ラム酒
古代文明と近代化された製糖業。
地平線まで埋め尽くすサトウキビの青のなかに、ジャングルをショールみたいにかぶった遺跡の赤がときおり、姿を見せている。それは地面の下には古代文明がそっくりそのまま残っていて、産業社会に、自分たちの足下と地獄のあいだに何があるのか思い知らせようとして、石像や神殿をわざわざ垣間見せているようだった。
「実際」と、ハンドルを握る無政府主義者のバーテンダーが言った。「飛行機で空から見て、遺跡の位置を線で結ぶと、数学の教科書に出てくる図形みたいになる。遺跡の出現には何らかの意思が働いているんだよ」
ドン・メネヒルドの屋敷は最も大きな遺跡に重ねてつくられていた。喫煙室の真ん中に解読不能の黒いオベリスクが立ち、ガラス張りの庭園にある真四角の泉亭は生贄の血で汚れた神聖な黒曜石の刃を洗うための池だった。最上の神にささげる生贄は三十六種類の香油を体にしっかりもみ込んだ処女であり、もし、生贄をささげなければ、明日は来ないと信じられていた。
「彼らを野蛮と言えるかね? いまの〈真珠〉では〈恩人〉が気持ちのよい朝を迎えるために三百人が秘密警察に殺されている」
皺が深く刻まれた赤ら顔のドン・メネヒルドは、パン!と手を叩くだけで極上のラムを召使に持ってこさせることができた。
「外交官。最高のラムが百人の外交官が集まってもできない好条件を相手国から引き出してきた。〈恩人〉はそのことを感謝していたが、最近ではすっかり忘れてしまったようだ。彼はわしのラム酒の製造を国営企業にすると本気で考えているらしい。もし、わしのラム酒をつくるものが公務員になったら、質を維持できると思うかね?」
「いえ。絶対に無理です」
殺し屋はドン・メネヒルドが家族のためだけに取っておいてあるダーク・ラムを味わっていた。どのくらいうまいかと言えば、これをコーラで割るのは罪悪だとはっきり言えるだけすごい。そして、やっかいなことに一度だけでいいからコーラで割ってみたいと思ってしまう。
ドン・メネヒルドが手を叩くと、ビッグな国でつくられた瓶詰コーラがやってきた。ドン・メネヒルドはサトウキビを刈る労働で皮膚が固まった手で栓を軽々と開けた。
「すいません。ちょっと冒涜をします」
最高のラムは最高のラム・コークを使えることが分かった。安いダーク・ラムを使えば、黒糖の後味を残せるラム・コークだが、ディプロマディコ・コークはコーラをそのコクで上書きした。
「コークだけに」
「ん? どうした?」
「なんでもない。それより、話の続きをきこうよ」
ドン・メネヒルドはクスクス笑っていたが、小さく咳をして落ち着くと、
「わしらはやつらがキャラック船でやってきて、文明とかいうものを伝えに来る前から、ここでサトウキビを育て、ラムをつくってきた。この島はラムによってのみ支配される。それについて、〈恩人〉も革命家どもも勘違いをするべきではない」
「でも、〈恩人〉はあなたの手からラムを取り除こうとしている」
ドン・メネヒルドは笑った。
「ヘンリー・モーガンがわしの手を切り落とすと脅しても、やつらにラムは渡らなかった。海賊に比べれば、〈恩人〉など生娘だ」
ドン・メネヒルドは肩をすくめた。その袖口からは手はなく、丸まった手首にはグラスを持つための金属の仕掛けが組み込まれていた。
「ぼくらをここに呼んだ理由は?」
「拳銃使いなら、いくらでもいる。ただ、暗殺者と言えるだけのものはいない。〈恩人〉から半径四百メートル以内で親衛隊以外の人間が銃を持ち込むことは不可能だ。ただ、誰にだって弱点はある。〈恩人〉の弱点は女だ」
「よし、ハニートラップだな。引き受けた!」サキが自信満々に言う。
すると、ドン・メネヒルドはとても申し訳なさそうな顔で、
「あなたでは無理だ。見た目の問題じゃなくて、〈恩人〉の嗜好の問題だ。〈恩人〉は処女が好きなんだ」
「なら、問題はない。わたしは処女だ」
「処女なの!?」
これには殺し屋は驚いた。ハニートラップときいて、あんなに自信たっぷりに立候補していたから、女性であることを利用したベッドでの暗殺なんかをもう百回くらいやっているのだと思っていた。
恐ろしいことだ。これから八千キロの海をヨットで渡らないといけないと言われて、アヒルちゃん足漕ぎボートにも乗ったことがない人間が、よし、自分に任せろと言ったら、それはもはや強がりではなく、遺言だ。
「あなたの純潔を疑うわけじゃないが――」
ドン・メネヒルドは視線をサキから殺し屋のほうへ移した。嫌な予感がした。
「〈恩人〉は子どもが好きなんだ」




