山刀
貴族の宮殿が安アパートに落ちぶれたアトラス通り十三番地の建物は正面が柱で支えたアーケードになっていて、広い階段を上ると開けっ放しにされた両開きの扉がある。
なかに入ると、また階段があり、それを上ると、左右に伸びた廊下。
無視して三階まで上ると、またしても左右に伸びた廊下。
左へ曲がると、暑さへの対策で開きっぱなしになった玄関が並んでいて、プライバシー確保のため、どの玄関にも更紗のカーテンが下がっていた。
廊下を突き当りまで行って、また左に曲がると、開けっ放しの玄関に更紗のカーテンがかかっていて、ゆらゆら揺れていた。
「サキ。入るよ」
「ウム」
と、剣の師匠みたいな返事が来た。
まず、台所があり(香草と一緒に首がない鶏が吊るされていた)、その奥の居間でサキは小さな二連発銃をバラバラにして、丁寧にグリースを塗っているところだった。
「きみからの手紙には疑われるようなことはすべきじゃないってあったけど」
「矛盾はしていない。反体制派は銃を手入れするとき、こんなに堂々と武器を分解したりしない。こそこそするほうが疑われる。ああ、それと先に教えておこう。一〇三号室のシンバル奏者と二〇五号室の失業中の裁縫師、二〇九号室のセールスマン、それに正面階段の郵便局員は秘密警察の犬だ。特に郵便局員は高度な教育を受けた犬だから、気が向いたら、殺してもいい。銃を組み立てたら、コーヒーを淹れよう」
サキ・ヴィンセントはコーヒーを注ぎながら、
「久々に会えて嬉しい。よくぞ生き残った」
「いろいろ大変だったんだよ」
「なら、ここに来て、正解だな。ここは、我々にとってボーナスステージのようなものだ」
「警官が子どもを空に放り投げて殺した。子どもが憲兵に自爆攻撃をした。命に高い値段がつくとは思えないけど」
「そこの窓から見ていた。あんな自爆テロのことは忘れろ。我々はプロだから、きちんと生き延びて、報酬を得る。だいたい我々のターゲットはもっと大物だ。議員かギャング。あるいは両方だ」
そこでサキは声をひそめた。
「ここだけの話だが、いま〈恩人〉の体制はぐらついている。クソ野郎が別のクソ野郎に取って代わられようとしているわけだ。だから、プロの仕事は歓迎されるし、やつらは国庫から金を鷲づかみにできるから、金に糸目はつけない」
「そうならいいけど」
「ビールと煙草をラムと葉巻にランクアップさせるのにこれ以上、いい環境はない」
「サキの台所に置いてあったの、アルコールを燃料にする反射熱コンロだよね?」
「そうだな」
「稼いでいるなら、もうちょっといいものを買えそうな気が。これまでにあれと同じものが爆発したのを何度も見たことがある」
「あんまり派手に金を使うと、警察と揉め事を起こすことになる。好き勝手にするにもコストがかかる」
「賄賂?」
「そういうことだ」
サキはパッと見たところ、タイピストに見えた。顔立ちはきれいなほうだが、白いブラウスに紺サージのスカート姿でタイピストよりも色気がないし、しゃべり方が将校みたいにカチカチしている。女殺し屋の大半は男の殺し屋には到底真似できないこと――女性を武器に仕事を遂行するものだが、サキにはそんな気はこれっぽっちもなかった。
サキはえへんと咳をして、〈真珠〉での流儀を教えた。
「銃はあまり尊敬されない」
その二連発銃は太もものエッチなホルスターに入れているのに?
