107 調 査 2
「な、ななな……」
明らかに異常。
ヒヒン、ブヒヒンと、馬達と交互にいななく謎の少女。
馬達と会話しているとしか思えない状況と、馬達の反応。
あまりのことに硬直した子爵家一同であるが、現当主であるマリアルだけは、驚きではなく、別の感情で固まっていた。
(ああ、もう少し早く、この少女と出会えていれば! そうしたら、カルロスが死ぬ前にお話できたかも知れないのに……)
どうやらマリアルは、カルロスは突然死したと教えられているようであった。
そして、子爵家の者達の思いとは関係なく、カオルと馬達の会話は続く。
『あ、私、動物のお医者さんだっていう触れ込みで来てるのよ。何か、それらしいことをしなきゃならないの。何か、怪我や病気とかしてない? 治してあげるよ。あと、ここの人達に対する要望とかがあれば、伝えてあげるよ』
『『『『『『本当ですかああああぁっっ!!』』』』』』
そしてしばらくブヒヒンブヒヒンという会話が交わされた後。
「こちらの乗用馬の子は、『いけ好かない男に、憂さ晴らしに不必要な鞭を入れられて尻が痛い』と言っていますね。誰か、馬を虐待するクソ男に貸しましたか?」
「「「え……」」」
それは、あの、叔父以外には考えられない。
「そしてもう片方の乗用馬の子は、『カルロス殿を処分させるために馬屋に売り飛ばした男の乗り方が荒いから、右膝の調子が悪い』と……」
「え!」
「「あ……」」
カオルの言葉の前半部分の方に驚き、絶句するマリアルと、若き女主人には秘密にしておこうと決めていたことを思わぬ形で暴露され、再び固まる執事と厩番の老人。
しかし、爆弾はそれだけではなかった。
今までのが50キロ爆弾だとすれば、次のは核爆弾であった。
「そしてこちらの馬車馬さんは、精神的に少し参っているみたいですね。『御主人様夫妻と子息様を襲わせた犯人を乗せるのは嫌だ。騙されたお嬢様と一緒に乗せたくない』とのことで……」
「「「えええええええっっ!!」」」
愕然。呆然。
「そ、それ、は……、それはいったい、どういう……」
「いえ、どういうも何も、ただ馬達がそう言っているというだけのことで、私は何も知りませんよ。他に、調子の悪いところはですね……」
真っ青な顔でガクガクと震えるマリアルと、本当ならば倒れかねないマリアルを気遣って支えねばならないのに、とてもそれどころではなく、自分のことでいっぱいいっぱいの執事達。
「片方の馬車の車輪がおかしくて左に寄るから走りづらい。この子の鞍にトゲが出ているから取ってくれ、餌に毎回リンゴとトウモロコシを入れてくれ、というのと、たまには甘いものが欲しい、と言っています」
そして、カオルが指摘した事項は、厩番の老人によって、全て本当の事だと確認された。
尻にある、鞭によると思われる傷。数日前から少し右脚を庇うような仕草をしている馬。ささくれが立った鞍。少し引っ掛かりがあるのか、回転がスムーズではない馬車の左車輪……。
ということは、『その他の部分』も正しいのか?
あの部分も、本当に馬達が証言している通りであり、正しいのか?
