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出国

〈恩人〉が消えた瞬間に全ての武器が捨てられ、スパイたちが涙を流しながら悔やみ、全てがよい方向に行くわけはなく、突然あらわれた権力の真空は秩序の崩壊をもたらし、〈真珠〉では自分以外全部敵の狂えるハンティングが始まった。

 アスンシオン通りではナタを手にした男たちが襟にカーネーションを差した燕尾服の男を追い回し、〈恩人〉百貨店ではボロボロの女たちが目を血走らせライバルを引っかき略奪に熱中し、国立銀行では金庫は開けっ放しだという噂を無邪気に信じた暴徒たちが押し寄せた。だが、まだ〈恩人〉に忠誠を誓う士官学校生たちがバナナ型の弾倉を上につけた軽機関銃をぶっ放し、群衆は四歳の裸足の少女を含む五十六の死体を残して、元いたスラム街へ撤退した。閲兵広場では〈恩人〉の銅像が倒されて、サント・アルバレス通りのカフェに設置された〈人民法廷〉では、シャツの柄がむかつく程度の理由で人が吊るされた。

 殺し屋とサキは組んで、〈真珠〉からの脱出を図っていた。サンタ・マリア通りでは時計塔警察署が燃えていて、長針の先に縛られてぶらさがった警察署長が生きたまま足のほうから焼かれていた。銃撃は続いていて、サンタ・マリア通りから六番街へ走った子どもがいたが、乾いた銃声がすると、身を突っ張って前のめり、そのまま倒れて、血だまりを広げた。

 殺し屋は死後硬直した指を切り落として手に入れた憲兵用のライフルに新しい挿弾子クリップを押し込んだ。弾丸は銅で被膜されるかわりに柔らかい鉛がむき出しになっていた。弾速と貫通力を犠牲にしていいから人間の体のなかで炸裂してぐちゃぐちゃにしてほしいという悪意の塊のような弾だった。

「そういう弾を憲兵は込めて歩いているわけだよ」

「〈恩人〉は死んだ」

「でも、権力はまだ生きている」

 そう言って、銃吊りベルトを取って、ライフルをまわし、ストックを肩でしっかり固定すると、はす向かいの小邸宅から出てきた男を撃った。男は女の髪をはなし、うつ伏せに倒れた。肋骨が一度に八本折れて肺に刺さり、想像を絶する激痛と窒息状態に身をよじっていると、さっきまで髪をつかまれて引きずられていた女が立ち上がり、男を蹴飛ばし、唾を吐いた。女は男のベルトから銃を抜くと、すぐ横の、鋳鉄の街灯が並ぶ道へと走って逃げた。

「見ろ。世界の終わりだぞ」

 殺し屋が見上げると、黒煙と真っ赤な炎の影が複雑に混ざりあって空を塞いでいて、道や広場は砂漠の夕暮れのように赤かった。まだ午前十一時にもかかわらず。

 サンタ・マリア通りでまた銃声がした。勤め人風の男が背中からホースでまいたみたいに血を噴き、書類カバンを必死に抱きかかえていた。バン! 男はカバンを放り出した。炎にあぶられたつむじ風はカバンからオイル・サーディンの輸入に関する書類をまき上げた。

 殺し屋は建物の角から手鏡だけを出して、狙撃者の位置を割り出そうとした。

「ダメだ。わからない。サキ。オトリになって」

「よし」

 サキはショットガンを壁に立てかけると、

「おい、当ててみろ!」

 と、叫んで、街角から飛び出した。

 真っ赤に燃えた弾丸の熱が感じられるほどの近くで弾がかすったが、サキはすぐに建物の安全圏に転がり込み、

「見えたか?」

「見えた」

 いうなり、殺し屋は角から銃と半身だけをさらして撃った。

 燃える警察署を映すガラスのうちの一枚が割れて、狙撃用ライフルが手首と一緒に落ちてきた。

「クリア」

 サンタ・マリア通りのホテル前の柱廊に沿って、床屋の商売道具を蹴散らしながら六番街へ進み、オイル・サーディンの契約書を後生大事に抱えていた男の死体をまたいだ。背中は真っ二つに裂けていて、割れた背骨が白く飛び出していた。

「実際、どうやって〈恩人〉を仕留めた?」

 バン! サキのショットガンが床屋のポールをズタズタにし、ガラス片がアーケードの地下に潜んでいた男たちに降り注いだ。後は、ひとりずつ飛び出してくるから背中から散弾を浴びせるだけでよかった。

「思ったより簡単に行く仕事だったよ」殺し屋はガラスまみれになりながら銃を抜こうとする男の首を撃った。しゃれたスーツを着ていて、どうして穴倉から出てきたような連中と待ち伏せをする気になったのか、不思議だった。「〈恩人〉の護衛兵はぼくを一度も身体検査しなかった」

