゃんはどこですかっ!」
セレスティーヌは、カオルに自動発動式のバリアと、攻撃者に対する自動攻撃システムを設定していた。但しそれは、『不意打ちや遠距離からの狙撃に備えたもの』であった。
剣、槍、弓矢、その他の武器による突然の攻撃から、カオルを護る。
これが、もし地球であったなら、セレスティーヌは銃や手榴弾、ロケットランチャー、もしかすると大口径の砲弾や燃料気化爆弾、地中貫通爆弾、いや、それどころか、核爆弾からも身を護れる手段を講じていたかもしれない。
しかし、この世界には、そのようなものは存在しない。なのでセレスティーヌは、『この世界における奇襲攻撃』からカオルを護れるだけの対処を整えていた。必要もないのに核爆弾用の対処を考えるようなことはなく……。
即死ではなく、数秒の時間さえあれば、カオルはポーション(及び、その容器)の作製能力によって敵を排除でき、自分や味方の負傷はすぐに治せる。また、カオルは生きたまま捕らえてこそ利用価値があり、問答無用で殺す意味がない。セレスティーヌはそう考え、カオルの危険を過少に見積もっていたのである。
そしてルエダの残党である神官達は、4年半前の、元神官による短剣でのカオル襲撃事件のことを詳しく調べたのか、カオルが何らかの手段で短剣を防いだことを知り、いくら短剣や弓矢での攻撃を防げてもどうにもならないように、二重、三重の攻撃を行ったわけである。
外側からの火攻め。熱風を吸い込むことによる肺の損傷。酸素欠乏による窒息。そして、大岩による圧死。
カオルのことを、女神ではなくセレスティーヌに少々加護を与えられただけの普通の人間であると考えている神官達は、それで確実にカオルを殺せると考え、そして事実、その通りであった。
女神セレスティーヌの焦ったような言葉に、四壁のひとりが、黙って指差した。
……『穴』を。
「え……」
こんなところにあるはずのない、『穴』。
しかし、セレスティーヌにとっては別に驚いたり不思議に思ったりすべきものではなかったらしく、先程から完全にスルーしていたのであるが、慌てて何やら穴の方を注視し……。
「ない……。カオルちゃんの魂も意識体も、全く反応がない……。探索範囲を拡大しても、どこにも反応がない……。
あああ、最低でも400~500年、できれば4000~5000年くらいは引っ張りたいと思っていたのに、たった5年足らず! 5年足らずで消滅ですってぇ!」
人間の魂と意識体は、肉体が滅びると、すぐに霧散し、消滅してしまう。たまたまその場にセレスティーヌ達のような存在がいてすぐに保護するか、前もって死を予測し保護のための準備を整えておいた場合を除き……。
カオルの肉体が一瞬のうちに滅びることなど予想もしていなかったセレスティーヌは、事態に気付くのが遅かった。そう、カオルの魂と精神体の消滅に気付いた時には、既に遅かったのであった。
「あの人から託された、大事なカオルちゃんを……。私の大恩人にして、初めてのお友達を……。
許さん! 許さんぞおおおぉっっ!!
この国を……、いや、この大陸を破壊し尽くし、燃やし尽くし、永遠に海の底へと沈めてやる!
再び私の目に触れて、この不愉快な思いを思い出すことのないように……」
硬直。そして、恐怖と絶望。
ブランコット王国どころか、大陸全ての国々が。大陸に住む全ての人間、全ての生物が滅ぶ。
今、女神の口からその死刑執行が宣言されたのである。
覆されることのない、死の宣告。
『絶望』以外に、この場にいる者達の心情を表せる言葉はなかった。
セレスティーヌの本体、いや、そこまでいかなくとも、セレスティーヌよりほんの少しレベルを高く設定された分身体であったなら、ここまで激しい怒りを表すことはなかったであろう。しかし、残念にもこの世界の人間達と意思の疎通が可能なように極限まで思考レベルを落としてある『セレスティーヌ』は、下等生物特有の悪しき感情、『怒り』と『憎しみ』を持っていた。ほんの僅かではあるが……。
そして今、その『僅かしかないはずの、悪しき感情』が、猛威を振るって荒れ狂っていた。
もはや、どうしようもなかった……。