殺し屋は知っていることだが(そしてサキは知られていないと思い込んでいることだが)、サキは銃を太もものホルスターに入れていて、そのホルスターの材料は煽情的な下着をバラバラにして得たゴムやレースだった。
それを言わずに飲み込んで、
「どういうこと?」
と、たずねる。
「重要視されていないわけではない。ただ、マチェテのほうが好まれる」
「マチェテ?」
「山刀だ。この国はサトウキビで成り立っているから、どこでも手に入る」
「大ぶりのナイフじゃダメなの?」
「ダメだ。ナタじゃないといけない。気取っていると思われるぞ」
「別にいいよ。実際、ぼくは気取ってるし。銃はどこで買える?」
「その前にナタを買うのが先だ」
「銃は? まさか手に入らないとか?」
「ここは〈真珠〉だぞ? 手に入る。ただ、銃はちょっとアマチュアっぽいところがあるから、ナタで名を上げてからのほうがいい。そのほうが報酬がぐんと上がる」
「楽して稼げると思ったのになあ」
「運がいいことにわたしは〈真珠〉でナンバーワンの殺し屋が仕事をする情報を得ている」
「情報が洩れている時点でナンバー二十くらいの殺し屋だと思うけど」
「とにかく人気があるんだ。出かけよう」
「見るの?」
「当然だ。そいつの仕事を見たら、ナタが欲しくてたまらなくなるぞ」
問題の仕事はシエンフェーゴス・ホテルの前で行われるらしかった。
ホテルの四方には柱廊があり、アーケードの下、くじ屋や長距離バスの切符販売店などが屋台のように並んでいて、そのひとつが床屋だった。その床屋をひいきにしているビジネスマンがいて、その男は〈恩人〉の子分のために票集めをしている男だった。
昔、――と言っても、サキがその昔から〈真珠〉にいないことは明白なのだが、とにかく昔だったら考えられない殺しだ。だが、いま〈恩人〉の後釜を狙う勢力は議員、軍部、そして暗黒街で無視できないほど強くなっていて、その均衡が崩れたことが殺し屋を雇う値段を跳ね上がらせている。
「ただし、ナタ限定」
「そう言うな。見たら、絶対に一本欲しくなるぞ」
まず、ターゲットがいた。金メッキに革張りの、この気候では暑苦しい椅子に座っているのは眼鏡のチビで、議員の票の取りまとめをしているだけあって、いい靴を履いていたが、大物とは言えない、冴えなさが体の全毛穴から発散されていた。
問題のナンバーワンはどこかと探した。殺し屋のなかではナンバーワンは、手強い老人か政府の暗殺者育成プロジェクトで善悪の判断がぶっ壊れた少女だと思っていたが、
「ねえ、サキ。まさか、ナンバーワンってあの、鼻から頬にかけて大きな疵があって、おれをなめるなよって言わんばかりの顔をしたやつじゃないよね」
「目が利くな。きみほどになると、やはりナンバーワンはひと目で分かるか。その通り、鼻から頬にかけて大きな疵があって、おれをなめるなよって言わんばかりの顔をしたやつだ」
「いや、バレバレすぎる」
顎一面のヒゲから疵が灰色に盛り上がっていた。警察の買収ができない、そこそこ善良な国であれば、一撃必殺の面通しで電気椅子に座っていただろう。十人が十人、あいつがやったと指差す顔だ。
「ぼくは以前から、汚職に守られて仕事をする殺し屋をプロに入れることに疑問があったんだ」
「まあ、見ていろ」
十メートル以内に殺し屋が近づくと、ターゲットは気づいて慌て出した。
助けて!と大声で叫びながら、椅子から転がり落ちたが、ナンバーワン氏は走って追いつき、ナタを振り下ろした。
ところが、ターゲットはその手をつかみ、ナンバーワンとターゲットは商品を入れたガラス棚や屋外扇風機を倒しながら、もみあい、そのあいだもターゲットは助けて!と叫んでいた。
白シャツに青い腕章の公認タレコミ屋たちは何をしているのだろうと探してみると、背を向けていた。買収の容易さは確実に殺し屋の腕を落とすなあと思っていると、ザクッと刃物がスイカに刺さるような音がした。
「やれやれ。やっとか」
と、思ってみてみると、ナタはナンバーワンの額に深々と刺さっていた。
ナンバーワン氏はまだ微妙に生きていて、自分のナタを頭から外そうとしたが、傷が少し開いた途端、脳漿と血の混じったものがアーケードの天井まで噴き上がり、まわりにいた人間全員が返り血を浴びた。
命拾いしたターゲットはと言うと、返り血に驚き、顔を蒼くして、ホテルのなかに逃げていった。
「いい知らせだぞ。ナンバーワンが死んだから、空いた席を狙える」
「あっそ。じゃあ、銃を買いに行こうか」
ところが、サキは殺人現場を立ち去るどころか、むしろ自分でずかずか入っていき、哀れな元ナンバーワン氏のそばでしゃがむと、何か死に化粧でもしてやっているような動きを見せて、それから殺し屋のもとに帰ってきた。
