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ルンペン・プロレタリアート

 上院議員が蜂の巣にされ、そばに書記官の死体が乗った車が見つかったことで、〈真珠〉は大騒ぎになり、数々の内政干渉を屁とも思わずやってきた、ビッグな国の外務省もかばいきれず、ヴァンダーハイム大使はにっくきノックス長官によって更迭され、本国に呼び戻されることになった。

 ロメロ議員に裏切られたあの晩、殺し屋が大使にかくまわれたようにサキもまた学生運動家からなる政治結社にかくまわれていた。

 そこで秘密警察の幹部をひとり殺す仕事を受けたという。

「ねえ、サキ。あまり儲かっていないみたいだね」

「儲かる? 何を言うのだ、同志! 革命のための武力闘争に金銭を要求するなど言語道断だ!」

 ああ、また、影響を受けているなあ。

 ため息をつきながら、殺し屋はソファーに横になった。

 学生たちの秘密結社は地下水道を根城にしていた。植民地時代の古い水路網で、塩辛い水に洗われたつやつやした石の足場があり、ときどき、錆び崩れた鉄の水車や鉄格子の行き止まりに、二百年前の礼服を着た白骨死体が見つかることがあった。殺し屋があてがわれたマットレスはサキの部屋に敷かれた。石でできた山羊の頭が水を延々と吐き続ける音を我慢すれば、ひんやりと涼しい、いい部屋だった。

「この部屋は、倉庫かい?」

「その通りだ、同志。我々は革命的貯蔵物資の維持管理、そして、ドブネズミから秘密警察のネズミまであらゆる敵からこの物資を守るという重要な任務を課せられている」

 その物資というのが、トマトの缶詰と海軍マークのビスケットの包み、積み上げられたお茶の箱、屋上から釣り下がるヤカンやポット、洗濯紐でぶらさがった赤いシャツ、鵞鳥の羽根でつくったペンとインク瓶、骨董品ものの単発ライフルと革製の弾薬ポーチ、ツルハシ。包帯と薬品瓶。

 そして、革命的パンフレットの数々――『独占資本に対する戦闘』『労働組合と管理産業』『アナルコ・サンディカリズムにおける指導性と自治』『大土地所有制における農業機械化の遅れ』

 つまり、読むだけで頭の痛くなる本だった。

 独占資本や労働組合はまだ分かるが、アナルコ・サンディカリズムはさっぱり分からない。

 サキにたずねると、戦闘的ストライキだと言った。

 現在の資本家たちの政府を労働者全員が参加するストライキによって倒す。労働者がいなければ、自分の尻も拭けないような資本家たちはこのストライキで全員降伏するだろう、と自信たっぷりに言うのだが、この理論には重大な過失があった。

 殺し屋がストライキをしたら、警察が喜ぶだけということだ。

 すると、サキは、

「きみ、もう、ルンペン・プロレタリアートみたいな生業から卒業すべきときなのだ」

 また、分からない言葉が出てきた。

 ルンペン・プロレタリアートとはなんだとたずねると、階級意識がなく、有益な仕事をしていない労働者のことであり、旅の楽士や占い師、サーカス芸人、ギャンブラー、エロ雑誌の投稿者、そして、殺し屋のことを指す。

「でもさ、サキは殺しでこの秘密結社に奉仕してるんだよね?」

「その通りだ、同志」

「なのに、ルンペンなの?」

「いまのわたしは殺し屋ではない。革命戦闘団の団員だ」

 革命戦闘団とは革命のための暗殺組織らしい。

「そこで、同志。きみもこの革命戦闘団の団員になって、殺し屋から進化することが必要だ。というより、ここにかくまう条件がそれなのだ。快諾してくれるな?」

「もちろんだよ、同志。今のぼくはそれこそ骨の髄まで革命的殺し屋さ」

「いいぞ。では、リーダーに紹介しよう」

 リーダーは顔だけは知っていた。

 リーダーの顔が掲載された指名手配書は〈恩人〉のポスターと同じくらい大量に貼られていたからだ。

 外国製の印刷機が革命的スピードで革命的闘争を呼びかけるビラを刷っていて、その横でリーダーが何か書き物をしていた(あとで知ることだが、革命結社にとってもっとも大事なものは理論家でもなくテロリストでもなく、高性能な印刷機なのだ)。

 リーダーは背の高い四十代くらいの男で鼻の幅から出ない、ごく小さな口髭を生やしていて、頬や顎はきれいにカミソリを当てたらしく、地下生活でも髭だけは維持しようという意志が感じられた。

