第十八節 『銃後』
「ん?」
イリスとの商談を終えたミツキは、応接室の外が騒がしいことに気付いた。
何事かと眉をひそめたところで、勢いよく開け放たれたドアから、イリスの弟、ボロスとタイロスが慌ただしく駆け込んできた。
そしてなぜか、ふたりは民兵軍の制服を着ている。
「ちょっとあんた達、なにごとだい!?」
目を丸くする姉に対し、兄弟は深刻そうな顔を向ける。
「すまねえ姉ちゃん、オレたちやっぱり民兵軍に参加するよ」
「はあ!?」
兄弟は大口を開け絶句している姉からミツキへ視線を移す。
「ダンナが傭兵や冒険者を募ってブリュゴーリュ軍を迎え撃とうとしてるって知ったときから、俺たち兄弟も一緒に戦おうって決めてたんだ。だってこの国の人間でもねえダンナが命を張るってのに、オレ等がその後ろで守られるなんざ道理に反するじゃねえか!」
「今までは、姉ちゃんの手伝いや街の治安維持なんかで忙しく砦に行けなかったが、ようやく下の連中への仕事の引き継ぎが終ったんだ。今日こっちに来てるって聞いて待ち構えてたってわけさ」
やる気満々の兄弟を前にして、ミツキは内心、今更かよと思う。
軍の編成はおおかた済んでしまっているのだ。
無論、どこぞの部隊にねじ込むことは難しくない。
しかし、スラムの腕自慢程度が参加したところで、大した戦力になるとも思えない。
それに、と思い、視線をイリスに向ける。
案の定、彼女はミツキに縋るような視線を返してきた。
わかっていると心の中で呟いて、兄弟へと向き直り言葉を返す。
「おまえらは連れて行かない」
「は!? な、なんでだよ!」
「イリスに任せている仕事は前線で兵士ふたりが体張るよりも重要なんだ。制服の生産だけじゃない。食料や軍馬だって、掻き集められるだけ送ってもらっている。おまえらにはその補佐をしてもらった方が、余程ありがたいんだよ」
「だけど――」
「それに、非市民区の治安維持はおまえたちの仕事だろ? 難民が増えて街も拡張されている分、人手はますます足りなくなるはすだ。今まで仕切ってたおまえらが居なくなったら、困るのは姉ちゃんだけじゃないだろ」
口を噤んで俯いた兄弟に、ミツキは言い含めるように言葉を継ぐ。
「オレの故郷には〝銃後の守り〟って言葉がある」
「ジュウドォの守り?」
「いや、それだとまったく別の意味になるな。〝銃〟ってのはオレが昔いた場所で使われていた武器で、その後ろ、つまり戦場の後方の守りって意味になる。最前線で体張るのも確かに重要だ。でもそれを後ろで支える人間がいなきゃ戦うことはできない。そしてオレには、あまり信頼して後ろを任せられる人間ってのが、ここティファニアにはいない。だから、おまえらみたいに数少ない信用できる人間には、オレ等の背中を預けたいんだ」
我ながらクサすぎるセリフだと、ミツキは己の吐いた言葉の寒々しさに身震いしかけるが、意外にも兄弟は目を潤ませ顔を紅潮させている。
「そうかい……わかったよダンナ。姉ちゃんと非市民区のことはオレ等に任せてくれ!」
「あんたが帰ってくる場所は、俺たち兄弟が守るぜ。だからよ、どうか、どうか無事に帰って来てくれよな!」
そう言って抱き着いてきた兄弟のむさ苦しさに、ミツキは苦笑いするしかなかった。
「さっきは助かったよ、あの馬鹿どもを説得してくれて。反抗期なのか私の言うことなんて聞きゃしないんだから」
「いや、さすがにそんな歳でもないだろ」
応接室を出たミツキとイリスは、ミツキの乗ってきた馬車の停留場に向かって工場の敷地を歩く。
元々、領国軍の簡易的な兵舎だったという建物は、工場として運用するため滅茶苦茶な改築が進み、どの建物も小ぶりの九龍城のような奇形染みた建築物と化している。
その中に、ひと棟だけ異彩を放つ建物があった。
サルヴァが雇ったという技術者によって建造された、皮革に魔法を付与するための工場だ。
