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内政干渉

 目を覚ますと、殺し屋はベッドの上にいた。

 整えられた家具調度と抑えた色の壁紙。皺ひとつない清潔なシーツとベッドのそばの高級陶器製おまる。

 趣味はよいが、どこか閉じ込められた気のする部屋。

 服は白い襟無しシャツと黒のスラックス。

 最後の服は襟付きの既製品でズボンはベージュ、それが海に吹っ飛ばされているので、塩水に浸かっている。人が気絶しているとき、パンツまで履き替えさせられた。

「裏切りは健康にいいとか、誰が言ったんだ。危うく死ぬところだった」

 ノックが三回きこえてきたので、どうぞ、とこたえると、灰色の顎髭にひらひらさせたネクタイをした蒼白い顔の男が入ってきた。

「無事に気がついたようですな」

「ありがとうと言っておく前にきいておきたいんだけど、最後に突っ込んできたパイナップルジュースのトラックはきみの差し金ですかな?」

「わたしは知りません。ただ、あの会社の株式のほとんどは我が国が所有していますな。それでは、ついてきていただきましょう。閣下はあまり待たされることに耐性がないので」

「閣下? もう議員は懲りたよ」

「議員ではありません。もっとタチの悪いものですよ」

 廊下、広間、廊下、室内小広場、初代大統領の胸像、廊下、舞踏場、廊下。

 最後に行きついた両開きのドアの前で男が立ち止まった。

「あなたは楽に生きていきたいですかな? それともより多くの困難を望みますかな?」

「楽なのがいいですな」

「では、これから何を言われても、はい、閣下、とこたえることです。どのみち、いまのあなたには選択肢はありません。ロメロ議員は血眼になってあなたを探していますからな」

 あのクソ野郎、とつぶやく。

「これから、あなたはもっとひどいクソ野郎に仕えるのです。北のはずれのビッグな国のビッグな大使に」

 男はノックした。

「大使閣下。書記官です」

「入れ」

 なかにいるのは鼈甲眼鏡をかけた恰幅のいい男で赤ら顔を歪ませて、行ったり来たりを繰り返している。蝶ネクタイを完全にほどき、取り外し可能な襟をぶら下げ、チョッキはボタンを全部外され、出っ張った腹を解放していた。

 これらすべてのことは手に持っているグラスの、琥珀色のウィスキーが原因だった。

「ノックスのクソッタレ。電信でおれが、この国の政治に干渉し過ぎているとぬかしやがった。これがどういうことか分かるか?」

「はい。閣下。ノックス国務長官は閣下に観光客のパスポート紛失案件のみに専従するように命じておられるようですな」

 大使はグラスを肖像画に投げつけた。ビッグな国のビッグな初代大統領。それは小麦粉をかけたカツラをかぶった髭のない顎をした山師だ。

「バーハート大優等生クラブのオカマども! やつらが乳繰り合ってるあいだ、おれがこのクソみたいな国で体を張って、この国のバカ、クズ、変態野郎、それにあの〈恩人〉の色情魔の相手をして、国民の生命と財産を守ってやってるのに、おれがやり過ぎだと?」

 書記官は新しいグラスにウィスキーを注いで、大使に渡した。

「ノックス長官は大企業からのキックバックのことを言っておられるようですな」

「面倒事を解決してやった相手の心からの礼を受け取って何が悪い? あのホモ野郎にはそれが分からんのだ。生まれたときから専用の別荘があるようなやつには分からんのだ。で、そいつは?」

「閣下の問題を解決する糸口でございます」

「ということは、ロメロにハメられたってやつか」

「はい、閣下」

 殺し屋はこたえた。どうにもならないときは従うだけだ。もちろん限度はあるのだが。

「ノックスが鼻持ちならない金持ちのカマ野郎ならロメロはまだ話が分かるカマ野郎だ。だが、やつの本質はかっぱらいだ。いかにして自分の金を使わず、他人の金を使うかしか考えていないんだよ」

「はい、閣下」

「〈恩人〉は長くない。八十二歳だ。やつは五十年以上、この国をしゃぶってきたが、それも終わりだ。独裁者が死んだら、何がおこるか? カタストロフィだよ、カタストロフィ。革命だの愛国だの政治結社だのがウジ虫みたいに湧き出して、〈恩人〉のしゃぶりカスに群がる。だが、ウジ虫どもは頭に血がまわって、自分たちの国の絞りカスと我が国の財産の区別がつかなくなる。もし、ユナイテッド・トロピカルの農園の労働者がストライキを起こしたら? コンストラクト・モーターズの工場に砲弾をぶち込もうとしたら? そういうことにならないようにするのが、このおれの仕事だ。なのに、ノックスはおれがやってることが内政干渉だとぬかす。当たり前だ。おれは内政干渉してやると思って、やってるんだからな。この国には厚顔無恥な公金横領者と少女偏愛の変質者しかいない。そんなクズどもにまともな政治ができるわけがないから、おれが出張ってやってる。まあ、いい。これからおれはお前を使って、ぶっ殺す。嫌ならロメロに引き渡す。どうだ?」