「「「…………」」」
ほんの数十秒間に過ぎない静寂は、長く感じられた。まるで永遠に続くかのように、長く、とても長く……。
その後、ようやく再起動したマリアルは、カオルに馬車馬達との通訳を頼んだ。聞きたいことは、勿論……。
* *
「……と言っています」
そして、全ての通訳を終えたカオル。
通訳を始める前に、カオルの姿を他の者達の身体で馬の眼から完全に遮り、後ろを向かせた上、身動きをしないよう見張った状態で、言葉のみにより馬達に複雑な動きをさせたり、回数を指定したいななきを命じたりして実験を行った。
また、馬達自身の他には厩番の老人しか知らないはずのことを尋ねてみた。
その結果は、疑う余地のないものであった。
再び広がる、静寂。
仇の存在は分かった。
……しかし、どうしようもない。
訴え出るにしても、その根拠が『馬がそう言っています』という、余所者の少女の証言のみ。これでまともに取り合ってくれるはずがない。皆には『ブヒヒンブヒヒン』としか聞こえないのだから、怪しい少女の言い放題なのである。
それに、もし馬が人間の言葉で証言できたとしても、『訴える側の人間が飼っている馬』なのであるから、主人に言われた通りに証言する、と判断されて終わりである。誰もが納得するような証拠がない限り、どうしようもない。
そしてこの世界では、指紋照合も現場に残された髪の毛のDNA鑑定も不可能である。
もし可能であったとしても、それをもって犯人と断定することもできまい。一般の人々も裁判を行う者達も、それが意味するところを理解していないのだから……。
「どうすれば……」
マリアルのその言葉は、自分が何をすれば良いのかが分からず途方に暮れた者の言葉ではなかった。
やることは、決まっている。問題は、如何にしてそれを確実にやり遂げるか、ということである。マリアルの言葉は、『やること』ではなく、『それを実現するための方策』を求めての言葉であった。その眼が。そしてその顔が、そう語っていた。
(この子は、やる気だ……)
状況に流されて、何も考えずに叔父との結婚を受け入れたのかと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
亡くなった両親の望みだったから。なので、意に染まぬ結婚も受け入れたのであろう。
しかし、それが虚偽であり、両親はそんなことなど望んでいなかったなら。そして、自分を騙そうとしたその男が、両親と兄の仇であったなら……。
カオルは、もしマリアルが弱気であり躊躇うようであれば、このまま手を引くことも考えていた。ポーションを使えば、今までの会話を、そしてこの数分間のことを『無かったこと』にすることも可能である。
何も知らずに、両親と兄の仇と結婚して、それなりに幸せな生涯を送る。そんな人生があっても、構わないだろう。何せ、『知らなかった』のだから、仕方ない。
カルロスは、充分なお金を払えば、あの老人が最後まで面倒をみてくれるだろう。……老人の方が先に死なない限りは。
まぁ、カルロスもかなりの高齢である。寿命が短い馬のカルロスの方が先に逝く可能性の方が、ずっと高いだろう。
しかし、この子はやる気のようであった。躊躇う素振りもなく。
ならば、カオルが言う台詞は決まっていた。
「実は私、『動物のお医者さん』の他にも仕事をやっているんですよ」
「え……」
それは、この重苦しい場面で口にされるには、明らかに場違いな台詞であった。つまり、何らかの意図があっての言葉、ということである。
カオルの言葉の続きを、固唾を呑んで待つマリアル。
そして、遂にカオルの口からその言葉が放たれた。
「許せぬ悪を討ち、晴らせぬ恨みを晴らす。人呼んで、滅殺神罰人!」
「「「…………」」」
呆気にとられるマリアル達であるが、すぐに先程のカオルの言葉を思い出した。
『実は私、「動物のお医者さん」の他にも仕事をやっているんですよ』
仕事。それが『仕事』だと言うならば……。
「お願いです、私からの……、いえ、我がレイフェル子爵家からの依頼をお受け下さい!」
執事も厩番の老人も、マリアルのその言葉に驚く様子も、そしてそれを止めようとする様子もなかった。
当然のこと。
そう言わんばかりの、平然とした態度。
だが、その眼には、怒りと憎しみの炎が荒れ狂っていた。
そしてカオルの返事は、勿論。
「お断りします」
「「「えええええっっ!!」」」
まさかの、拒絶。
あの話の流れで、それはない。
呆然とする子爵家の3人に、カオルの言葉が続けられた。
「私は、二重契約はしませんよ」
「え?」
意味が分からず、きょとんとしたマリアルに、カオルが締めの言葉を告げた。
「依頼は、既にカルロスから受けていますから」
眼を大きく見開いたマリアルが、大きな声で叫んだ。
「カルロスううううぅ! 死してなお、私達のためにいいいいぃ!!」
「おお、おお、カルロス……」
「何という、忠義の馬なのだ……」
厩番の老人と執事も、マリアルと共にその場に泣き崩れた。
「あ、いや、カルロスは死んじゃいない……、って、誰も聞いてないよ……」




