110 復讐の弾道 3
「その話はまことであるか!」
レイフェル子爵家の寄親である、マスリウス伯爵家の当主が配下の者に向かってそう怒鳴った。今、その者から信じがたい報告を受けたためである。
「は、使用人達が噂しているのを小耳に挟み、気になりましたためアラゴン・フォン・レイフェルの住居を確認しましたところ、噂通りの状態で……。
手に小さな荷物を持って門に向かって歩いてみましたところ、……その、カラスの糞による直撃と、荷物を手から叩き落とされました。そして地面に落ちた荷は、群がった犬達によって滅茶苦茶にされました。
あれは明らかに統率された意図的な行動であり、人間によってどうこうできるようなレベルのこととは、とても……」
「そして、『神罰を受けるような、極悪非道な罪を犯したのではないか』、という噂か。レイフェル子爵家絡みで、最近起こった極悪非道な事件と言えば……」
そう、考えるまでもなかった。
「……マリアルを、家長殺しの大罪人と結婚させるわけにはいかん! そして勿論、そのような者にレイフェル家を任せるわけにもいかん。たとえ陛下が、そして女神が見逃そうとも、この私が……、というか、女神はお見逃しになっていないからこその、この事態か。
直接雷を落とされないということは、人間の手で裁け、ということなのであろうな。そして、もしその御意思を無視したりすれば……」
マスリウス伯爵と配下の者の脳裏に、言い伝えにある過去の女神セレスティーヌによる神罰事件の数々が過ぎった。そう、周囲の無関係の者達を大量に巻き添えにしたという、神罰事件の数々が……。
「いかん! 明日の朝、レイフェル子爵家へ行くぞ! すぐに使いの者を出せ。アラゴンのところへも使いを遣って、明朝、レイフェル子爵家へ行くよう伝えろ!」
「はっ!」
アラゴンの家ではなく子爵家の方へ行くのは、無爵であるアラゴンの家は使用人もおらず、とても伯爵を迎えられるようなところではないからである。そして、もしそうでなかったとしても、女神のお怒りに触れた不浄の家に行きたがる者などいるはずがなかった。
* *
「明朝、マスリウス伯爵が来られます」
「そう。思ったより早かったね」
夜も更けて、カオルはレイフェル子爵家でお茶を飲みながらマリアルと打ち合わせをしていた。
子爵家の者達は、既にカオルが普通の人間であるなどと思っている者はひとりもおらず、完全に格上の者として扱っている。
「明朝、ということは、朝2の鐘か……」
カオルが、そう呟いた。
そう、この地方では、仕事や待ち合わせ等の対外的なことにおいて『明朝』とか『朝イチで』とかいう場合には、朝2の鐘、つまり地球で言うところの午前9時頃を指していた。貴族が他家を訪問する時刻としては、異例と言えるくらいの早い時刻である。
「多分、今日お知りになられたばかりかと。そして、かなり慌てておられるのではないかと……」
おそらく、マリアルが言う通りであろう。
このあたりの国で、いや、この世界の殆どの国において、『女神セレスティーヌの神罰』というのは、セレスティーヌへの信仰と感謝の念が非常に大きいにも拘わらず、とてつもない畏怖と恐怖に満ちたものなのである。
それは、自分が神罰を受けるような罪を犯してしまうことに対する恐怖ではない。
その恐怖とは。
……『女神セレスティーヌがあまりにも大雑把過ぎて、神罰の流れ弾を受けた大量の無辜の民が巻き込まれて、国レベルでの壊滅の危機に陥る』ということに対するものであった。
なので、神罰を受けかねない行為は極刑に処されるのが普通であり、そこにはコネも賄賂も身分も権力も、全てが無力である。
……当たり前である。少しの賄賂と引き換えに、国ごと一族郎党皆殺し、などという結果を受け入れようとする者などいるはずがない。
「では、勝負は明朝に……」
そう言って、子供が泣き出しそうな笑顔を浮かべるカオル。
その後ろには、エミールとベル、そしてフランセットが控えていた。レイエットちゃんは、カオルの膝の上で眠り込んでいた。
その後、エミールとベルは夜の街へと消え、他の者達は、みんなの本拠地である『便利な店』へと帰投。明日に備えてぐっすりと眠り、英気を養うのであった。
* *
「な、何だ、この人出は……」
翌朝、レイフェル子爵家の寄親であるマスリウス伯爵が供の者と訪れた時、レイフェル子爵家の周りには大勢の人集りができていた。
しかし、別に騒ぐわけでも、伯爵達の進路を塞ぐわけでもないため、公共の道の脇にいる人々に文句を言うわけにもいかない。そのため、不審に思いながらもレイフェル子爵家の敷地へと入り、供の者がドアノッカーを叩くと、すぐに執事が現れて皆を案内した。
「息災であったか、マリアル」
