第九節 『三人』
斬り掛かって来た釣り目の剣士の一撃を得物で受け止め、トリヴィアは小さく息を呑んだ。
細身の体から繰り出される斬撃は、手を痺れさせるほどに鋭い。
しかも、二本の剣を巧みに操り、攻めに隙が生まれない。
剣の技倆だけなら、ミツキを上回るだろう。
対する己はと考え、トリヴィアは手にした獲物に視線を向ける。
今振るっているのは、ブシュロネアとの戦いから使い続けてきた巨大な鉈刀ではない。
あの得物では、たとえ手加減したとしても、直撃すれば人間の体は簡単に壊れてしまう。
実際、ミツキとの訓練では、加減して峰打ちしただけで全身を複雑骨折させている。
もし、打ち所が悪く即死させてしまえば、いかに優れた治癒魔法とて治すことはできない。
だから、トリヴィアはミツキが砦の倉庫から見繕ってきた船の櫂に毛布を巻いたものを武器としている。
その毛布が、剣戟によって飛び散っていく。
「見事な技のキレだ。しかし、相手の得物にも配慮するべきだ、なっ!」
そう言ってトリヴィアが受けた相手の剣は、木製の櫂に深々と食い込んでいた。
釣り目の剣士は一瞬引き抜こうと左手に力を込めるも、トリヴィアが櫂の角度を調整し剣が抜けないようにしているのに気付くと、左手を放して右の剣で斬り掛かろうとする。
しかし、剣を振り下ろす前に、櫂に胴を払われ、衝撃で壁際まで吹き飛ばされる。
「剣を一本奪われ、攻防のバランスを欠いたな」
そう言いつつ、背後から迫る殺気に向き直る。
槍を構えて駆け寄って来ていた垂れ目の男が、せわしなく口を動かしながら、苦笑いを浮かべた。
その口の動きを魔法の詠唱だと判断し、トリヴィアの顔に冷笑が浮かぶ。
「無粋な」
櫂を構えて踏み込もうとしたところで、詠唱を終えた槍使いが呪文を叫んだ。
「風纏」
途端、突風が槍使いの身を上空に持ち上げた。
槍を突き出し己に向かって落下する男に視線を向け、トリヴィアは呟く。
「風を纏って自身の跳躍力や機動力を向上させるうえ、その風で相手の攻撃の軌道を曲げる魔法か」
その瞳がネオンブルーの光を帯びる。
「しかし、相手が悪かったな」
槍使いの身を包んでいた風が、トリヴィアの魔力干渉で四散した。
風の魔法特性を持つトリヴィアだからこそできる芸当だ。
当然、槍使いは詠唱もなしに己の付与魔法が打ち消され狼狽する。
しかし、それでも落下の軌道は変わらない。
半ばやけくそ気味に突き出された槍の柄を、トリヴィアは難なく片手で受け止める。
だが、それを読んでいた槍使いは、槍を支点にして体を回転させるようにして、トリヴィアの顔面目掛けて蹴りを放った。
「痛っつぅ!」
男の蹴りは、頭を下げたトリヴィアの角に受け止められた。
トリヴィアは槍を振り回すと、男の体ごと城壁に向けて放る。
男は咄嗟に石突きを握り、槍を限界まで伸ばしてどうにか地面に突き立てると、砂埃を上げ城壁際まで吹き飛ばされながらもどうにか制止し、槍を支柱にして身を回転させ勢いを殺して地面に降り立った。
「やるじゃないか。魔法など使わなくとも――」
その言葉を言い切る前に、トリヴィアは己の両目目掛けて放たれた二本の矢を眼前で受け止めていた。
「ほう……同時射撃で見事な狙いだ。いったいどんな――!!」
射手に視線を向け、トリヴィアは息を呑んだ。
やや癖の強い赤毛に細身の体躯、装備は革の胸当てと右手に籠手を嵌め、服はカーキグリーンのツナギとロングブーツという出で立ちの若者だが、なにより目を引くのが顔立ちだ。
中性的な童顔で、一見すると少女と見間違えてもおかしくはない。
その外見は、トリヴィアの種族の男性に極めて近いものがあった。
その容姿にしばし見とれてから我に返ると、トリヴィアは己の内心を省みて表情を歪めた。
「み、見惚れた!? 今、見惚れていた!? ミツキという者がありながら!?」
右手を握り込むと、拳で顔面を殴打する。
鼻血を噴き出しながら、トリヴィアは叫んだ。
