第七節 『民兵』
ジュランバー要塞へは思いのほか簡単に辿り着けた。
第二十一副王領の北の端、北部大闇地帯で生活していたため、南下すれば広大な砦のどこかしらにはぶつかると考えていたが、途中の街道に砦を目指す冒険者や傭兵の一団が目立ったため、彼らと同じ道を進むだけでよかった。
しかし、と彼は思う。
こんなにたくさんの人間は生まれて初めて見る。
物心付いた頃には、闇地に潜り祖父と魔獣狩りをしていた彼にとって、人の住まう土地こそが異郷だった。
年に五、六度、素材を売りに近くの人里まで下りることはあったが、そこは農村と闇地開拓を兼業で行っているような村で、非常にのどかな場所だった。
一方、今彼が立っている要塞前の広場は、傭兵や強面の冒険者で溢れ、その熱気に当てられ目眩がしそうだ。
「どうしよう……なんか怖くなってきた。やっぱ闇地へ帰ろうかな」
この場に集う男たちが怖いわけではない。
人が怖いのだ。
これまで祖父以外の人間とは滅多に関わることのなかった彼にとって、人とのコミュニケーションは魔獣狩りよりも余程難題だと言えた。
「というか、どこに行けばいいんウップ」
「ああん?」
視線を巡らせながら歩いていたところ、人にぶつかってしまい、彼は慌てて頭を下げた。
「す、すみません! よそ見をしていました! どこかお怪我はありませんか!?」
「あ? ああ、怪我。怪我ね」
男は、しばらく彼を見下していたかと思うと、急にぶつかった背中を押さえて身悶えし始めた。
「あ~痛ってぇ! これ骨が折れたかもぉ!」
「え? でも、それは……」
ぶつかられた男は、彼より頭ふたつ分は背が高く、体も筋肉質でいかにも頑丈そうだ。
どう考えても、ちょっと接触したぐらいで骨が折れるとは思えない。
しかし、反論しようとした彼に、男の連れが凄んで見せる。
「おいボウズ、せっかく戦うためにここまでやって来たってのにどうしてくれんだクラ!」
「あ~あ、こいつ完全に肋骨イっちゃってるよぉ。慰謝料が必用だよなぁこういう場合。なあボクちゃんよぉ!」
そこでようやく、彼は質の悪い輩に脅しを受けているのだと気付く。
人生初の体験だ。
こういう場合はどう対処すればいいのかと思い、まず間合い的に弓が使えない前提で動くことにする。
「わかりましたすみません。足りるかわかりませんが、これをお納めください」
ニヤつく男たちにそう言って、腰に手を伸ばしかける。
「こんな場所まで来てカツアゲか? 終わってんなおまえら」
背後から掛けられた声に、彼は振り向く。
自分より頭ひとつ分ほど長身の、ナイフのように鋭い三白眼に浅黒い肌の男が、彼に絡んでいた男たちを睨み付けていた。
細身の体だが、その身から発せられる気迫は、彼の肌を粟立たせた。
人里にも、こういう人間はいるのだなと、軽い驚きを覚える。
男たちも、その眼光に一瞬たじろぐが、すぐに数的有利を思い出して気勢を上げる。
「なんだテメエは!? しゃしゃってんじゃねえぞコラ!?」
「オレたちが誰だかわかってんのかクラッ! 血ぃ見たくなかったらすっこんどけや!」
三白眼の男の視線がさらに剣呑な色を帯び、彼は再び腰に手を伸ばそうとする。
しかし、またしても別の声に動きを遮られる。
「まあまあ、キミたちぃ、こんなにたくさん人のいる場所で揉め事とか止めようぜ。それに、うちらもしかしたら戦友になるかもしれないんだからさあ、今のうちから仲良くしといた方が後々お得だと思わない?」
男たちの背後から、袋に包んだ長物を抱えた長身の男が現れる。
くせの強いアッシュブラウンの髪に、たれ気味の目、下まつ毛がやたら長い優男で、口調もどこか緊張感を欠いている。
しかし、彼の肌は、後ろの男の姿をみとめた瞬間と同じぐらいに鳥肌が立っていた。
「ああ!? 何なんだ次から次へとよぉ! オレに得物を抜かせてえのか、ああん!?」
「え? でもキミ、肋骨折れたんじゃないの? 無理は良くないなぁ」
「て、めえ、そんなに死にてえ――」
「お、おい、止めろ。もういい、行くぞ」
最初にぶつかった男が、腰に差した手斧に手を伸ばそうとしたのを仲間が止めた。
その顔は青褪め、冷や汗を流している。