事件の直後は、『今助けずして、何が寄親か!』とばかりに、家族を失いただひとり残されたマリアルを助け、支えた伯爵であったが、事後処理が一段落してからは、少し足が遠のいていた。
しかしそれも無理はない。マリアルのことに時間を掛けすぎて自領のことがおろそかになってしまい、家臣達に叱られてしまったのである。そのため、溜まった仕事に専念していたのであった。そう、マスリウス伯爵にとって、マリアルは我が子も同然の、可愛い寄子の娘なのであった。
「はい、元気でやっております。……それに、『やらねばならぬこと』があります故、病に伏せっている暇などありません」
そう言って、すっと視線を叔父のアラゴンの方へと向けるマリアル。
室内にいるのは、8人。
レイフェル子爵家側が、マリアル、執事、副執事の3人。
但し、副執事は、明らかに服が身体に合っていないし、上級使用人としてはゴツ過ぎる。知的さや気品もあまり感じられない。……明らかに、護衛が扮装したものであった。
もしアラゴンが実力行使に出た場合、非力なマリアルや高齢の執事では心許ないと考えてのことであろう。
そして、アラゴン側は、本人のみ。
本家へ行くのに、そして本家の寄親のマスリウス伯爵と会うのに護衛の必要はないし、そもそも、貧乏な独身無爵貴族が使用人などを置いているわけもない。
今回のためにわざわざ護衛を雇うなどということをすれば、それは伯爵や本家の家長であるマリアルに対する非礼行為であるし、『本家に行くのに護衛が必要な状況なのか?』と、あらぬ勘繰りをされても仕方ない。それは、今のアラゴンがとっていいような選択肢ではなかった。
マスリウス伯爵側は、伯爵と、護衛がふたり。
護衛は、通常であれば別室で待機させておくものであるが、今回は室内まで同伴させている。これはやや非礼に当たるが、この場での最上位者であり、マリアルにとっては自分達の安全度が増すため、大歓迎である。
アラゴンは、これが自分とマリアルの婚儀に関する祝福、もしくは今後のレイフェル子爵家とマスリウス伯爵家との交流に関する話だと思っているため、何も気にした風はなかった。
これで、7人。あとのひとりは……。
「お初にお目に掛かります。ナガセ、……探偵です」
「「探偵?」」
カオル、という名を知られるのを嫌がり、『ナガセ』の方を名乗るカオル。不必要な嘘を吐くのはあまり好きではないし、全く関連のない名を名乗った場合、その名で呼ばれた時に一瞬反応が遅れて不審を招くのを避けるためである。
そして、その名前ではなく、『探偵』という聞き慣れない言葉に首を傾げるアラゴンと伯爵。
勿論、カオルは日本語で『タンテイ』と言ったわけではなく、この国の言葉で、それに似たニュアンスとなる言葉を選んで、適当な造語をでっち上げている。
「はい。真実を探し、偵る者。『探偵』です」
なぜそのような者がここに、と疑問に思った伯爵とアラゴンであるが、伯爵はすぐに、わざわざマリアルがこの場に立ち会わせたこと、そして今の自己紹介から、その役割を察した。
一方アラゴンは、この集まりがマスリウス伯爵からの指示によるものであるため、自分とマリアルの婚儀に関すること、もしくはその後のレイフェル子爵家とマスリウス伯爵家との関係に関する話のためだと思っているため、婚儀の際に何らかの儀式を受け持つ巫女役の少女あたりかと考えていた。
「では、早速だが、本題に入ろう」
席に着いたマスリウス伯爵が、マリアルに簡単な挨拶をしたのみで、アラゴンには言葉を掛けることもなく話を切り出した。
マリアルはレイフェル子爵家の当主であり、本日の招待者であるが、アラゴンは無爵の分家筋に過ぎないので別に非礼でも何でもないが、既に自分がレイフェル子爵家の当主であるかのようなつもりであるアラゴンは、不愉快そうな顔をしていた。伯爵の面前であるにも関わらず。
そして、伯爵はそれに気付いていたが、完全にスルーした。これから始まることに較べれば、そんなことはほんの些細なことに過ぎないのだから……。
「アラゴン、お前は女神から神罰を受けているそうだな。女神セレスティーヌは、普通は人間ひとりひとりのことに関わったりはなさらない。なのに神罰を受けるとは、いったいどのような大罪を犯したというのだ!
女神を怒らせたとなると、お前の命どころか、下手をすればこの国が、いや、この大陸全てが滅ぶかも知れないのだぞ! 言え! いったい何をしでかした!!」
「え……」
自分の野望が達成できる、最後の詰めとなるはずの話し合いの場での、まさかの寄親からの糾弾。
アラゴンの顔が、驚愕に歪んだ。
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