 そういうことを考えている時点で浮世離れした感じがすると思ったが、サキにきくと、リーダーは元大学教授だった。〈真珠〉で一番の大学で数学を教えていたが、反政府的な何かをしでかして、大学をやめさせられ、そのまま反政府組織のリーダーになった。

 他のメンバーは学生であり、秘密結社になっても教授が学生を導く形は崩れないようだ。

「ねえ、サキ。この人はなんて呼べばいい? 偉大なる指導者?」

「何を言っているんだ。同志。もちろん、同志に決まっている」

 そう言って、サキはリーダーに同志と呼びかけたが、リーダーの、神経質そうなまぶたの端がちょっとひくついたのを殺し屋は見逃さなかった。

 そこで殺し屋はちょっと実験をしてみた。

「偉大なる指導者殿。お会いできて光栄です」

 すると、リーダーの顔が急に家父長制的温和な微笑を浮かべ、

「同志。ここではみなが等しく同志なのだ」

 と、言った。

 殺し屋は直感で、たとえ革命が成功して労働者の楽園が築かれても、革命戦闘団はなくならず、リーダーが好き勝手に暗殺を行使するなと確信した。

 確信はしたが、それを言うと面倒なので、言わないことにした。サキが多少哀れだとは思ったが、ナタに取りつかれるよりは今のほうがマシだ。

 サキはリーダーに殺し屋がいかに情け容赦ない暗殺者であるかを延々と説いて、殺し屋を売り込んだ。最初はロメロ議員を殺したのが、この殺し屋なのだと正当な主張をしたが、そのうち誇張が入り、やってもいない殺しまで自分がしたことにされ始めた。

 リーダーはそれをどのくらい本気にしているのか、顔を見れば分かるが、しかし、ロメロ議員の殺害だけは少なくとも事実なのだから、それだけでも利用価値があると思ったのだろう。

「では、同志サキ。新しい同志を戦闘団に案内してくれ」

「分かりました。同志!」

 戦闘団の部屋はすぐ隣でアルタモノフという老人がリーダーをしていた。

 灰色の髪をした外国人で、北にある革命国家〈楽園〉からやってきたと自称していた。

 全員が必要なだけ取る倉庫や労働者の管理する工場など、ちょっと知恵のある小学生がきけば、すぐに見破られるような与太を唱えるとき、テロリストの熱情で目が潤み、顔が紅潮してくるのだが、その与太をサキはありがたそうにきいていた。

「それよりも、同志アルタモノフ。例の話を」

「新たな同志はそこまで信頼できるのかね?」

「それはもう」

「同志サキがそこまで言うのなら、間違いないな。では、新たな同志よ。きみには武器取引を護衛してもらいたい」


 サキは大事なことを伝えると言って、アタッシュケースを開けた。なかは空っぽだった。

「つまり、そういうことだ。同志」

 その後、サキは防波用のコンクリートブロックに座ると、電気ランタンの明かりを頼りにポンプ式ショットガンの銃身をノコギリで切り始めた。ギコギコギコギコ、カラン。さらに銃床も切った。ザリザリザリザリ、カタン。

「やつらは卑しいルンペン・プロレタリアートだ。しかし、革命のために取引する。やつらはここにはわたしがひとりで来ると思っている。そこで――」

 と、サキは殺し屋にショットガンと鹿撃ち用の散弾を八発渡した。

「きみはそこの磯に隠れて、やつらの品物が確認でき次第、ぶっ放してくれ。革命万歳」

「万歳」

 目的は手段を合理化する。ロメロ議員も革命家も全く違うほうへ針を振っているが、根幹は同じ、薄汚いペテン師だ。

 海岸は〈真珠〉の町外れにあり、半分は砂浜、半分はくりぬかれて小型プールになったコンクリートブロックが並んでいる。真夜中の水平線は様々な灯火信号にあふれていて、どれが密輸船のものか分からなかった。

「革命戦闘団ってこんなことばかり続けてるの?」

「まあ、そんなところだ」

「こんなズルを繰り返していたら、まずくない?」

「革命はきれいな手袋ではなしえないのだ、同志」

 手袋のたとえは分からないではないが、サキがキャンペーン・デスクを持ってきてくれと言うので、トランクを開けて、その折りたたみデスクを置くと、その上にランタンをアタッシュケースが置かれた。

