第十五節 『陥落』
「ここまでだな」
戦死した王弟ヴァリウス・ライティネン・ヨズル・ティファニエラ将軍に代わってティファニア軍の指揮を執る第二騎士団長ディエック・リィ・ダヒデット将軍は、城砦中央に聳える天守塔からの眺めに、おもわず呟いていた。
現在立て籠もっている第九副王領と第十四副王領の領境にある要塞は、抗魔処理を施された堅牢な城郭に囲まれているが、今、その壁が土煙を上げながら複数箇所で倒壊しはじめていた。
これまで、どうにか籠城で耐え続けてきたが、要塞を囲むブリュゴーリュ軍に特定の戦力が合流したことにより、遂に城郭が突破されたのだった。
我ながら、よくぞここまで戦い抜いたとディエックは考える。
初戦以来、敵の戦術は、ことごとくティファニア軍の意表を突き、戦局は終始ブリュゴーリュ軍の圧倒的優勢で進んだ。
それでも、夜襲や伏撃などによって、どうにか相手の裏をかこうと試み、実際に作戦が成功しかけたこともあった。
しかし、その度に、得体の知れない敵戦力からの反撃を受け、かえって大きな損害を被ることとなった。
その後、野戦での戦闘継続は不可能と判断し籠城戦を選んだが、結局は件の未知の敵戦力によってこの要塞も陥落することとなりそうだ。
「こちら正門前! 敵戦力の突破を許しました! 現在、土嚢の後ろで槍衾を作り侵攻を食い止めていますが、これ以上の足止めは困難です! 至急、増援を送ってください!」
「こちら東門付近! 大規模な凍結魔法を使われたらしく兵員に凍死者が続出している! この魔法、鎧布がまるで機能しない! 魔導部隊をこちらに回してくれ!」
「南門方面がまずい! なんだあの化け物は! 斬り落としても魔法で焼き払っても次々沸いて来る! あぁ、あんなのどうやって倒せってんだよ!」
壁に設置された伝声管が、着々と状況が悪化していることを伝えていた。
もはや全滅は時間の問題かと、ディエックは醒めた頭で思う。
そして、それならば、これから己が考えるべきは、どう身を処するかということだろうと思考する。
敵の手にかかる前に自裁するかと考え、すぐに首を振った。
全滅を目前に控えているとはいえ、己は未だティファニア軍を預かる身だ。
ならばせめて、少しでも王都の時間を稼げるよう、死ぬまでに可能な限り敵戦力を削いでおくことこそ、軍人としての最後の奉公と言えよう。
では、塔をおりて部下たちとともに力尽きるまで剣を振るうべきか。
それも否だ。
ティファニアにブリュゴーリュ軍と対抗できるだけの戦力など残されていないが、それでも、僅かでも今後の戦いが有利になるよう配慮するなら、敵指揮官、いやそれよりも、自分たちがここまで追い込まれる原因となった謎の敵戦力を叩いておくのが最も望ましいだろう。
方針を決めたディエック将軍は、天守塔を下りようと足を動かしかけるが、その直後、発動していた探知魔法に強烈な反応があり、身を固くした。
今までに感じたこともない膨大な魔力を察知し、全身に冷や汗が噴出して手足が勝手に震えだす。
「こ、れは……例の奴か!? まさか、こちらへ向かってきている!?」
少なくとも味方にこんな魔力の持ち主は存在しない。
敵にしたところで、普通の兵士ということはあり得ないだろう。
ならば、まさしく先程倒そうと決めたばかりの、ブリュゴーリュ軍の特異な戦力に違いない。
この最後の局面で、何という僥倖か。
今、確実にこちらへ向かってくる魔力の持ち主を刺し違えてでも打倒することが、己の最後の徒花となるだろう。
ディエックは剣を抜くと、下階から直接階段が伸びている天守塔最上階入り口に向けて構えた。
徐々に近づいて来る禍々しい魔力に中てられ息が乱れる。
前身に悪寒を覚え、心に沸き上がる恐怖に叫び出してしまいそうだ。
落ち着けと己に言い聞かせ、目を閉じ呼吸を整える。
今ほどではないにしろ、これまでも己は数々の死線を乗り越えてきたはずだ。
