108 復讐の弾道 1
「ええっ、カルロスが生きている?」
「少なくとも、私が依頼を受けた、数日前までは。そして、老衰で亡くなるには、まだ数年はかかりそうな様子でしたね」
私は、マリアル・フォン・レイフェル女子爵にそう説明しておいた。
いや、1時間前にポックリ、とかいう可能性もゼロじゃないから、『生きている』などという無責任なことは言わないよ。老体は、些細な切っ掛けでいつ逝ってもおかしくはないんだから。
ま、念の為にポーションを飲ませておいたから、大丈夫だとは思うけどね。
そしてこれで『調査段階』は終わり、いよいよ『復讐の段階』だ。
「私は、カルロスからの依頼を遂行します。御協力戴けますか?」
こくこくこく
よし、作戦開始だ。
人間に手伝って貰うつもりはない。
これは、カルロスからの依頼だ。御主人様であった前子爵と、この少女のための。
だから、現レイフェル女子爵であるマリアルも、他の人達も巻き込むわけにはいかない。巻き込むのは、カルロスと同じ立場であり、同じ思いを持つ者のみ。
「では、ここで飼われている犬たちに会わせて下さい」
* *
「……何だ、あれは……」
「気味が悪い……」
人々が、嫌悪と恐怖心をもって眺めている、1軒の住居。
それは、少し裕福な商人や爵位のない貴族が住むような、やや豪勢ではあるものの、何の変哲もない住居であった。
そう、何の変哲もない。……もし、その住居を取り囲むように屋根や樹上、塀の上等に群がる多くのカラスと、塀の外周に沿って座り込んだ多数の犬がいなければ、の話であるが……。
「くそ、いったい何だというのだ! どうしてカラスや犬がこの家を取り囲む! 誰か、嫌がらせで餌でも撒いたのか!」
アラゴン・フォン・レイフェル。
マリアルの父親の弟、つまりレイフェル子爵家先々代の次男であり、マリアルの叔父に当たる。現在28歳。マリアルの父親とは少し年が離れていたため、父親が20歳の時の子であり現在14歳のマリアルに対して、14歳差である。
貴族の婚姻においては20歳以上の年齢差などザラにある。そして、叔父と姪の結婚など、珍しくもない。特に、お家の血筋を守ったり、色々な思惑がある場合には……。
いくら貴族とはいえ、家督を継げるわけでもない次男坊はただの『予備』に過ぎず、跡継ぎである長男が子を成した時点で、その『予備』としての意味も大きく低下する。
生まれたのが男子であれば勿論であるが、女子のみであっても、それはあまり変わらない。その場合はどこかの貴族家の次男以下の者を入り婿として迎えれば良いのであり、希望者が殺到するであろう。その本家との繋がりもできるので、政略結婚としても悪くはない。
なので、もし長男に万一のことがあった場合は、レイフェル子爵家も当然、そのようにしてマリアルに婿を取るはずであった。
多くの希望者の中から家柄も人格も見目も良い婿を選べるマリアルも、有力な伯爵家あたりとの強い繋がりを得られるレイフェル子爵家も、爵位を継げぬ息子を将来の子爵家女当主の婿にでき、行く行くは孫が子爵家当主となる入り婿側の本家としても、全く問題がない。
レイフェル家の長男は利発で健康であったし、マリアルもまた、美しく聡明な少女であった。ふたりの子供が健やかに成長しても、万一どちらかが事故や病に倒れても、レイフェル子爵家は安泰。そのままであれば、皆が幸せになれる。……そう、爵位を継げず、軍人か官僚にでもなるしかない、叔父のアラゴン以外の『皆』は。
そして打って出た、一世一代の大勝負。
暗部を雇い、兄夫婦と甥を謀殺。そして『兄に、自分達に万一のことがあった場合には、と頼まれていた』と言いくるめ、まだ14歳の姪に婚姻を迫った。
両親を愛し尊敬していた『いい子ちゃん』である姪が、その言葉に逆らわないであろうと見越して……。
そして思惑通り、あと少しで姪のマリアルが15歳の成人を迎え、それと同時に婚姻の準備にはいる予定である。そして、自分がレイフェル子爵家の当主へと……。
