16 仮面の少女
ある日、市場に食材の買い出しに出掛けた香は、ひとりの浮浪児にぶつかられた。
そのまま走り去る浮浪児の後ろ姿を見送りながら、香は懐に手を入れた。
(うん、無いねぇ…)
勿論、スリである。
子供に見えるが、香は数日置きに市場に買い出しに来る。毎回帰りに持っている食材の量から、それなりのお金を持って来ているのは誰にでも分かる。そしてまだ小さな女の子なので、スリに失敗して捕まえられるという心配もない。浮浪児の子供にとっては格好の獲物であったのだろう。
しかし、こんな時のためのアイテムボックスである。本物の巾着袋はアイテムボックスの中。懐に入れてあったのは、ダミーであった。そしてその中身は…。
香はゆっくりと浮浪児の少年が走り去った方向へ歩いて行った。
スリというものは、一応の安全が確保された時点で、財布の中身を抜き財布自体は捨てるものである。財布に名前を書く者はいても、中のお金に名前を書いている者はいないので。いわゆる、証拠隠滅である。だから、すぐに…、
ぎゃあああ~
ほら来た。
香が悲鳴があがった場所に着くと、そこには、左手で右手首を掴み悶絶する、香と同じくらいに見える少年、つまり11~12歳くらいの浮浪児の姿があった。勿論、先程のスリの少年である。
少年の右手は、不気味な紫色に腫れ上がっていた。また、痛みも相当なものであろう。そのような薬を造ったのだから。
香の姿を目にすると、少年は涙をぼろぼろと溢しながら、助けて、助けて、と縋り付いてきた。
しょうがないなぁ。
香は薬を出すと少年に手渡し、飲むように指示した。
震える手で渡された薬を飲むと、腫れと痛みはすぐに治まった。
実は、逃げ切られた場合に備え、ある程度の時間が経てば自然に治るようにしてある。かなり苦しんだ後、ではあるが。
「神から盗みを働くとは。命が惜しくないのか、少年よ」
「え、か、神さま…?」
香はにやりと嗤って言った。
「次の神罰は、この程度では済まぬぞ」
「ひ、ひいぃぃぃ~~!」
地面に頭を押し付けて震える少年。
腰に両手を当ててふんぞり返る香。
……あれ、どうしてこうなった?
「で、どうしてスリなんか…って、聞くまでもないか」
そんなの、食べるために決まってる。
「実は、ベルの具合が悪くて……」
ありゃ、病人か。
「案内しなさい」
「え……」
逆らえるはずもない少年に案内させてやって来たのは、貧民区のはずれにある廃屋。壁も崩れかけたそこに住む、7人の少年少女達。
誰が病人かと聞けば全員が手を挙げそうな、そんな健康状態。
はいはい。
「全員、整列!」
訳が分からず混乱する子供達を、スリの少年に指示して並ばせる。どうやらこの子が一番年長らしい。12歳というのは幼いかも知れないが、日本人である香からは16歳くらいに見えるので、こき使っても問題なし!
「はい、順番に受け取って~」
怪我・病気回復用のポーションを配って飲ませる。
「はい、もう一度、受け取って~」
今度は、衰えた内臓や筋肉の回復、栄養状態改善のポーション。これらは怪我や病気とは異なるし、あまり色々な効果を1本のポーションに詰め込むのも何か無理矢理な感じが嫌だったので、2つに分けた。
「え……」
「足が痛くない?」
「身体が軽いよ!」
「胸が苦しくない……」
次々にあがる、驚きの声。
う~ん、どうしようかな~。
このままだと、しばらくすれば元の木阿弥。一時凌ぎにしかならない。
しかし、雇われのお手伝いさんの分際で、大勢の子供達の面倒が見られるとでも?
なら、関係ないから放置? そんなつもりなら最初からここへは来ない。
私はどうするって決めた? そうだ、『自衛の力を得ての積極防衛に出るのも悪くない』、『ポーションも、少しぐらいは誰かの役に立ててもいいだろうし』、そして『もっと自由に生きたい』、だ。自分の好きなように!
そろそろ、腹を括れ!
長瀬香という人間は、危険を避けて、無難な道を選んで生きていた。まぁ、その結果が、おかしな理由での変死、なんだけど。
でも、ここでもまたそんな生き方を繰り返す? ルールも安全性も、倫理観すら日本とは全く違うこの世界で? 女神様から力を貰ったのに、相変わらずの『自分と家族、身近な友人だけを守る生き方』で? 他の者のことには関わらない?
そんなの、つまらない。
長瀬香は死んだのだ。ここにいる私は、この世界に生まれ変わった新たな命、『カオル』。女神に自由に生きることを許可された、カオルだ。
今から私は、『日本人 長瀬香』ではなく、『カオル』として、この世界で好きに生きる。なにせ、女神様のお墨付きだ!