「いいものをもらったぞ」
そう言って、サキはハンカチに包んだ、つい今切り取ったばかりの耳を殺し屋に見せた。
「冗談だよね?」
「体の一部を記念に切り取るのは最近の流行だ」
「それ、記念品って言うの? わあー、ぼくはてっきり有罪の証拠だと思ってたよ」
「お前の笑顔には皮肉が込められているな。皮肉はいい。それだけで異性にモテる。そのかわりにささやかな良心を犠牲にする必要があるが、人を殺して生きている我々は既に大きな良心を犠牲にしているのだから、何の問題はない。さあ、ナタを買いに行こう」
「いまのを見て、ナタを買いに行く気になると思う?」
サキはナタと言ったら、きかなかった。こんなにナタが好きだったかな?と思いながら、連れていかれたのは園芸店だった。それは大きな建物の中庭で植物に囲まれた小さな店で、防錆じょうろやバケツ、南国品種の菊の苗などに混じって、ナタが売っていた。
黄色紙幣でニッケル硬貨が三枚お釣りで来るもので、刃渡りが四十センチほどあったので、殺し屋が着ている夏用のベージュのスーツのどこにこれを隠そうか、実に悩ましかった。
殺し屋が欲しいと何度も繰り返したので、銃を売ってくれるという秘密の場所へと市電に乗った。ふたりは新聞社の前で降りた。看板は外に向いているが、店の出入り口は内側の中庭に向いている奇妙な構造で〈真珠〉の新聞社ならどこでもつけている、出っ張った鋳鉄製の窓格子が火炎瓶や投石攻撃から編集部を守っていた。
『窓格子を上るな!』の貼り紙がされている横で新聞売りの少年たちが食料の配給でも待っているように集まり、そして、窓格子に上って、奇声を上げていた。
「朝刊の配布を待ってるんだろう」
「もう正午だけど」
「検閲に時間がかかると、時刻は少し捻じ曲げられる。我々は操作された時空をこの目で見ているのだ」
インクがまだ熱い新聞の束を持って、子どもたちが散ると、殺風景な、地面に何かの建物を引っぺがした跡だけが残った広い空き地があらわれた。
「じゃあ、銃を買いに行こう」
「新聞販売店に?」
「市内でも一番大きな新聞販売店だ」
一階は先ほどまで空間を占領していた新聞がなくなって、ガランとしていた。長椅子にはワイシャツにサンダルの男たちが帽子を顔の上に乗せ、手を胸の前で組んで、眠っていた。なかに入ると階段室があった。ひんやりした大理石の螺旋階段を上り、二階の廊下へ曲がった。右手にはドアが開けっ放しの部屋が並んでいたが、そこは神秘主義の見本市だった。見込みのある犬を三十頭集めて定期購読契約を取ってくる秘訣を明かす神秘主義者、世界の誕生の謎を明かす使命と冒険をもたらす美少女を待っている神秘主義者、顕微鏡で焼肉を作っている神秘主義者。
彼らが神秘主義に行きつく途中ではジャーナリズムにまつわる我慢しがたい事態の発生とその結果としての発狂があるわけだが、それを殺し屋がどうこう言うつもりはないし、言う義務もない。さる大物ギャングが言ったように『いいやつになるには遅すぎる』のだ。
問題はこの神秘主義者たちの誰かから銃を買うハメになるのではないかと言うことだ。神秘主義の銃に命を預けるのはそれ自体、神秘である。
おそらく神秘の極致に到達して戻れなくなる。
さらに螺旋階段。
三階の窓は板で塞がれていて、薄暗くひんやりしていた。
「ほら。この部屋だ」
暗い無人の事務室に自動販売機が立っていた。深みのある艶のマホガニー材が塔のように立っていて、ガラスがはめ込まれている。ガラス張りの棚のなかに横たわる銃を豆電球が照らしていた。機械の仕上がりを見るに売り物を高級狩猟銃に変えても、まだ自動販売機のほうが高額だろう。自動販売機というよりはオーケストリオンのようだ。
自動販売機には一度押すと、番号が一増える真鍮のボタンが百の位、十の位、一の位の三つあり、棚のなかの好きな番号を押して、代金を入れれば、銃が出てきた。
殺し屋が323と入力すると四十五口径のオートマティックと弾倉ふたつ、それにサイレンサーが落ちてきた。自動販売機には小さなルーレットがあり、買い物をするたびにまわり、当たるとショルダーホルスターが落ちてきた。少し安い革を使っている気がするが、サイレンサー付きのまま銃をしまうことができるので、ここで使い捨てにする分には問題なかった。
「〈恩人〉はこの便利なビジネスについて、知ってるのかな?」
「儲けの何割か抜いているだろうな」
「はぁ……はやいとこ稼げる仕事とやらをしたいよ」
「安心しろ。しっかりがっぽり稼げる。ナタを使わないといけないが、何、実際使ってみたら、人間がサトウキビの茎みたいにぶった切れる。癖になるぞ。ハッハッハ」