普通であれば、入り婿は爵位を継げるわけではなく、『女子爵の配偶者』に過ぎない。でないと、離婚した時や、妻が亡くなって再婚したりすると、血縁のない赤の他人が爵位を継承することになってしまう。
しかし、今回は違う。アラゴンにも爵位継承権があり、兄の血筋が絶えた場合には、アラゴンに爵位が廻ってくるのである。なので、マリアルに何かあっても、全く問題ない。
実は、襲撃ではマリアルを含む兄一家全員を抹殺する予定だったのである。それが、マリアルが同行していなかったためにひとり取りこぼすこととなったが、結果的には、それはそれで問題なかった。
若く美しい少女、それも、自分に劣等感を抱かせ、爵位も財産も全てを掻っ攫っていった、あの憎い兄の娘を蹂躙し、家族の仇である自分に奉仕させる。その嗜虐的な昏い喜びには、えも言われぬ甘美な香りがあった。
もし自分が拒絶されたなら、殺せばいい。また、暗部を雇って。その場合でも、爵位は自分に転がり込んで来る。そう思うと、アラゴンには余裕があった。
さすがに短期間に連続して事件が続くのは問題があるが、マリアルが結婚し、子を成すまでに『事故』が起きれば済むことである。また、もし子が生まれた後であっても、その子供も一緒に事故に巻き込まれれば済むだけのことである。レイフェル家の血を引かぬ入り婿には、継承権がないのだから……。
しかしそれらの思惑も、予想通りマリアルが自分との婚姻を了承したため、不必要となった。子爵家の継承順位第1位と第2位が婚姻を結ぶのであるから、何の問題もない。
あと数カ月。
あと数カ月経ち、マリアルが15歳の成人を迎えれば……。
そんな心躍る日々を過ごしていたところに、これである。
「何なのだ、いったい……。縁起でもない……」
そして、毎日続く尋常ではないその様子は、憶測を加えた噂となって、またたくうちに広がっていった。
「大量のカラスと犬に囲まれた家」
「魔女か悪魔の住処ではないのか」
「悪魔と契約した者が住んでいるのでは……」
更にそこに、事情に通じた者が情報を付け加える。
「あそこに住んでいる貴族の、兄夫婦と息子が殺されたらしい」
「唯一残った、爵位継承者である14歳の少女と結婚して、入り婿になるらしいぞ……」
「おい、それって、まさか……」
「あのカラスと犬たち、どっちの使いだろうな? 悪魔の方か、それとも兄夫婦の方か……」
そして、その家はしだいにカラスと犬の糞便に塗れてゆく。
取り囲んでいるカラスや犬だけでなく、わざわざ他所から飛んできたカラスや、トコトコと歩いてきた犬がその家で糞をし、そして去ってゆく。それを見て、人ならざるものが関与しているということを疑う者はいなかった。何しろ、ここは女神が存在することが『厳然たる事実』である世界なのであるから……。
* *
『今日の勤務時間、終わったぜ! 報酬をくれ!』
「はいはい。じゃ、これ、細切れ肉と、パンと、トウモロコシね。細切れ肉は、脂身の多いとこにしといたから。それと、巣に持ち帰る分は、運びやすいように袋に入れてあるからね」
『おお、大サービスじゃん! よっしゃ、明日も頑張って働くぜ!』
大喜びで、食事を始めるカラス。既に多くの仲間達が食事をしており、その横には持ち帰り用の袋が並んでいる。
(これを持ち帰れば、妻も仔ガラス達も文句は言うまい。実にいい仕事、というか、いい餌場を見つけたものだ……)
カラスは、この仕事がなるべく長く続くといいな、と思いながらも、あの家に住む者がそう長く耐えられるとは思っていなかった。そして明日からは、依頼内容が少し増えるし、と。
(明日からは仕事が増えるけれど、楽しそうだからいいや。それに、餌のランクが上がるっていうから、大歓迎だ!)
そして、3頭の犬に先導されて、ぞろぞろとやってくる犬たち。
「お疲れさん! お腹いっぱい食べていってね。明日もよろしく!」
先導してきた3頭の犬は、餌を無視して少女の側に。そして他の犬達は、ぺこりと頭を下げたあと、餌を食べ始めた。
暢気に餌を食べる犬たちに対して、少女の側にいる3頭の犬達の表情は険しかった。そう、それはまるで、主人を護るために大熊の前に立ちはだかるかのような表情であった。