純白の円筒形の建物には窓ひとつなく、一切の無駄を排除したデザインは近未来の建築物をミツキに想起させた。
実際、その施設で扱われている技術は、今までこの国に存在しなかったテクノロジーなのだ。
突然の戦争と急激な技術革新。
そんな時代の流れの裏には、何者かの作為のようなものがあるのではないかと、ミツキは心のどこかで感じていた。
そして、その大きな原動力となっているのが、自分たち被召喚者のような気がしてならない。
建物を見て物思いにふけっていたミツキに、イリスが声を掛ける。
「あれ? ねえちょっと、お迎えが来たみたいだよ」
「え?」
彼女の指差す前方を窺えば、フォーマルな出で立ちの痩せぎすの男が、ふたりの方へ向かいふらつきながら走って来ていた。
サルヴァがミツキの下に付けた下士官で、テオ・ジョエルという名の男だ。
普段、ミツキは工場関連の仕事をこの男に振っていた。
このテオ・ジョエルという青年は、元々ティファニア軍の所属で、経理や事務処理能力に長けているが、剣も魔法もからっきしなため、閑職に追いやられていたのをドロティアが〝人見の祝福〟で見出し、サルヴァが引き抜いてきたのだ。
二十代後半という若さなうえ健康体であるにもかかわらず、先の遠征に連れて行かれなかったという時点で、戦場での働きにはまったく期待できそうもないが、備品を揃えたり組織を編成したり、軍規を定めたり参陣した副王領軍との折衝を受け持ったりと、あらゆる仕事をサルヴァからまる投げされているミツキにとって、今や秘書として彼は無くてはならない存在だった。
容貌は、細面で髪を七三に撫で付けており、近眼のため常に丸縁の眼鏡を掛けている。
その見た目から、覚えやすく呼びやすい名前であるにもかかわらず、だいたい仇名で呼ばれていた。
「どうした眼鏡君? そんなに慌てて」
「たいへんですミツキ殿! 急ぎ王宮へとお越しください!」
「いや、だから何がたいへんなんだよ」
「そ、それは、ゲホッ……ティファニアぐっゴホッ……!」
「いや慌てなくていいから、まず息を整えて、な?」
息も絶え絶えな補佐官を宥めながら、ジュランバー要塞ではなくティファニア王宮へ招集されたことに、ミツキは嫌な予感を抱く。
屈みながら数秒かけて呼吸を整えたテオは、大きく息を吸い込みながら顔を上げた。
「ひっ、東の要塞が陥落いたしました! 籠城していたティファニア軍はディエック将軍を含め全滅したとのことです!」
報告を聞き、ミツキの顔色が変わる。
遠くないうちにそうなるとは聞いてたが、実際にその時が訪れると、動揺のため膝から崩れ落ちそうだ。
「王宮の円卓の間で緊急の会議が開かれるようです。サルヴァ様が出席されるとのことで、ミツキ殿にも同席してほしいと、緊急の伝令を受けました!」
「わかった。急いで戻るから先に行って馬車を出す用意をしておいてくれ」
ミツキの指示を受け、テオはふらつきながら工場敷地の入り口の方へと引き返して行った。
「遂に出征なんだね」
声に振り返ると、イリスが青褪めた顔でミツキを見ていた。
「ああ。ギリギリだけど、制服が間に合って良かったよ」
「制服なんてどうだっていいじゃないか……ねえ、やっぱり……」
イリスは何か言おうとしばしの間迷っていたが、嘆息しながら首を振ると、おそらくは口にしようとしていたのとは別の言葉を伝えた。
「〝ジュウゴの守り〟だっけ? そっちは私たちに任せて、心おきなく働いといで。で、戦争が終ったら、祝杯を上げようじゃないか。その時は、結局会えなかった側壁塔のあんたの仲間も連れといで。私のおごりで良い酒を好きなだけ飲ませてあげるよ」
「そうだな、約束だ。楽しみにしてる」
そう言ってミツキは右手を差し出した。
イリスは一瞬戸惑うような表情を浮かべてから、笑顔を作って手を握り返した。
こうして再会を約したふたりだったが、よもやこれが今生の別れとなるなど、この時は知る由もなかった。