「はい、閣下」

「よーしよし。まず始めにノックスをぶち殺したいが、それができないから困ったもんだ。とにかく、お前には両方の陣営を殺させるつもりだ。〈恩人〉派と反〈恩人〉派。どちらも海千山千の強者を自称しているが、やつらが泳いだ泥の海とゴミの山のことなんかこっちは知りたくもない。とにかく、うちの国益に反する構えのやつがいたら、どしどし地獄に送れ。どうだ?」

「はい、閣下」

「よし。大切なのはバランスだ。誰かが強くなりすぎれば、そいつは恩知らずのクソ野郎になり、こっちの手に小便を引っかけてくる。その前に膀胱を引っこ抜いてやれ」

「はい、閣下」

「よし、行っていいぞ」

「はい、閣下」

 今日言ったなかで心からの返事だった。やれやれ、やっと解放された!

 大使室の外に出て、書記官は言った。

「わたしのことはただ、書記官と言ってほしいですな。大使は名前を覚えるつもりもないようですし、あなたも覚える必要はないのです」

「でも、大使館にはたくさんの書記官がいるですな」

「彼らはそれぞれ等級で分かれています。一等書記官、二等書記官、三等書記官。ですが、ただの書記官はわたしだけですな。だから、あなたが書記官と呼べば、それはわたしのことを指しているのですな。分かりましたかな?」

「分かりましたな。ところで、恥ずかしながら、いま、思い出したのですが――ぼくの相棒のサキはどこにいるのですかな?」

 書記官は首をふった。

「行方は知らないのですよ。あの車は海に飛び込んで、それっきりですな」


〈真珠〉では北の国の人間はみなグリンゴと呼ばれていた。

 大使も書記官も同じグリンゴであり、大使館で寝起きすることになったショートヘアの少女、または長髪の少年に見える殺し屋もグリンゴになった。

 大使はその国の玄関のようなものであり、最良の人材をあてて、自国に対する第一印象をよくしようとするはずだったが、ビッグな北の国が派遣したのは飲んだくれだった。

 大使はノックスなる人物を憎み切っていて、酒で割れた声でしょっちゅう殺す殺すとわめいていたが、何か言質を取られるのを恐れているのか、暗殺指令を出すのは書記官の仕事だった。

 これが不可解で、殺した相手が何者なのか、なぜ殺されたのか、まったく分からないのだ。

 人体科学体操を毎朝欠かさずする男、宝くじのハズレくじを集める女、市電の駅が建物に近すぎて危ないと言ってまわる男……。

 そんな暗殺が五人くらいになったところで分かった。

 殺された連中はプロの諜報員だ。だから、何をやっているのかよく分からない。当然だ。分からないように暮らしているのだから。

「ふむ。気づきましたかな」

 書記官は大使館の中庭にいた。このあたりの、似たような独裁国家の支配者を五十人呼んで、朝までパーティをしたことのある場所で、いまは植木職人が全ての植物をサイコロ型に切りそろえている。

「大使閣下は誰かを殺せと命じる度胸はありませんし、そもそも誰を殺せばいいのか分かっていないのですな。わたしがいなかったら、大使閣下はたいして腕のない、服だけはご立派な暗殺者に機関銃をもたせて、閲兵広場で乱射させているのですな。そうなれば、大使閣下は即追放ですな」

「サキの居場所は分からないのですかな?」

「分からないのですな」

 そう言って、書記官はフロックコートの糸くずを取り始めた。

 殺し屋はこの老人が好きになった。時代遅れのお仕着せを着た、ただの中間管理職のようでありながら、全ての糸を操る黒幕。素直にすごいと思えるし、そういう人物はいつだって払いのいい仕事を用意してくれる。眉毛ともみあげが立派なだけのロメロ議員のような卑しい人間にはないものを書記官は持っていた。

 ジリリン! ジリリン!