そして今回は、己の命を気にする必要すらないのだ。
そんな状況で何を恐れることなどあろうか。
深く呼吸を繰り返しながら、心の内で覚悟を決めると、次第に恐怖は鎮まっていった。
そして、ゆっくりと瞼を開いたディエックの眼前に、それは立っていた。
女だ。
鮮血のような赤い肌と波のように激しくうねった浅葱色の長髪、さらにその肌には葉脈のような青い模様が無数に走っている。
そしてそれ以上に異様なのが、目だった。
人と同様のふたつの目の中には、しかし、黄金色に輝く複数の瞳があり、しかもそれらはどういう原理か結膜の上を滑るように動きまわっている。
明らかに人間離れした容姿だが、女はゆったりとした芥子色の衣服を身に纏い、足には茶色い皮革製のサンダルを履いていた。
もしミツキが見れば、南アジアの女性が着るサリーのような衣装だと思っただろう。
「人に似ているからといって、化け物に人の服を着せているのか? よくわからんなブリュゴーリュ人のすることは」
「出会い頭に〝化け物〟とは、無礼な人間よ。とはいえ、魔力はこの要塞のティファニア人の中で最も大きいのは間違いなさそうだえ。わざわざ出向いた甲斐があったというものよな」
女が言葉を発したことで、ディエックは驚愕に眼を剥いた。
この異様な容姿を目の当たりにして、ディエックはブリュゴーリュ軍が闇地深部の魔獣を捕獲し何らかの手段で使役しているのだと考えたのだ。
実際、闇地の奥深くには人型の魔獣が生息するという伝承は各地に伝わっている。
しかし、人語を話す魔獣などというものは聞いたこともない。
そもそも魔獣というものは、決して理性を持ち合わせず、人に対しては敵意以外の感情を示すことがない。
つまり、目の前の異様な容姿の女は、魔獣以外の何かということになる。
「何かやその顔は。異世界人がそんなに珍しいのかえ? ティファニアでも異世界からの召喚は行われたのであろ。それともこちらの情報が間違っていたのかや?」
女の喋りは流暢ながら、聞き覚えのない訛りをともなっている。
しかし、そんなことよりもディエックは女の発言に強い衝撃を受けた。
「異世界からの、召喚……だと?」
その女の言葉には心当たりがあった。
以前、未だ第一王子だったセルヴィスに連れられ、病に伏した先王メイルストがカルティアの亡命魔導学者を重用して召喚させたという異世界からの召喚者の戦いを鑑賞させられたことがあったのだ。
闘技場に放り込まれ、魔獣との一騎打ちを強いられた異世界の生き物のほとんどは、まるでなすすべなく殺され、食われていったが、ごく少数ながら異常な力を持った個体があった。
もともとは、そういった個体を選別し軍事目的で使うための催しだったはずだが、その力の凄まじさから、当時すでに王の代理を務めていたセルヴィスは、召喚した化け物を制御できないと判断し、計画も凍結された。
異世界人も殺処分されるはずだったが、ドロティア王女のいつもの気紛れで生かされることとなり、彼女の所領である第三副王領のどこかに力を封じられた状態で軟禁されていると聞いていた。
つまり、とディエックは考える。
この戦争で勝つには、それの運用が前提条件だった、そういうことなのだろう。
そもそもティファニアは、ブリュゴーリュ軍とは異なる土俵で戦っていたのだ。
その結果がこの取り返しのつかない敗北だ。
もはや悔やんでも悔やみきれなかった。
だが、と思う。
不幸中の幸いにも、件の異世界人たちは、ドロティア王女の庇護下で生存しているのだ。
であれば、あるいは今からでも、遅くないのではないか。
奴らの運用を前提にして後方の残存兵力を再編成すれば、今度こそ戦いになるのではないのか。
「なんということだ……死ねなくなったではないか」
ディエックは、絶望を前に微かな光明を見出したことで、己が微笑んでいるのに気が付いた。




