132 何じゃ、そりゃ~!
無事、王都からの連中を追い払った翌日。私は、朝の部の営業を終えた後、市場に買い出しに出掛けた。そしてその途中に、ついでだからと、少し遠回りしてマリアルの邸、つまりレイフェル子爵家マスリウス伯爵領別邸がある通りを通った。
特に意味のない、ただの気紛れである。偶然マリアルが外に出ていて顔を合わせる確率など、無きに等しい。女子爵様が自分で庭木に水をやったり、門の前の掃き掃除をしたりするわけじゃないからね。
……あれ? あれは……。
通りを曲がって邸が視界に入ると、何やら門のところに……。
犬?
門の両側に、まるで狛犬のように鎮座した、2匹の犬。
そして同じく、左右の門柱の上に止まった、2羽の鷹と、それぞれに寄り添うように止まっている、2羽の鳩。
……うん、カラスじゃ見栄えと印象が悪いからね……、って、そういう問題じゃない!!
「おや、ここを通るのは初めてかい? あそこは、女神の御寵愛を受けし貴族様、レイフェル女子爵様のお邸だよ。だから、女神の使いである犬や鳥たちがお守りしているんだよ」
私がぽかんとして門を見ていると、通り掛かったおじいさんが、そう教えてくれた。
「えええ……」
怪我や病気の時に、一度だけ助ける、って約束なんじゃあ……。
そして、カラスではなく、どうして例の件には関係ないはずの鳥が……。
おじいさんが教えてくれたことの前半部分は、納得できる。大勢の住民達の前であれだけ派手にやらかしたのだから、当たり前だ。
でも、後半部分! どうして、そんなことに……。
「だから皆は、女子爵様のことを、こう呼んでいるよ。『雌犬子爵』と……」
「えええええええ!!」
それ、とんでもない蔑称なのでは……。
一瞬、そう思ったけれど。
よく考えてみれば、ここの言語では、人間の性別と動物の性別を表す単語は、同じだった……。
そう、英語でいうところの、『female』と同じだ。
だから、『犬の使いに守られた子爵』、略して『犬子爵』に、女性、つまり女子爵だから『女』を付けて、『女犬子爵』。
それを、私の脳内翻訳機が、「『犬』の前に付いているから、『雌』」と認識したわけだ。
……どうして、『犬女子爵』じゃないんだよ!!
ま、『犬女の子爵』みたいだから、あんまり変わらないか……。
「じいさん、何か、その呼び方はやめるように、って指示が出てるぞ」
私達の会話が聞こえたらしい、同じく通り掛かりの青年が、そう言って話に割り込んできた。
うむ、そうであろう、そうであろう。さすがに、『雌犬子爵』はないだろう……。
「今は、みんな、『鳥貴族』って呼んでるよ」
……何か、焼き鳥とビールが欲しくなってきたよ……。
そして、おじいさんと青年が立ち去ってから、門に近付いて……。
『ねぇ、どうしてそこにいるの?』
そっと、小声で聞いた。……犬に。
『おお、女神様! 先日は、良き仕事を紹介して戴き、ありがとうございました!
現在、あれとは別件で、マリアル様に雇って戴いております。多くの仲間達がお世話になっており、交代で門番、敷地内で適当に寝転んでの侵入者警戒等を行っております。
また、最近はあまりありませんが、総員呼集による荒事なども、少々……』
『暗部の襲撃かあああああぁっっ!!』
……謎が解けた。解けてしまった……。
『カラス達は?』
『はい、カラスは、その、見た目が問題とかで、裏方仕事の方を。人目に付くところでは、新規に雇われました、人間にとって見目の良いらしき者達が仕事をしております』
『……そ、そう。いい仕事があって、良かったね。じゃ……』
『はい、御用がございましたら、いつでもお声掛け下さい。我ら、いつでも馳せ参じます故!』
……マリアル、思っていたより遣り手だった。
そして、結構黒かった……。
まぁ、マリアルにとって、暗部は、お金のために両親と兄を殺した実行犯であり、叔父のアラゴンと同じく、家族の仇だ。そして、大恩あるマスリウス伯爵が手を焼き、困っている犯罪組織である。力を手に入れたマリアルが、我慢や遠慮をしなければならない理由はないだろう。
たとえそれが、神の力であろうと、悪魔の力であろうと……。
* *
「……で、何の成果もなかったと言うのか?」
「は……」
あからさまに不機嫌な様子の国王。
例の女子爵のところへやった使いの者がようやく戻ったかと思えば、結果は、『何の成果もなし』。これでは、国王が不機嫌になるのも仕方ない。
