112 復讐の弾道 5
「いったい、どこへ行くつもりだ……」
証人とやらを待たせている別室に行くのだと思っていたら、玄関から邸の外へ出て、更に門の方へと向かうマリアル。アラゴンは、ぶつぶつと文句を言いながらも、ついていくしかない。マスリウス伯爵も、両家の護衛達も。
そして更に、その後からぞろぞろとついてくる、レイフェル子爵家の使用人達。
執事、料理人、メイド、御者、庭師、従僕、ポーター……。その他、邸の使用人達全てが後に続く。その表情は皆、固かった。それは、激情を無理矢理抑え込んでいるかの如き、固き無表情。ただ、その眼だけが、ぎらぎらと不気味な輝きを放っていた。
そしてマリアルは、門から出て、数メートルの場所で停止した。
その先には、街中から集まった群衆の壁が。
「「…………」」
レイフェル子爵家の者達とひとりの少女は、群衆を前にしても、気にした様子もない。
しかし、アラゴンとマスリウス伯爵、そして伯爵の護衛達は、顔を引き攣らせていた。
この群衆が、何のために集まっているのかが分からない。
もし万一、レイフェル子爵家に対する恨みで、暴徒と化して襲い掛かってきたら。
その場合、僅か数名に過ぎない護衛など何の役にも立つまい。
そう考えると、ふたりは背筋に冷たい汗が流れるのを止めることができなかった。
だが、背中には汗が流れても、顔に汗を浮かばせるようなことはない。貴族たる者、平民の前で狼狽えたり無様な姿を晒すことだけは、決してしてはならないのである。たとえそれが、どのような痩せ我慢であったとしても。
「……ふ、ふん、この中の誰かが証人だとでも言うのか? それとも、こいつら全員が、とか言い出すんじゃないだろうな? これは数による脅迫であり、このような手段に出たということは、証拠など無く、お前が言い掛かりで私を……」
「証人を、ここへ」
狼狽えたアラゴンの言葉は無視して、マリアルがそう声を上げると、群衆の壁を割って6頭の馬が歩いてきた。
……同じ6頭ではあるが、それはエド達ではなく、レイフェル子爵家で飼われている2頭の乗用馬、そして4頭の馬車馬であった。勿論、覆面などは付けていない。
鞍を付けたり馬車を牽いたりはしておらず、徒歩の御者や馬丁に牽かれてぽくぽくと歩き寄り、マリアルの少し手前で停止する6頭の馬。
馬から降りた人間は、とアラゴンが周りを見回すが、馬を連れてきた御者達を除けば、群衆以外の者の姿はない。
「どこに証人が……」
アラゴンの言葉を遮り、マリアルが叫んだ。
「私の両親と兄を、雇った者達に命じて殺させたのは、誰ですか?」
すると、全ての馬達が右前足を持ち上げて、そして指し示した。……アラゴンの方を。
「「『証人』って、馬かあああああぁっっ!」」
アラゴンとマスリウス伯爵の叫び声が揃った。
そして、マスリウス伯爵が言葉を続けた。
「人ではないから、これは『証人』ではなく、『証馬』ではないのか……」
しかし、その呟きは、全員にスルーされたのであった。
なぜ馬達がマリアルの言葉でアラゴンを指したのか?
それはただ単に、カオルがある動作をすればこう反応する、というパターンを事前に幾つか仕込んでおいただけであり、今はカオルがお腹の前で手首をくいっと曲げてアラゴンの方を指し示したため、6頭の馬達はああいう動作をしたのであった。
勿論、ちゃんと事前説明をしているので、馬達はこれが何のためのイベントかということは正しく理解している。合図は、マリアルの言葉をサポートするためのものに過ぎない。
そして、それを見た群衆は。
「「「「「「おおおおおおお!」」」」」」
「貴族のお嬢様を慕う馬達の、主殺しの犯人に対する糾弾だ!」
「普通の馬にできることじゃねぇ! これは、女神様のお力によるものだ! 女神セレスティーヌ様が、少女の仇討ちの決意と馬の忠義心に感心なされてお力をお貸しになられたに違いない!」
口々に叫ぶ群衆に、蒼白となるアラゴン。
「……どうだ? 何か申し開きはあるか?」
マスリウス伯爵は、これでアラゴンが諦めるであろうと思っていた。何しろ、女神セレスティーヌが関与したと思われる以上、もはやアラゴンに罪を逃れる術はないのだから……。
「罪? いったい何のことですかな? 小賢しい小娘が、自分の家で飼っている馬に芸を仕込んだ。ただ、それだけのことでしょう?