「本当か?」

 バン! 横町から弾が飛んできた。ふたりでトラックの影に飛び込む。

「本当だよ」

 殺し屋は腹ばいになり、トラックの下から襲撃者の足が見えるのを待った。

「あれならサイレンサー付きの四十五口径も持ち込めたよ。どうも〈恩人〉は自分の処女には誰にも手を触れてもらいたくないらしい」

「それで死んだら、世話はない」

「ほんと、それ」

 つま先に鉄をかぶせたカウボーイブーツが見え、殺し屋がそれを撃つと、足首がぽきりと折れて悲鳴が上がった。

「ショットガンの距離じゃないな」

「ショットガン、捨てたら?」

「接近戦なら、これが一番だ」

「ナイフあるでしょ」

「我々よりも大柄で麻薬でトんでいる男が一度に三人襲いかかったとき、ショットガンのありがたみがわかるというものだ。それより続きを」

「大統領宮殿にはお姫さまみたいな部屋があって、ぼくはそこで待たされた」

「お姫さまみたいなベッドがあったか?」

「あったよ。プードルのぬいぐるみも」

 アトラス通り十三番地。サキが長らく住んだアパートがあったが、ここでも人びとの怒号が絶えなかった。真っ白なベランダから次々と家具が放り出されていた。背もたれ付きの椅子。枝付き燭台。振り子時計。蝋紙張りの古いソファー。蓄音機。〈恩人〉の肖像画。鋳鉄製のコンロ。脱水ローラー付き洗濯桶。蓋付きの机。下の道を歩いているものにぶつかるかもなどとは気にしていないのか、破壊者たちはミネラルウォーターの空き瓶でつくった火炎瓶を投げつけた。積み重なった家具の山は粘ついた煙を出す炎に絡め取られ、そのなかにはサキが使っていた反射熱コンロもあった。

 サキは自分の部屋の窓を見上げて言った。

「誰もわたしがベッドの下に隠した貯金箱に触れていないようだな」

「なんでわかるの?」

 ボン! 窓が枠から吹き飛び、真横に噴き出した炎が向かいの建物の洗濯物を灰にした。

「なかに手榴弾を仕掛けた。まあ、小銭が少しあるだけだ」

 その後、パードレ=エンゾ街で何人かの膝を吹き飛ばし、法務省と国立芸術院のあいだで交わされるダムダム弾、三〇・〇六弾、三〇・三〇弾、六十ミリ砲弾をかいくぐるあいだ、殺し屋はあの夜、大統領官邸で起きたことの続きを話した。

「まず、ぼくはやられてない。これははっきりさせておこう。というより、〈恩人〉は脱ぐなって言ったんだ。先に全部脱ぎたいからって。〈恩人〉は外国の君主に会いにいくみたいに礼装を極めてた。ひとつ違うとしたら、ベルトに銃を下げてた。シングル・アクションの古いリヴォルヴァー。たぶん、昔、シプリアノ将軍の下っ端のしがない牧童だったころから使ってるんだろうね。愛着があるらしい。まず、ガンベルトを外した。その後は、胸を覆い尽くしていた勲章を、ひとつひとつ名前と由来を解説しながら外していったんだけど、七割方は自分でつくって自分に授与させたものだった。まるで金物屋だったよ。それで白い礼服を脱いで、パンツも脱いだら、だらしない、皺だらけで垂れ下がった体がお目見えだ。まあ、八十二歳だからね。仕方がないといえば、仕方がないけど、その年齢でファック・モンスターってのも、どうだろうね。しかも、処女マニア。ん? ペニス? 確かに大きかった。何かの病気にかかって腫れあがってるのかもと思った。何せ、真ん中にぶら下げられないから、左の太ももにテープでとめてるんだ。笑うのをこらえたよ。で、まあ、あとは 簡単すぎるほどに簡単。この国で殺したなかでも一番簡単だった。その気があるふりをして、そっと首に手をまわして、ひねった。そうしたら、爪楊枝が折れるみたいな音が首のなかからして、失禁。こっちは窓から何とか逃げたってわけだ」

 あと、通りを一本渡れば港まで行けるところに来て、厄介なやつに出くわした。大学図書館の時計塔に恐ろしく射撃のうまいやつが籠っているのだ。実際、そいつは眼下に見えるものなら何でも撃った。白シャツの男、五歳の少女、外国人新聞記者、警官、レモン売りの老人、サトウキビをかじっていた猿。みな、眉間をぶち抜いた。

「ナタでバレバレの殺しやるやつがナンバーワンだって、誰が言ってたんだっけ?」

「さあ、誰だったかな。しかし、なかなかうまい」

「ぼくほどじゃない」

「じゃあ、対決してみろ」

「したいのは山々だけど、弾が切れた」

 殺し屋はボルトを引いて、空っぽの薬室を見せた。

「ショットガン、貸すぞ?」

「バカ」

 バン! カーン!