 中庭の中央の噴水には女性が傾けた甕から水が流れているのだが、その女性の石像の頭に書記官を呼ぶためのベルがついていた。

「宮仕えの辛いところですな」

 大使は相変わらず不機嫌だったが、このときの怒りの対象は本国のノックス長官ではなく、新聞販売所で見た銃の自動販売機だった。

「クソッタレめ。この野郎、金を入れたのに商品を出さないぞ」

 マホガニーが裂けてへこむほど強く蹴飛ばした。

「来たな。穀潰しども。見ろ。こいつの売り物を」

 ガラス棚は区切り板が全部なくなって、一丁の大きな銃――短機関銃が入っていた。五十発入りの円型弾倉、オープンボルト式、四十五口径、分速六百発。

「こいつは〈真珠〉を変えるぞ」

 大使の今日のグラスにはラムが入っていた。

「ナタが幅を利かせる政界が、がらっと変わる。いやしくも政治家なら、みなこいつを欲しがる。そのためにはちょっとした展示販売会をしないといけない」

 グラスの、指四本分のラムをひと息に飲み干すと、殺し屋ににやりと笑いかけた。

「タキシードでもドレスでも好きなものを着ろ。ヨット・クラブで宴会がある。お前も出るんだ。いいな?」

「はい、閣下」

 何を言われても、こうこたえるルールはいまだに続いていた。

 その夜、ヨット・クラブでは〈真珠〉じゅうの権力者が妻同伴で集まっていて、金の話、金の話、そして、金の話をしていた。出席者はトロピカル・ビッグ・バンドの曲にのって、せわしなく踊っていたが、このパーティに集まった女性の半分は高級娼婦であり、そこで行われる金の話は艶やかなものになった。

 大使は美女たちの集まるオットマン椅子のまわりへ突進していき、殺し屋はひとり取り残された。

 サキもヨット・クラブのメンバーなのだから、パーティの報せは来ているはず。ひょっとしたら、サキがいるかもしれない。そう思って、あちこち歩いてまわった。

 弁護士や秘密警察の幹部、財務官僚、独占販売権で肥え太った実業家。

 白いブラウスに紺のスカートで高級ランジェリーを改造して作ったホルスターに銃を入れている女殺し屋はどこにもいない。

 最後に二十五メートルプールへ向かった。ほとんど素っ裸同然の女性たちが泳いでいて、男たちがよだれを流している。ビュッフェからスパイス・チキンを取って、礼儀なぞくそくらえとガツガツ食べていると見つけた。

 ロメロ議員だ。

 あのもみあげと眉毛は見間違えようがない。

 ここで殺すか?

 裏切りは健康にいいが、復讐はもっと健康にいい。

 いや、さすがに人目があり過ぎる。

 ちょっと揺さぶってみるか。

 ロメロ議員は外国人と話していた(古い三つの王国からなる由緒ある連邦の外交官で、ゆるやかな銀髪を肩までウェーブさせた貴族らしく、彼はなんと、この宴会で唯一、義務の話をしていた)。

 その後ろから殺し屋は、

「ロメロ議員!」

 と、大声で呼びかけた。

 振り向いたときの議員の顔を見て、殺し屋は後悔した。

 カメラを持ってくるべきだった。

 顔は蒼白いを通り越して、あっという間に黄ばんでいった。目の前で百個のフラッシュバルブが爆発したようにフラフラし始め、手にかいた汗でマニキュアが溶けてしまいそうだ。

「探したんですよ、閣下!」

 殺し屋はその手を取って、しっかり握手した。

「またお会いできるとは思いませんでしたよ」

「あ、あー、わたしもです」

 相手は、そう言うのが精いっぱいだった。

 これまで殺し屋は大使館に住んでいたが、それでも結構な人数を殺している。だから、ロメロ議員の耳に殺し屋が生きているかもしれないという話が少しくらい入っても罰は当たらないはずだ。が、よほど慢心したのか、死んだものと安心していたらしい。

「じゃあ、今度、またお会いしましょう。もっと人が少ないときに」

 殺し屋は議員に背を向けて去った。

 まもなくロメロ議員はプールに胃のなかの混合物――ドライマティーニ:5 キャビア:2.5 クラッカー:1 胃酸:1 胆汁:0.5――を吐き、泳ぐ美女たちが金切り声を上げた。

 外に出ると、書記官が4ドアのセダンに乗って待っていた。

「後ろに乗ってくださいますかな?」

 後部座席にはさきほど自動販売機で見かけた機関銃があった。

 殺し屋は円型弾倉を手に持って、軽く振って、きちんと四十五口径弾が巻きバネにおさまっていることを確かめると、弾倉をつけずにボルトを引き、戻し、引いて、動きのなめらかさに納得する。