「どう思う?」

「何が?」

「アタッシュケースだ」

「お金はちゃんと入れておいたほうがいいと思う」

「そうではない。生理用ナプキンを詰めるかどうかだ」

「え、なに?」

「生理用ナプキンだ。ただ、空っぽにするよりもずっと気がきいている」

 革命運動はサキのユーモアをとんでもない方向へ捻じ曲げたらしい。

「でも、ルン・プロのために――」

「ルン・プロ?」

「ルンペン・プロレタリアートの略。いちいちルンペン・プロレタリアートって呼ぶのは面倒くさいから」

「ルン・プロか。ありだな」

「それでルン・プロだけど、生理用ナプキンを死にゆくルン・プロのために無駄にすることは、ないんじゃないかなあ」

「それもそうだな。革命は無尽蔵の倉庫を持つわけではない」

「煙草、いい?」

 ロースターを点けた。この国の人間は葉巻ばかり吸っているなと思って、殺し屋は葉巻を試しに買ったことを思い出した。少し放っておいたら、カラカラに乾いてしまって、ただただひたすらまずいだけになった。保管の仕方がいろいろと面倒くさく、それに殺し屋の見た目に合わないこともあって、ロースターへと還っていった。

 たて続けに四本吸ったところで、なにやら物言いたげな点滅が、割と近い海の上に見え、サキもまた椰子の葉を上下に振って、デスクの上のランタンを隠したりすると、波の寄せる音にモーターの音が重なって、ボートが一隻、コンクリートブロックに横づけされた。

 ボートの灯が真っすぐサキに向けられると、三人の男が降りてきた。三人のルン・プロのうち、偉そうなひとりは出っ張った腹をし、ソーセージみたいな唇にはさまれたソーセージみたいな葉巻からソーセージみたいに太い紫煙を引いていた。残りふたりは中くらいの木箱を持って、太ったルン・プロの後ろを続いている。

 おかしい。箱が小さい。あの程度の箱に入る大きさの銃なら〈真珠〉でも手に入る。自動小銃や機関銃は分解しても収まりきらない。

 そもそも空っぽのアタッシュケースを持たされて、取引してこいと言われるあたりで怪しいもへったくれもないのだが、こうなるとこの取引全体に焼かれたトカゲのしっぽのにおいがしてきた。

 デブのルン・プロはウェストバンドに親指を引っかけて、腹をさらに出っ張らせて、

「カネを見せてもらおうか」

 と、言った。

(サキ)に商品だ」

 サキだけに。殺し屋はクスクス笑った。

 太ったルン・プロはデスクのそばに木箱を下ろすと、バールを使って蓋を剥がし、おがくずのなかから防水紙にくるまれた煉瓦大の大きさの包みを取り出した。

 サキが飛び出しナイフでその包みを小さく刺し、切っ先に乗った白い粉をペロッとなめた。

 ああ、麻薬かよ! 殺し屋は革命家たちにほとほとうんざりした。できるだけはやく縁を切らないと、とんでもない穴にはまり込むことになる。

「次はそっちの番だ」

 サキは磔寸前の狂信者みたいに自信満々にアタッシュケースを開けた。

「なんだ、こりゃ?」

 殺し屋もクソ驚いた。

 空っぽのはずのアタッシュケースには生理用ナプキンがぎっしり入っていたのだ。

 サキが発射した弾はアタッシュケースの蓋を貫いて、太ったルン・プロの腹部をめちゃくちゃにした。

 殺し屋は後ろのふたりを撃った。ショットガンは戦艦の主砲みたいな轟音を立てた。ふたりのルン・プロは体を真っ二つに折り、夜闇のなかへと吹っ飛んで消えた。

 モーターボートからボルトを引いて、機関銃の薬室に弾を送り込む音がする。

 サキはランタンの明かりの外へと飛び退き、殺し屋も慌てて伏せた。

 ほんの一瞬して、頭上を弾が群れて飛び過ぎ、椰子を一本切り倒す。

 電気ランタンが吹っ飛び、光が失せる。闇のなかを機関銃の銃火が激しく点滅している。

 殺し屋はその火花を狙って撃った。一発――艶やかなニス仕上げの舷側が木切れと化す。二発――クリスタルガラスの風防が割れた。

 サキは両手に持ったリヴォルヴァーを撃ちながら、ジグザグに近づき、殺し屋もショットガンに弾を込めなおした。

 機関銃弾がコンクリートのプールを削り、その破片がジャケットに穴を開ける。

 一発――もやい綱がちぎれた。二発――もやい綱が燃えながら機関銃男にぶつかった。三発――水が跳ね散った。

 ボートが燃えながら、沖へと逃げ、数秒後に火柱の上でバラバラに飛び散った。

「で」と、殺し屋が立ち上がる。「その荷物、どうするの?」

「むろん革命のために使う」

「そっか、そっか。やっぱそうだよね」

 賭けてもいい。やつらはつまみ食いする。

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