「この、不埒者め! なんという浅ましさだ!」
矢の二本射ちを素手で掴んだ角女は、急に呆けたようになったかと思うと、唐突に己の顔面を殴り付け、意味の解らないことを叫んだ。
矢を放ったエウルは、その様子におもわず呟いていた。
「え? 怖い」
「あの女、どうしたんだ?」
声を掛けられ、エウルが右手に視線を向けると、ジャメサが女を警戒しながら己に近付いてきていた。
左手は、殴打された胴を押さえている。
どう考えてもダメージは小さくないはずだが、苦痛を表情に出していないのはさすが元剣闘士だとエウルは感心する。
「何か悪いものでも食べたのかな?」
少し遅れてティスマスも戻ってきた。
ジャメサと違って負傷はしていないようだが、槍を持って放り投げられた際の超人的な身のこなしがなければ、今頃城壁に叩き付けられ全身打撲でリタイアしていただろう。
「わからないけど、どうやら好機みたいです」
「いやでも、やっぱあれハンパないよ。一対一で敵う人間なんて絶対いないでしょ」
「だったら、同時に攻撃するしかないだろ。幸いこっちは三人。オレとティスが別方向から同時に攻撃し、それに合わせてエウルが射撃すれば、さすがに対応できないはずだ」
「ですね。わかりました任せてください」
「しゃーないか、士官のためだし」
そう言うと、ジャメサとティスマスは左右に分かれて女に向かって行った。
エウルは矢筒から矢を二本引き抜くと、矢羽に切れ目を入れる。
こうすれば、矢の軌道を曲げることができる。
ふたりの同時攻撃に加え、先ほどと軌道の異なる二本射ちなら、さすがに攻撃が通るだろうとエウルは予想する。
前方では、鼻血を拭き終えた角女に、ジャメサとティスマスが同時に斬り掛かろうとしている。
即席とは思えないほどふたりの呼吸は合っている。
あの大きな櫂で、ふたりの攻撃を同時に捌くことなどできないはずだ。
己はふたりの攻撃に合わせて射撃すればいい。
そう考え弓を引き絞っていたエウルは、ふたりの同時攻撃に対する角女の対応を目にして大きく目を見開いた。
一方を見ようとすればもう一方が死角となる角度から、剣士と槍使いは斬り掛かって来た。
しかし、トリヴィアは肌に感じる気流の動きから、ふたりの動きを完全に把握している。
とはいえ、大振りな武器一本では対処が難しい。
いっそ武器を捨てるという選択肢もあるが、相手が作戦勝ちを確信しているこのような場合は、相手の意表を突くような行動こそ効果的だとトリヴィアは思考する。
では、どうするか。
一瞬の閃きを実行するため、トリヴィアは櫂の両端に手を添え、力を込めた。
メキメキという音が上がった直後、櫂は先程斬り付けられた切れ目から真っ二つに折れる。
短剣程の長さの棍棒と化した櫂で、剣を受け止め槍を捌く。
その一撃で勝負を決めるつもりだったふたりは、驚愕の表情を浮かべて体勢を崩した。
同時に、両手の武器を放り、体勢の崩れたふたりの胸倉を掴むと、己に迫る風切り音の方へと突き出した。
「うっぎ!」
「あだぁ!」
尻に矢が突き刺さった二人は、痛みに悲鳴をあげた。
「うわわ! ごめんなさいごめんなさい!」
味方を射抜いてしまい慌てふためく射手目掛けて、トリヴィアはふたりの男を投擲した。
射手の若者は、仲間を受け止めようとするも、その衝撃と体重を受け止めきれず、三人は団子状になって壁際まで転がって静止した。
「三人ともなかなかだった! ただ、勝利を確信した作戦を覆され、それ以上の対応ができなかったのが敗因だな」
壁際で観戦していた受付の女は、三人に近付きつつトリヴィアに向かって声を上げた。
「この三人の評価はいかがですかぁ?」
「上の中!」
「おぉ、やっぱり見込んだ通りですねぇ。三人ともこの後の面接さえ通れば百人隊長からのスタートですよぉ。おめでとうございまぁす。頑張ってくださいねぇ」
女から祝いと激励の言葉を掛けられた三人は、しかし白目を剥いて気絶していたため、誰も反応できなかった。




