第十六節 『徒花』
ディエックは赤肌の女の一挙手一投足に注意を払いながら思考する。
どうにかしてこの場を切り抜け、敵戦力の要が召喚された異世界人であることと、ティファニアにとっても異世界人が反撃の切り札になり得るという情報を王都に伝えなければならない。
指揮官である己が部下を残して逃走することはできないにしても、魔導士に使い魔を放たせ、複数の兵士に早馬を与えて別々に逃がせば、いずれかがティファニアまでたどり着く可能性は決して低くないだろう。
「となれば、どうあってもこの女を倒さねばならんということか」
「先程から、なにをブツブツと言うておるのかや。吾は汝れを喰ろうために出向いたというに、構えもせぬとは拍子抜けよな」
一歩踏み出す女に、ディエックは剣は下ろし、代わりに右手を相手に向けかざした。
「はっ! 戦の行方を左右するほどの化け物か。だがな、私とて相応の理由があって将軍の地位にいるのだ!」
ディエックの右手前方に魔法陣が展開されると同時に、紅緋色の光が灯り周囲の空気が渦を巻くようにしてその中心へと集まる。
そして瞬きするほどの間に人の頭部程の光球が形成される。
「これは…‥魔法かえ? 無詠唱で使いおるのかや」
「祝福者の中には、無詠唱で魔法の行使が可能な者も存在するのだ! わざわざ足を運んでもらって悪いがこの先手で決めさせてもらおう!」
右手を突き出すと、さらに大きく膨れ上がった光球が、収縮すると同時に山吹色の眩い光を放った。
「〝煉熱焦爆球〟!」
叫ぶと同時に放たれた光球に、数歩の間合で対峙していた女は身じろぎ程の反応もできなかった。
超高温を凝縮した魔力の弾が炸裂し、ディエックは鎧布のマントで衝撃と熱風を遮る。
「運がなかったな化け物。私は〝灼炎の祝福者〟。単騎としての総合的な戦闘能力は現ティファニア最強と自負している。私を殺すつもりなら、下の部下を引き連れて来るべきだったのだ」
極めて強力な炎熱魔法を無詠唱で使えるディエックは、祝福者としての才覚ひとつで一兵卒から将軍にまで成った叩き上げだ。
その実力は、先の大将軍カナル・フーリッツ・シケルをして「こいつひとり居りゃ軍隊とか要らなくね?」とまで言わしめたほどだった。
実際、剣術や格闘戦のみであれば第一王女親衛隊長のサルヴァ・ディ・ダリウスをはじめとした若手の俊英に一歩譲るものの、魔法を用いた近接戦闘においては齢六十を過ぎた今なお国内に敵なしと言われていた。
だからこそ、眼前の光景はディエックにとって到底受け入れられないものだった。
「……あり得ん」
爆風で巻き上がった粉塵が晴れると、天守塔最上階の部屋は先の魔法の熱で大きく球状に抉れているのが確認できた。
床は半分も残っていないため、早々に外壁を伝うなりして建物から降りなければ、バランスを崩した塔の倒壊に巻き込まれるおそれもあったが、ディエックの足はその場に貼り付けられたように動かなかった。
爆発の中心部、熱と衝撃ですべてが吹き飛んだはずの空間に、赤肌の女が無傷で浮かんでいたからだ。
「先の魔法はなかなかの美味であった。とはいえ、些か食い出がないのも事実よな」
そう言って女は右手を持ち上げディエックに向けてかざした。
その掌の前に展開された魔法陣を視認して、ディエックは息を呑む。
「それは……先程私が使った〝煉熱焦爆球〟か!? 無詠唱で、い、いや、ひと目見ただけで再現したと言うのか!?」
「汝れも自慢の魔法で屠られるなら本望であろ? しかし、やはりこの構成では火力が足りぬの。どれ、ここをこうすれば……」
女は左手の人差し指を魔法陣に近付けると、指先に魔力を込め、その内容を書き換えていく。