「変な音がした」

「そうだな。人に当たった音ではない」

 手鏡だけを角から出して見た。

「おおっと、これは」

 巨大な鉄のクジラがズルズルと広場を進んでいる。弾はそのクジラの背中でカーンカーンと跳ね返っていた。

 それは北にあるビッグな国の白人グリンゴたちがつくったビッグな多砲塔戦車〈インデペンデンスデイ〉だった。総重量百トン越えの戦車は戦車というよりは陸上戦艦でその砲塔全部がビッグな国の青い星の旗を生やしていた。

 射撃の名手は厚さ十センチの防弾ガラスで守られた観測口を狙って、狂おしくも絶望的な狙撃を繰り返したが、最も大きな砲塔の七十五ミリ砲がゆっくり上を向くと、もう射撃をあきらめ、運命を受け入れた。

 時計の部品と一緒に一万の破片となって狙撃手が降り注ぐと、死体だらけの大通りには燃えた石炭のようなものが転がった。

 続いて、サラダボウルのようなヘルメットをかぶったカーキ色の海兵隊がぞろぞろあらわれた。三十口径の自動小銃をあちこちに向けて、索敵をすると、モンタナ帽をかぶった海兵隊大尉があらわれて、メガホンで怒鳴った。

「××××合衆国民の皆さん! お迎えに上がりました!」

 あちこちでイエー!と歓声が上がった。そして、岩陰や地下室に隠れていたビッグな国の白人グリンゴが次々とあらわれて、海兵隊に近づいた。

「皆さん! パスポートを見せてください! 救助するのは××××合衆国民だけです!」

 白人グリンゴたちは慌てて、パスポートを取り出した。スミスやジョンソンといった名前を持つ白人グリンゴ――ほとんどは観光客だった——は受け入れられ、港に待つビッグな国の駆逐艦へと乗り込んでいった。

 ところが、この国の人間も、自分たちを連れて行ってくれ!と言って、海兵隊たちに近づいた。大尉がメガホンで怒鳴った。

「下がってください! ××××合衆国民だけです! 下がってください!」

 海兵隊は近づく地元民を銃で突いたり、蹴り飛ばして遠ざけていたが、ひとりが海兵隊の防衛ラインをかいくぐって、駆逐艦へ走った。

 事前にそういう命令がされていたのだろう。数人の海兵隊員が三十口径弾の弾倉分丸ごとの連射を浴びせ、男は木っ端みじんに吹き飛んだ。肉がわずかに残った人骨が数秒震えたのち、グシャッと真下に崩れ落ちた。

 それがパニックの引き金になった。

 文字通り引き金が引かれ、地元民がバタバタ倒れた。なかには赤ん坊をかかげて撃たないでくれと懇願する母親がいたが、まず赤ん坊が消し飛び、母親の額、顔、下顎がそれに続いた。

「バカ! 撃つな! 撃つんじゃない!」

 大尉がメガホンで叫んだ。手遅れだった。最新の自動小銃のフルオートは時計塔の狙撃手以上の仕事をした。生存者はいなかった。

「終わった?」

「そのようだな」

 殺し屋とサキは銃を捨てると、ドン・メネヒルドからあらかじめもらっていたビッグな国の偽造パスポートを手に持ち、高く掲げながら、ゆっくりと刺激しないよう、海兵隊の視界に入った。



 駆逐艦から見えるヨットクラブの炎は壮絶だった。

 大統領宮殿の次に立派と言われただけあって、焼ける姿もまた大統領宮殿の次に立派だった。

 大統領宮殿は炎上というよりは断続的な爆発だった。一体何をため込んだのか勘繰りたくなるほどだ。

〈真珠〉は燃えていた。黒い煙が炎に炙られて赤く光り、止まない銃声がパーンパーンと軽くきこえてきた。

 ふたりは駆逐艦の舷側に寄りかかって、〈真珠〉が灰になっていくのを見ていた。

「ドン・メネヒルドは知っていたと思うか?」

「あの人は立て直すよりも、全部焼いてからやり直すタイプだよ」

「焼き畑農業にヒントを得たのかもしれない。ところで」

 と、サキは懐から瓶を取り出した。

「一本失敬してきた。グラスもあるぞ」

 ディプロマティコで乾杯をし、濃密なダーク・ラムの鼻へと抜ける芳香を楽しみながら、殺し屋はにこりと笑って言った。

「サキ」

「なんだ?」

「今度、物凄く儲かるまちを見つけたら、ぼくには絶対教えないでね」


                          END

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きなくさいー。てインコ臭いみたいなヒビキですね煙と火薬と有機物色々と生活のニオイまでざくっと攪拌された(カレーは混ぜない派です)具合のよい強烈です。小娘二人で国ひとつ、腐ったやつを潰す、これぐらい豪快…
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