「ターゲットは誰ですかな?」

「ロメロ議員ですな。あなたも宙ぶらりんにしていては気持ちが悪いでしょう」

「あのもみあげと眉毛にお別れですな」

「バランスですな」

「それはどういうことですな?」

「もみあげと眉毛がもさもさな分、別の部分の毛が少なくなるのですな」

 書記官はイグニッション・スイッチを押して、ギアを入れた。車はツアーリング・セダンと言われる古いオープン・カーで色は黒。見栄えのする車ではない。

 こんな車に乗って、ヨット・クラブに行くくらいなら、殺し屋は自分で自分の頭をぶち抜く。

 八百屋も自分で自分の頭をぶち抜く。

 魚も、株屋も、準男爵も、教父会参事員も、頭をぶち抜く。

 幼稚園児だって、頭をぶち抜く。

 そういう車に乗って、書記官は殺し屋を待っていたのだ。

 鋼の神経の持ち主である。

 ただ、高級車ばかりの駐車場に二世代前の行楽用自動車で待っているのは目立ちすぎるので、書記官はヨット・クラブを出発することにした。

 ヨット・クラブの前からはワックス椰子を植えた広い並木道が伸びていて、高級住宅街を貫いている。

 椰子の並木が終わるところで橋があり、そこに植木職人組合の道具小屋があって、それが誰かを隠れて待ち伏せるのにいい隠れ場所を提供している。

 ロメロ議員のリムジンが通り過ぎたら、すぐその後ろについて、機関銃で蜂の巣にする。

 それが書記官の計画だった。

 これがロメロ議員の車なのですな、と北のビッグな国のビッグな自動車産業が発行するカタログを渡され、マッチをすってちびた蝋燭に火をつけてみると、黒という色のオールマイティを信仰する高級車が、どこかの邸宅に停まっている絵が見えた。

 この車には覚えがあった。サキに騙されて、この国に来る前に、やったギャングがらみの仕事でこれに乗っているターゲットがいたのだが、その自動車の後部窓ガラスが横に伸びたひし形という珍しいものだったのだ。

 五分後、ロメロ議員のリムジンが殺し屋たちのセダンのすぐ前を走り過ぎた。

 すぐに道具小屋からセダンが走り出し、リムジンと十数メートル、車間距離を開け、ぴたりとついた。

 書記官はハンドルを握り、徐々に近づいていく。リムジン後部のひし形の窓にロメロ議員のポマードまみれの後頭部が見えた。

 二台の車は海岸道路に入っていた。右手は波が砕ける磯が続いていて、左手は電灯。

「隣に並びますかな?」

「いや。その暇がないですな」

「ふむ?」

「後ろ」

 議員のリムジンよりは格は落ちるが、殺し屋たちのセダンよりはずっと高級なラグジュアリー・モデルのセダンが後ろからくっついていた。

「護衛?」

「そのはずはありませんな」

「少し車を右に寄せるですな。左から撃つのですな」

 殺し屋は左のドアを開けると、ステップに左足を出し、黒革に板みたいな綿を詰めた座席シートに背中を押しつけ、銃をしっかり保持すると、ひし形の窓に見えるロメロ議員の後頭部を狙い、引き金を絞った。

 すぐに窓ガラスに血が飛び散り、弾丸の火花がポマードに引火した。炎がもみあげをなめ取り、カツラをなめ取った。四十五口径弾ででこぼこになった頭が燃えながら窓から飛び出し、ガラス片が流星群のように流れ落ちた。

 さようなら、ロメロ議員。裏切られたのは少し傷つきましたが、あなたは立派な金蔓でした。

 哀悼の意を表するために目でもつむるかと思ったところで、焼けたタイヤゴムの跡を道路に残す、清掃人泣かせの急ブレーキの音と海側のガードレールがひしゃげる音がした。

 書記官はハンドルを左へ切った。停車したリムジンに引っかかって、バンパーを剥がされてから半回転しリムジンの斜め前に、エンジンを向けて止まった。

 ぱんっ。

 リムジンから銃声がした。

 殺し屋が車から降りて、腰だめに構えた機関銃を弾が切れるまでリムジンにぶち込み、二十二口径の小さなリヴォルヴァーを握った運転手の死骸が車のなかから転がり落ちてきた。

 弾丸五十発分軽くなった機関銃を手に、ツアーリング・セダンまで戻り、殺し屋は言った。

「さあ、書記官殿。はやく逃げるですな。書記官殿? ――あ」

 書記官は額に小さな赤い点をつけたまま、微動だにせず、フロントガラスにあいた穴を見つめていた。つつくとハンドルに覆いかぶさって、大きく割けた後頭部からドロドロと脳漿があふれおちた。

 後ろを走っていたセダンが急ブレーキをかけ、殺し屋のすぐ後ろでドアを開けた。弾の尽きた機関銃を捨てて、ホルスターに手を伸ばしたが、

「こっちだ。はやく!」

 開いた後部ドアから覚えのある声がして、殺し屋は銃を抜いても撃たず、車に飛び込んだ。

「よくぞ生き残った。わたしは嬉しいぞ」

 サキ・ヴィンセントが興奮して笑いながら、二連式ショットガンの銃身を折り、殺し屋と分からなかったらぶち込もうと思っていた散弾を銃身から抜いた。

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