「子供達よ!」
香、いや、カオルは、両手を腰に当てて胸を張った。
「私は、女神セレスティーヌの友人、カオルである。今はセレスティーヌから自由裁量権を与えられ、人間としてこの世界を満喫している」
ここまで、嘘はない。
子供達は、どうもよく解っていないようだ。
「任せたから好きにしていいよ、って言われたってことだ」
こくこく。
「そこで、せっかくなので、心正しき者には幾ばくかの祝福を与えようかと考えている。今、お前達にしたようにな」
ようやく、自分達の怪我や病気が全て治り、健康な身体となった奇跡の意味が理解できはじめた子供達。同じ人間達に見捨てられゴミのように扱われている自分達に女神の祝福が与えられたことに涙する。
「しかし、本当に困っている心正しき者を探し、心貧しき者に気付かれないよう祝福を与えるのは大変だ。今の私は人の身体を纏っているのだからな。
そこでだ。お前達、我が僕となって手伝うつもりはないか? 褒美として、健康な身体と、幾ばくかの食べ物を下賜しよう」
7人の子供達はひれ伏し、カオルは7名の防衛戦力を手に入れた。
カオルは子供達に教え込んだ。
このことは絶対に秘密であること。もし心貧しき者に知られ女神の力を悪用しようとする者が現れれば、神罰が下り、カオルは神界に戻るということ。
秘密を売ろうとしても、悪人は情報だけ聞けばお金など払わず、秘密を独占するため浮浪児など殺されるだけだということ。
カオルは子供達の怪我や病気を治し最低限の食べ物を与えるが、全てを与えられては人間としてダメになるため、それ以上は自分の力で勝ち取ること。
奇跡を自らの身体で体験した子供達に、疑うという選択肢はなかった。
子供達は、生活を向上させるため、犯罪ではなく使い走りや雑用等の仕事を探した。また色々な話を聞き、『怪我や病気に苦しむ、心正しき者』の情報を集めた。そして、人の身を纏った女神の護衛に努めるのであった。
カオルは、正体を隠すためにマントと仮面を用意した。
本人はカッコいいと思っているが、それはかなりアレであった。
夜道で出会ったら子供が泣き出すような……。
そしてカオルの活動が始まった。密やかに。
子供達が集めた情報を基に、怪我や病に苦しむ人を助ける。少しずつ、少しずつ…。
王都の一部の者達の間に少しずつ広がる、とある噂。
心正しき者を女神様がお救い下さるらしい。
心貧しき者には決して知られてはならぬ。女神様を裏切ってはならぬ。
女神様の眼は全てをお見通しである。
秘密組織『女神の眼』本拠地。
ただの廃屋であった。つまり、7人の浮浪児が住み着いている、あの廃屋。
「その名前、やめない?」
「「「やめません!」」」
カオルの願いは却下された。女神なのに。
今日は、工房の方はカオルが手抜…げふん、効率的作成食を作っておいたので、みんなに夕食を作ってやろうと貧民区まで足を伸ばしたのである。
子供達は、普段は粗末な鍋で自炊している。正直、あまり美味しくないので、たまには、と。
カオルは、子供達に『今は人間の生活を楽しんでいるので、秘密を守る意味も兼ねて、普通に接するように。あくまでも、たまに食事を作りに来てくれる親切なお手伝いの女の子、として話をすること』と念を押してある。
「で、その商人の娘さんが病気、と。でも、お金持ちなんでしょ、その商人」
「お金があっても、治せない怪我や病気はあるよ。それに、その人はいい人なんだ」
スリの…、って、もうスリじゃないから名前で呼んであげるか、浮浪児たちのリーダー、エミールがそう言った。確かに正論である。
「その人は、たまに貧民区で炊き出しをしてくれるんだけど、いつもこう言うんだ。『私は偽善者ですからね。こうして施しをする自分自身に悦に入って楽しむのが好きなだけなんですよ。この優越感がいいんですよね』って」
うわぁ…。それは、何と言うか、……いい人だな。
深夜。とある商家の裏木戸。
コンコン、と叩かれる音に、返される女性の誰何の声。
「…どなた?」
「泥ぼ…いやいや、薬師です」
「どうぞ、お入り下さい」
さすがに、大きな商家に素人が忍び込むのは無理がある。事前に話を通してあった。
話を通す、とは言っても、関係のない子供に駄賃をやって手紙を届けさせただけである。怪しいことこの上ない。
しかし、娘のためなら藁にも縋りたいという親心、『良いツンデレさん』であること、訪問者がひとりだけであること等から、警戒し護衛の者は配置するだろうが、一応は中に通されるであろうと思われた。訪問者が子供と知れば、警戒心も少しは薄れるかも知れないし。…猜疑心は増すかも知れないが。
勿論、もし捕らえられそうになった場合に備え、策は考えてある。
強力な催涙剤。予備知識のない者にとっては、悪魔が現れたかのような混乱を起こすに違いない。勿論、カオルは中和剤を飲む。いったん逃げ切れば、髪の色と服装を変えれば大丈夫だろう。
「お話は伺っております。どうぞこちらへ」
木戸を開けてくれた使用人の女性に案内され、裏庭を通って屋敷の中へと進み、ある部屋へと通された。
怪しい仮面の少女を見ても動揺すら見せず平然と案内する、年配の女性使用人。いや、プロだねぇ。さすが、大店の使用人。
そして通された部屋の中には、ベッドに横たわる少女、その横で椅子に腰掛けた両親らしき男女と、少女の兄と思われる青年。護衛の姿はない。
部屋にはいってきたカオルの姿を見た3人は、口を半開きにして驚いていた。女神様の使いが来るものと思っていたら、怪しげな仮面を被った少女の登場。それは驚いても仕方ない。
部屋の中の人々を見て、カオルが声をあげた。
「え? 商人さん??」
そこにいたのは、カオルを王都まで馬車に乗せてくれた、あの商人、ヨハン・アビリであった。
「え? カオル…、ちゃん、か?」
仮面を付け、髪の色が変わっていても、背格好と髪の長さ、声、『商人さん』と呼ぶ時の独特のイントネーションから、ヨハンはすぐにその正体に気付いた。
「「何で、こんなところに??」」
ハモった。




