102 仕 事 1
「異国の薬師です。王族に薬を与えたこともあります」
門番達にそう言うと、丁重に迎え入れられた。変装のため、怪しい仮面を着けているというのに。
……いいのか、そんなに簡単に得体の知れない者を通して!
そう聞いてみたら。
「何かあった場合は、あなたと私の首が飛ぶだけのことです。シャロト様の御病気が治る可能性に較べれば、どちらも、大したことではありません」
いや、『大したこと』だろ、ソレ! 少なくとも、私にとっては!
……しかし、門番が、そこまで言うか。いい貴族なんだな、やっぱり……。
エミール達の調査通りか。
いや、勿論、エミール達の調査結果を疑ったりはしていないけどね。
そして、門番のひとりに案内されて、お屋敷の中へ。
ここは、言わずと知れた、ドリヴェル男爵家王都邸。男爵家が、相手の身分を問わずに医者や薬を求めていると聞いて、正攻法、真正面から行くことにしたのだ。勿論、変装済み。
髪、眼、肌の色を変えて、昔アシルさんのところのパーティーに出た時に使った宝石類を身に着けている。宝石に目が行けば、他の部分に関する印象が薄れるだろうし、『いつも掛けている眼鏡を外した女の子』と同じ効果で、『宝石類を身に着けていない私』を認識しづらくなるのではないかと考えたのだ。
……頭いい!
それと、高価な宝石類を身に着けていれば、お金には困っていないということがアピールできるから、食い詰めて、自暴自棄になって命の危険がある『貴族相手の詐欺行為』を企むようなことはあるまい、と思って貰えるだろう。私の権威付けにもなるし。
そして、トドメの、『怪しい仮面』。
……これで、権威付けも信用も、全てが台無しだ。
「その方が、異国の薬師とやらか。で、長命丹を持っているというのか?」
「いえ、そんなものは持っていませんけど?」
「何だと!」
男爵と、私の側方で待機している門番が、驚いたような顔をしている。
あ、門番は、私が怪しい素振りをしたらすぐに取り押さえられるような位置取りをしている。
いくら下級貴族の男爵家であり、政争の渦中の人とかじゃなくても、そしてあまり他者からの恨みを買うようなことのない人であっても、一応は貴族家当主なのだから、逆恨みや利害関係の絡みとかもあるだろう。なので、無用な危険は冒すまい。いくら私が非力に見えても、暗器や毒とかを使う可能性はあるのだから。
そもそも薬師を自称しているのだ、毒は使えて当然だと思うだろう。
「私が御用意できるのは、そのような薬ではありません。もっと効果のある薬です」
「な、何! 長命丹より効果のある薬だと! そのようなもの、あるはずが……、いや、確か、遠国にそのような薬があるという話を聞いたことはあるが、日保ちせず、あまり遠くへ運ぶことは叶わぬとか……。
そしてその薬も、しばらく前から製造が途絶え、それを作っていた薬師が亡くなって製法が失われたとかいう話が……」
ありゃ、ここはバルモア王国からはかなり離れた国だし、このあたりには出回っていないはずなのに、かなり正確に私のポーションのことを知ってるなぁ。男爵位なら、上層部限定の情報には、それほど明るくないはずなのに……。
ま、ぐだぐだと説明していても、時間の無駄だ。それに、どうしても信じないなら、無理にポーションを飲んで貰う必要もない。拒絶されれば、『今回は、御縁がなかったようですので……』で済ませればいいだけのことだ。
……フランセットが少しがっかりするかも知れないけれど、それは仕方ない。別に、無理矢理飲ませる必要もないし、『信じる者は救われる』ということで、信じない者の面倒までみるつもりはない。なので……。
ひょい
懐から取り出す振りをして、1本の瓶を掴み出した。
「はい、治療薬、『女神の涙』です」
そう、これはバルモア王国で市販していた一般流通用のポーションではなく、裏で活動していた方、御使い様特製の『女神の涙』の方だ。
だって、今の私は『商店主のカオル』ではなく、『御使い様』なのだから。
「「え?」」
眼を見張る、男爵と門番の男性。
「な……」
そして、声も出せないらしい、ドリヴェル男爵。
「いや、だから、治療薬『女神の涙』です。要らないなら、持って帰りますが……。あ、保存は利きませんから、今飲ませないならば、効果はなくなりますよ」