「ああ!? 何言ってんだよおい!」
「バカ、いいから来いって! やばいんだよあいつは、知ってるだろ、ほらあの……」
「ええ、あ、あんな弱そうな奴が? だって、ウソだろぉ……」
男たちは、仲間を引きずるようにして遠ざかると、急に足早になって人混みに消えて行った。
その姿を見送ってから、彼はふたりに礼を言う。
「あ、あの! 危ないところを助けていただき、ありがとうございました!」
「別に、礼を言われることじゃない。ここの広場に集まっているのは皆ティファニア軍の募兵に応じた傭兵や冒険者だ。揉め事が起きて乱闘にでもなり、同じ広場にいた自分まで巻き添えになるのはごめんだと思っただけだ」
「そうそう、それに助けたのはキミじゃなくさっきの彼らの方だしね。キミ、あのままだったら腰の短剣で彼らを刺してただろ?」
長物の男に見透かされて、彼は苦り切った笑みを浮かべる。
「いやあ、ああいう人たちって、どうあしらったらいいかわかんなくて。でもおかげでトラブルを避けられました。あの、よろしければお二人の名前を教えていただけませんか?」
男たちは顔を見合わせると、まず三白眼の方が口を開いた。
「ジャメサ・カウズだ。第十九副王領の闘技場で剣闘士をしていた」
「ああ! やっぱりキミ、〝剣帝〟ジャメサか! どうりで見た顔だと思った!」
「え? 剣帝って何ですか?」
「ああ、コメリア首都の闘技場といえば、ティファニア領内に残る闘技場でも屈指の規模なんだけど、彼はここ三年間不動のチャンピオンなのさ! それで付けられた仇名が剣の帝王で〝剣帝〟。かく言う私も、以前コメリアを訪れた際、彼に賭けて儲けさせていいただきました!」
拝むように手を合わせる優男に、ジャメサは苦々しい表情で黒髪をかき上げる。
「大層な仇名を付けられたが、長い間剣闘士だったってのは要するに借金を返せず辞められなかったってだけだ。それが今回、軍に参加するって条件付きで、第一王女が剣闘士の借金をすべて肩代わりして解放されたのさ。で、そういうあんたは?」
ジャメサに問われ、長物の優男が一歩前へ出た。
「ティスマス・イーキンス。気軽にティスって呼んでくれてかまわないよ。今はしがない冒険者だが、以前は第十六副王領で兵士をしていたこともある。そんなわけで多少の魔法と槍を使うことができる」
「ああ、〝百華槍〟のティスマスってのはあんたのことか。ティファニア西部じゃそれなりに名の売れた冒険者だよな。さっきの連中が逃げてったのは、おまえさんを知ってる奴がいたからか」
「キミ、剣闘士なのにやけに詳しいね。闘技場で戦うばかりなのに、どうして冒険者の情報なんて知ってるのかな?」
「闘技場じゃ腕の立つ冒険者をゲスト出演させることがあるんだよ。まぁ、大抵そういった試合はやらせだけどな。で、うちの支配人があんたを呼びたがってたんだ。でもあんた、そこらじゅうをふらふらしてるだろ? ギルドにも依頼したけど音沙汰ねえってぼやいてたぜ」
「あちゃあ! マジかぁ。ギルドなんて年一で顔出すかどうかって感じだからなぁ。闘技場のゲストなんてちょっと目立ちそうだし、やってみたかったかも」
「で、オレたちは名乗ったわけだが、あんたは?」
ジャメサに話を振られ、彼は居住まいを正す。
人に自己紹介するなど、いつぶりか思い出せない。
「ぼ、ボクはエウル・クーレットといいます。おふたりのように、かっこいい二つ名?みたいなのはありません。幼少の頃より、北の闇地で祖父と魔獣を狩って暮らしてきました。だから、弓には多少の覚えがあります」
エウルの自己紹介に、ティスマスが目を丸くした。
「へえぇ、キミみたいな可憐な女の子が、闇地で魔獣を狩っていただなんて信じられないなぁ。 でもそれだと、ここに集まってるのは、ほとんどむさ苦しい男だから不安だろ? 私でよければいつでも相談に乗るから、遠慮なく頼ると良いよ」
その言葉に、エウルとジャメサが首を傾げた。
「「え?」」
「え?」
三人の間に、しばし沈黙が流れた。
その後、エウルが自分は男だと説明しティスマスの誤解は解けた。
それからしばらくの間、ティスマスは両手で顔を覆い落ち込んだ様子だった。




