134 はじめての御使い 1
「カオルお姉ちゃん、私、お出掛けしたい」
「ん? いいよ。もうすぐ朝の部の営業時間が終わるから、もうちょっとだけ待っててね。
で、どこへ行くの?」
いつものように自分の膝の上に座ったレイエットちゃんのおねだりに、カオルは、当然のことながら、自分が一緒に行くことを前提とした返事を返した。勿論、それ以外の選択肢など存在しないので。
……しかし。
「ううん、私、ひとりで行きたいの」
「な、何だってええええぇ~~!!」
カオル、愕然。
(き、ききき、嫌われた? 今までずっと私にくっついて、絶対に離れようとしなかったのに……。反抗期? それとも、親離れ? あああああ、いったい、どうすれば……)
動転するにも、程がある。
しかし、親に売られ、人攫いに誘拐され、門番の兵士は全員が人攫い一味の仲間であった。大人は信じられない、と思い込んでも無理はない。
「ど、どどどどど(どうすれば!)」
「い、いいいいい(いったい、どこへ!)」
「だ、だだだだだ(誰が唆したああああぁっっ!!)」
「会話になってないよ……」
レイエットちゃんの冷静な突っ込みに、撃沈されたカオルであった……。
* *
「……というわけなの」
「…………」
錯乱したカオルに問い詰められて、レイエットちゃんが語ったのは……。
もう6歳、そして間もなく7歳になるというのに、いつもカオルと一緒で、全てのことをして貰って、守られてばかり。自分では何もしていないし、何も進歩していない。それじゃ駄目なんじゃないかと思った、とのこと。
「レ、レイエットちゃん、何て立派な……」
思わず、ぎゅっとレイエットちゃんを抱き締めるカオル。
「……だから、そういうのが駄目だと思うの!」
「えええええ……。だって、レイエットちゃんは、私の癒し要員だから……」
「違うよ! 私は、カオルお姉ちゃんの役に立ちたいの!」
「いや、だから癒し要員として、充分役に……」
「違うぅぅ! そうじゃないぃ!!」
カオルの無い胸をぽかぽかと叩いた後、レイエットちゃんはカオルの膝から下りて階段を駆け上がり、2階へと姿を消してしまった。
「え……」
「えええ……」
「えええええええええ!!」
呆然。
淑女、呆然。
そして呆然自失のカオルに、あ~、という、憐れみの視線を向けるフランセットであった……。
「それじゃ、私が過保護すぎるかも知れないと?」
「かも知れない、じゃなくて、完全に過保護です、間違いなく!」
「えええ……」
珍しく強い口調のフランセットに、押され気味のカオル。
「いいですか、もしカオルちゃんにすごく大切な人がいて、その人の役に立ちたい、喜んで貰いたい、と思っているのに、ちやほやされるばかりで何もさせて貰えなかったら、嬉しいですか? 役に立ちたいと思っているのに、自分が何の経験を積むこともなく、甘やかされて自堕落な生活を続けていて、楽しいですか?」
「あ……」
確かに、フランセットが言う通りであった。
6~7歳というと、日本であれば、既に小学生である。
小学生ともなれば、皆、勉強し、友達と遊び、喧嘩し、冒険し、様々な体験、様々な経験をし、身体だけでなく、精神的にも大きく成長する時期であった。
それを、レイエットちゃんは、1日の大半をカオルの膝の上で過ごし、常に守られて、一緒にいる。その楽ちんで幸せな、安穏とした生活の中で、これではいけない、と自分で気付いたレイエットちゃんが、如何に立派であることか……。
「さすが、レイエットちゃん!」
あまりの喜びに、恍惚の表情を浮かべるカオル。
「だから、それが駄目なんですよっっ!!」
フランセット、どうやら本気で苛ついてきた模様である。仮にも、女神様に対して……。
「……じゃあ、私に、レイエットちゃんを突き放せ、と?」
「いえ、そこまでは言いませんが……」
ようやく落ち着いたカオルに、善後策を授けるフランセット。
「とにかく、レイエットを傷付けず、満足させてやり、そして今後の成長を阻害しないためにも、今のままでは駄目です。もっと、レイエットの自主性を尊重し、自分で考えさせ、単独行動に慣れさせないと……。
でないと、カオルちゃんがいないと……、いえ、カオルちゃんがいても、ひとりじゃ何もできない子になっちゃいますよ。いいんですか、そうなっても……」
「うっ……」
前世での知識で、ニートとか引き籠もり、コミュ障とかの問題を知っているだけに、下手をするとレイエットちゃんの人生を台無しにしかねないと知り、焦るカオル。
「ど、どうすれば……」
狼狽えるカオルに、フランセットがズバリと言い放った。
「自分ひとりでの行動をさせるべきです! ひとりでお出掛けさせるとか!」
「それって、最初にレイエットちゃんが自分で言ってたことじゃないの!!」
……斯くして、レイエットちゃんの単独行動が承認されたのであった。
* *
「じゃ、行ってくるね!」
「気を付けてね! 拾い食いをしちゃ駄目だからね! 知らない人に声を掛けられても、ついていっちゃ駄目だからね! 裏路地にはいっちゃ駄目、男の子に誘われても……」
「カオルお姉ちゃん、しつこい!」
が~ん、という、衝撃を受けたかのような顔をして固まったカオルをあとに、レイエットちゃんは外へと駆け出していった。
すぐに我に返ったカオルは、小さな声で指示した。
「フランセット、お願い!」
「承知! 我にお任せを!!」
そして、レイエットちゃんの後を追って、店から走り出るフランセット。
あの後、フランセットやロランド、そしてエミールやベルとも相談した結果、レイエットちゃんを武者修行の旅に出すことになったのである。……勿論、日帰りで。
フランセットだけでなく、エミールとベルも時々カオルの頼み……皆の視点から見れば、『神命』……を受けてカオルの役に立っているのに、自分だけが、役立たずの穀潰し。そう思っていたレイエットちゃんは、悩んでいたらしいのである。『これでは、ロランドおじちゃんと同じだ』と。
それを聞いたロランドは、盛大に落ち込んでいた。自分が幼女から役立たずの穀潰しだと思われていたからか、それとも、『おじちゃん』呼ばわりのせいなのかは分からないが……。
とにかく、レイエットちゃんにも仕事を与えて、モチベーションを高めなければ。そして、それにかこつけて、他の子供達との交流、というか、一緒に遊ばせて、運動させ、そして社交性を高めるという一挙両得を図るのである。
そのためにカオルがレイエットちゃんに指示したことは……。
『孤児達の中に潜入して、彼らが女神の祝福を賜るにふさわしい者達かどうか、調査せよ』
……そう、つまり、一緒に遊んでこい、ということであった。