男爵は、ほんのしばらく躊躇ったあと。
「……こちらへ!」
男爵に案内されたのは、子供部屋らしきところ。そこにはベッドがあり、10歳前後の男の子が臥せっていた。
「シャロト、新しい薬だ、飲みなさい!」
私から受け取った『女神の涙』を、息子さんに飲ませるドリヴェル男爵。少し手が震えているようだけど、1滴たりとも決して溢すまいと、必死の形相だ。まぁ、少しくらい溢れても、全然問題ないんだけどね。
息子さんは、別に眠っていたというわけではなかったらしく、身体を起こして、父親が口に当てたポーションの瓶から、こくこくと中身を飲み干した。
考えてみると、貴族が、得体の知れない子供が差し出した薬を何の疑問もなく大切な息子に飲ませるか、と疑問に思わなくもない。御使い様のことが知れ渡っていた、バルモア王国の王都でならばともかく……。
余程追い詰められていたか、それとも、『もし嘘であれば、この場で手討ちにしてくれる!』とでも考えたのか。
ま、そうなることが子供にでも分かりそうだから、そんな馬鹿な真似をする者はいない、という判断なのかも。ポーションや、『女神の涙』のことをある程度知っているなら、その効果が即効性のものであることは知っているだろうからね。
そして……。
「父上、何だか、身体が楽になったような気がします……」
「ほ、本当か! 熱は、熱はどうだ!」
声を上げて喜びたい。しかし、ぬか喜びになるのが怖くて、感情を必死で押し殺そうとする男爵。そして、まだこの奇跡が信じ切れなくて、男爵の表情が、くるくると変わる。
「頭のぼ~っとした感じや、熱っぽい感じは、ないみたいです……」
男爵が、息子さんの、ええと、シャロト君の額に手を当てたり、眼を覗き込んだり、舌を出させたりと色々やった後、ようやく、本当に息子の病気が治ったのだということを理解したようである。
別に、不治の病とか難病とかいうわけではなかったのかも知れない。……現代日本の感覚では。
しかし、日本であれば注射1本、あるいは医薬品など無くとも食餌療法で簡単に治る病気であっても、この文明レベルの世界では、人間は簡単に死ぬ。特に、幼い子供は。
なので、この子の病気が何という病気だったのか、そしてそのまま放置していても自然に治ったのかどうかは分からない。しかし、今の私は、この男爵家にとり、間違いなく『息子の命を救った、女神様の御使い』以外の何者でもないだろう。
そして、はっと気が付いたらしい男爵が、私の方を向いて跪いた。勿論、それは貴族が一介の薬師に対して行うようなことじゃない。
多分、『有効期限が非常に短いはずの奇跡の神薬を持ち、値段交渉もせずにそれを簡単に提供する、12歳前後の凄腕子供薬師』の存在を信じるよりは、ただ単に『女神様の御使い』の存在を信じる方が、ずっと現実的だったのだろう。男爵の常識としては……。
うん、私も、そう思う。
「御使い様、息子、シャロトの命をお救い戴き、感謝致します……」
あれ、それにしても、一応の確認もせずに、いきなり『御使い様』と決めつけ? もしかして……。
「あの、私のことを?」
「はい、息子のために薬のことを色々と調べておりました際に知りました。バルモア王国とその周辺国に数年の間に亘り出回ったという噂の、奇跡の神薬、『ポーション』。その製造と流通に深く関わっていたとされる、眼付きのわる……子供が泣き……鋭い視線の、ひとりの少女の存在。
また、4年前の、アリゴ帝国の敗北と奇跡の復興、ルエダ聖国の惨めな滅亡、そしてあのセレスティーヌ様御降臨の陰にあったと言われる、とある眼付きのわる……、いえ、眼に迫力のある少女の噂。
秘密組織、『女神の眼』の暗躍と、御使い様による、心正しき者達への救い。
遠方である我が国では、一部の上層部の者達しかその全貌を完全に把握してはいないようですが、下級貴族の貧乏男爵家であっても、我が子のために必死になれば、それくらいの情報は……」
……もう、いいから! 無理に『目付きの悪い』って言葉を避けようとしなくていいから!
あんまり気を使ったり無理をされると、却って居心地悪いから!!
……くそ。