「その場で、魔法式を更新しているのか!? どうしてそんな真似ができる! い、いや、そもそも――」
ディエックは一度言葉を区切って息を呑む。
「それは何だ?」
女の掌の前、倍ほどに膨れ上がった魔法陣の中心に浮かぶのは、爪の先程の小さな光球だ。
〝灼炎の祝福者〟であるディエックは、その魔法の威力をひと目で見抜いていた。
先程行使した二級魔法の上、一級魔法をさらに大きく上回る熱量が、小さな球体に圧縮されている。
女が魔力操作で熱を一点に閉じ込めていなければ、周囲一帯が要塞ごと溶融するはずだ。
「こんな……こんな威力の魔法など、存在するはずが……」
「汝れは人としてはそれなりのものかもしれんがの、神にも等しき存在の前ではその才覚など意味をなさぬのよ」
そう呟くと、女は宙に浮かんだ体を僅かに降ろした。
要塞を攻めている自軍の兵を巻き込まないよう、魔法を上に放つつもりなのだろう。
そしてディエックの周囲には、躱すための足場が残されていない。
転落死覚悟で飛び降りるかと一瞬考えるが、かまわず地上に放たれでもすれば、ティファニアの国土に大きな爪痕を残すことになりかねない。
もはやその場にとどまり、小さな太陽のような光球を身に受けるかしかないと悟り、ディエックは苦し紛れの笑みを浮かべて呟く。
「……私を喰らうと言っていなかったか? その魔法では骨の灰すら残らんぞ?」
「喰らうというのは汝れの身の内の魔素のことよ。体が消えた瞬間に四散した魔素を吸収すれば済むだけのこと。そも、人の屍肉なぞという穢らわしきもの、悍ましくて口にできようものかや」
女の言葉の直後、魔法陣がひときわ強く輝き、純白の光球が放たれた。
しかし、ディエック・リィ・ダヒデットは熱も痛みも感じることはなかった。
その身と精神は瞬きする間もなく蒸発し、空間に放出された魔素だけが女の身に引き寄せられ、淡い光とともに吸収された。
女は魔素を味わうかのように、少しの間沈黙した後、もはや痕跡すら残さず消滅した敵将に向け小さく呟いた。
「なかなかの美味であったえ」
ティファニア軍指揮官の死を体感したサクヤは、閃光に眩んだ視界を戻すため、眉間を揉み解しながらしばし目をしばたいた。
俯きながら、これでティファニア軍は全滅だと考える。
もはや、時間稼ぎは終わったのだ。
しかし、ティファニア軍が足掻き抜いたおかげで、敵の情報は、弱点も含めかなり詳細に知ることができた。
情報収集と並行して改造と量産を進めていた蟲の眷族によって、敵の優位性は覆せるはずだ。
しかし、とサクヤは思う。
やはり、最大の問題は敵軍を率いる被召喚者の存在だ。
結局、姿を確認できたのは二体だけだったが、ティファニア兵の目を借り敵陣の魔力を観測し続けたところ、おそらくは四体いるという結論に至っている。
単純に、こちらの被召喚者を一体ずつぶつけることになるだろうが、ひとつ問題があった。
「先程の、あの女だけは規格外だ」
ティファニア軍指揮官の老将軍を葬った赤い肌の女。
あれは、亜神の類だろうとサクヤは考える。
となれば、トリヴィアでも荷の勝ちすぎる相手だ。
アタラティアの時のように、トリヴィア、オメガ、ミツキをまとめてぶつけたところで敗北は目に見えている。
ならば仕方があるまいとサクヤは考える。
もう一体姿を確認しているでかぶつの相手はミツキに投げるとして、あの女だけは己が対処せねばなるまい。
「しかし、まともに相手をすれば戦いにもなるまい。なればこそ、私も腹を括らねばならんな」
遥かに格上の敵との決戦を決意したサクヤは、死への恐怖を遥かに上回る好奇心に、おもわず笑みを漏らしていた。