そして、姑息な手段で尊属たる叔父の私を陥れ、犯罪者に仕立て上げようとする悪逆非道! 貴族の面汚したる小娘から貴族籍を剥奪し、極刑に……」
ぴちょん!
「……え?」
頭に何かが落ちてきたように感じたアラゴンが、そっと頭部に手を当ててみると。
「……鳥の……、フン?」
ぴちょん!
ぴちょん!
ぴちょちょちょちょ……
「うわわわわ!」
何事、と上を見たアラゴンの眼に映ったのは、最近自宅で見慣れた光景。
……すなわち、編隊を組んだ、戦闘爆撃機隊の姿であった。
「ほれ見ろ、女神の使いが現れた……」
「あまり往生際が悪いと、女神の神罰が落ちるぞ!」
「セレスティーヌ様は狙いをつけるのが苦手らしいから、俺達まで、いや、国全体が巻き添えを喰っちまうだろうが! さっさと白状しろよ!!」
群衆達が騒ぎ始めるが、ここで罪を認めたりすれば、斬首刑確実である。何しろ、貴族家の当主とその妻、そして後継者である長男を殺しての簒奪行為である、火付け盗賊以上の大罪であった。
「し、知らん! ただのカラスの群れが餌を求めてやってきただけだろう。女神セレスティーヌは、人間の個人的な行いには興味など……、い、いや、そこの小娘の悪行を糾弾するために遣わされたのであろう! 何しろ、私が今日ここに来たのはたまたまであり、カラス達の目標は、このレイフェル子爵家なのであるから、目的はここの当主である、この小娘で……」
しかし、アラゴンの必死の説明も、カラス達に狙われ、そのフンが命中するのがアラゴンただひとりだという事実の前には、何の説得力も持たなかった。
その時、ざわついていた群衆の後方の一角が、急に静まり返った。
その静けさが、しだいに群衆全体へと広がっていく。
そして後方から群衆の間に割れ目ができ、それが前方、レイフェル子爵家の正門に向かって広がっていった。
その群衆の割れ目の中をぽくぽくと歩く6頭の覆面を着けた馬と、その後に続く数十頭の犬、犬、犬……。
ぽくぽくぽく
ぽくぽくぽくぽくぽく……
先頭が1頭。その左右後方に各1頭。そしてその後ろ、3段目に3頭。ピラミッド隊形で進む、6頭の馬。その先頭は、勿論……。
「カルロス!!」
そう、いくら覆面を着けていても、マリアルに判らぬはずがない。それは、マリアルの専用乗馬、長い付き合いのカルロスであった。
一時は死んだと聞かされ、そしてその後、謎の少女によりその生存を教えられた、愛馬カルロス。
しかし、今は久し振りの再会を喜んでいる時ではない。少女に指示された通りの役割をこなさねばならなかった。
「我がレイフェル子爵家筆頭乗馬、カルロスよ! よくぞ女神の許に辿り着き、我が願いを届けてくれた! あとは、お前を送り届けてくれた神馬達、女神の御使いのカラスや犬達と共に、しかと見届けてくれ!」
『ぶるるるる、ぶひひ~~ん!!』
「「「「「おおおおおおお!」」」」」
(……終わったな、アラゴン……)
マスリウス伯爵は、心の中でそう呟いていた。