「子爵家に赴きましたが、小娘如き、陛下のお名前を出して少し高圧的な態度を見せれば、秘密を喋らせたり、こちらに都合の良い約定を交わさせることくらい簡単にできると思っておりましたところ、寄親である伯爵が同席しておりまして……」
「それで、女神やその使い、その他のことも一切聞き出せず、儂への表敬のため王都へ来させることも、儂の庇護下に入る話も、すべて断られたというのか?」
「は。私がそれらの話を子爵に振る度に、寄親の伯爵が『家族を失い、叔父の件もあり心穏やかでない未成年の少女に、今、王都へ行かせるのは酷ではないか』、『今は新たな領主として大切な時期。暫くは領地のことに専念する必要があろう』と言われては、それ以上、強く言うわけにも……。
また、陛下の庇護下に、という話も、『それは、寄親である私の役割である。遠い王都におられる陛下では、充分な世話も、いざという時の護りも、後手に回ってしまうでしょう』と……。
既に貴族の派閥のひとつに加わっている貴族家当主を、本人や寄親の意向を無視して無理矢理陛下の派閥に引き入れるとなると、大事になりそうですし……」
「そして、女神関連の話は、『女神様から、他言無用、と言われている』ということで、一切喋らず、か……。しかし、使用人達を脅すか金を握らせて何か聞き出したのであろう? そちらの方は何と言っておったのだ?」
「そ、それが、誰ひとり、何も喋らず……。遠回しに、本人と家族の命の危険を示唆したりもしたのですが……」
「どうだったのだ?」
「……『どうぞ』と。そして、不気味な笑みを浮かべておりました。
あれは、そう、あの顔は、『もし手出しすれば、その者は間違いなく死ぬ。やりたければ、やってみろ』と。そう言っているとしか思えぬ、そんな顔でした……」
「…………」
考えてみれば、女神の寵愛を受けし者を裏切る者が、いるはずがない。しかも、その寵愛を与えし女神というのが、あの『セレスティーヌ』なのである。……善神ではあるが、あまり人間ひとりひとりの命については気にしない、大雑把な女神、セレスティーヌ。その女神が気に入ったという人間を裏切った時、いったいどういう結果を招くかと考えると……。
そして、おまけに、自分が仕える聡明で平民にも優しく、か弱い14歳の貴族の少女。
とても、裏切る者が出るとは思えない。
どうやら、思惑は不首尾に終わったらしい。
それだけは、よく理解できた国王であった。
女神の寵愛を受けし、若く、未婚の貴族の少女。その価値が分からぬ者など、いるはずがない。なので、その寄親や派閥の者達が手放すはずもなし。
派閥の長が動く前に、直接本人と約定を交わし、自分に表敬訪問させるために王都に招ければ。そして、うまく取り込めれば。
いくら他国に較べると権限が制限されているとはいえ、自分は、一応は『国王』なのである。下級貴族の、それも未成年の小娘とあらば、国王の威光で、こちらに都合の良い約定を結ばせることも不可能ではなかったはず。そして、いったん正式な約定を結んでしまえば、いくら寄親であろうが派閥の長であろうが、その件に関しては口出しできなかったはずである。何しろ、貴族家当主と国王との、正式な約定なのだから。
しかし、密かに接触させるはずであった使いの者の行動は、寄親である伯爵に掴まれていたらしい。そして、そのために、全ては水泡に帰した。
もはや、抜け駆けが成功する可能性はない。
そもそも、子爵本人が既に知恵を付けられており、そういう招きや約定に応じることはあるまい。
こうなっては、子爵に好意的な、良き国王として接するしかない。そして、息子達の誰かを、うまく宛てがうことができれば……。
しかし、『見目の良い若者を差し向ける作戦』など、年頃の息子を持つ貴族全員が企むに決まっている。もし子爵が王都に来たならば、その時には……。
そう思うと、頭が痛くなる、国王であった。
「まぁ、子爵を抱えた派閥の長が少し調子に乗るかも知れんが、他の派閥の者達が協力して、抑えてくれるだろう。それに期待するしかないか……」
どうやら、マリアルにとって、受難の日々が始まりそうであった。
カオルが聞けば、羨ましがるような、受難の日々が……。
いや、カオルも、自分自身ではなく『御使い様』という立場だとかポーションとかを目当てに寄ってくる男は願い下げ、と言っていた。ならば、マリアルも、『嬉しい悲鳴』ではなく、本当の、助けを求める悲鳴を上げることになるのかも知れない。
そしてマリアルが王都へ行かざるを得なくなるのも、そう遠い未来のことではなかった……。




