第二節 『脅迫』
剣呑な空気になどかまうことなく、サルヴァは話を続ける。
「ノエニアは、北部大闇地帯で越流が発生し隣接する第二十一副王領サリミアを魔獣が突破した際に備え、領北部に全ティファニア領で最大規模の要塞、ジュランバー要塞を築いているのは知っての通りです。平素であれば要塞にはノエニア竜騎兵団が駐留しておりますが、かの者たちはこぞって反攻作戦に参加いたしましたゆえ、要塞はもぬけのからとなっておりました。丁度よいと思い民兵はジュランバー要塞に集め、今日までに部隊編成も終えております」
「……自分が何を言っているのかわかっているのか? 副王領に、それも王領に隣接する王衆五領のひとつに、私設の兵団を集めただと? 王家に対する反逆行為と見なされても文句は言えんぞ!?」
「と言われましても、陛下からは既に許可をいただいておりますが?」
「何を戯けたことを! そのような真似許すはずがなかろう!」
怒りをあらわにするセルヴィスに、サルヴァは懐から取り出した証書を拡げて見せる。
「それは……余の印章? まさか、何かの間違いだ!」
「間違いではございません。この通り偽造防止用の魔力痕もくっきりと残されております」
サルヴァが小さく呪文を呟いて印章をなぞると、その表面に複雑な光の模様が浮かび上がる。
「馬鹿な! いったいどうして!」
「ノエニア竜騎兵団出征に伴い、第三副王領は警備が手薄になります。そのため臨時で傭兵を雇い入れることをドロティア王妹殿下から申請していただきました」
サルヴァに指摘され、セルヴィスは妹からいくつかノエニア関連の申請書類が上がってきていたことを思い出す。
ティファニア中央に位置する王領を囲んでいる王衆五領は、それ以外の外衆十九領とは異なり、王族が副王を務めることが決まっている。
といっても、多くの場合は名目だけで、実際の統治は配下の役人に任せられることが多い。
ノエニアの副王はドロティアが任されていた。
彼女は普段水晶宮に籠っているので、実際にノエニアを訪れたのは両手の指で数えられる程度の回数だろう。
だから、彼女が自分の副王領についての書類を上げてきたとき、セルヴィスは小さな違和感を抱いた。
しかし、ちょうどこれから反攻作戦が始まろうとしていた時期だったこともあり、わざわざ確認を取るような手間は避けたのだ。
とはいえ内容は確かに確認した。
臨時の傭兵の雇用の他に、商業組合への出資や他領からの入領手続きの簡略化など、多少気になる書類もあったが、ドロティアが自ら選んだ副王代理は優秀な人物だとわかっていたので、特に問いただすようなこともなく承認印を押したのだった。
「あ、あれは、招集した副王領軍の到着を待っている時だぞ……そんな頃から計画していたというのか」
「反攻作戦がうまくいくという保証はないと判断し、保険をかけさせていただきました」
「そんな烏合の衆でブリュゴーリュ軍を迎え撃つというのか!?」
「いいえ陛下。迎え撃つのではなく、こちらから打って出るのです」
「なおのこと勝てるわけがなかろう! 正規軍でもまるで歯が立たなかったのだぞ!?」
「それについては考えがございます。ミツキ、ちょっと前へ出てくれ」
「え? オレ?」
ふたりの剣呑なやりとりを黙って見ていたミツキは、唐突にサルヴァから名指しされ、戸惑いながら一歩踏み出す。
「ちょっと失礼」
「は? ちょっ、痛っつ!」
素早く顔に手を伸ばしてきたサルヴァに、左目の下に施した特殊メイクを剥ぎ取られ、ミツキは反射的に顔を押さえた。
建築用の接着剤で張り付けていたので、皮膚ごと剥がれたんじゃないかと心配になるほど痛い。
サルヴァはミツキが顔に当てた手を強引に引き剥がし、その顔をセルヴィスに晒す。
「なんだ、その傷は? 顔に張り付けていたのか? それに、その数字と記号はいったい……いや、待て、見覚えがある。どこで見たのだったか……」
ミツキの顔を見て首を傾げたセルヴィスは、しばしの間思考した後、何かに気付くと表情を引き攣らせた。
「まさか……先王の計画の……召喚者?」
セルヴィスは椅子から立ち上がって後退る。
「お、憶えているぞ……血まみれになって、魔獣を斧で滅多打ちにした異世界人……貴様だったのか……サルヴァ! いったいどういうつもりだ!!」
どうやらセルヴィスも、選別の際の闘技場にいたらしい。
おそらくあの時に、他の三人の戦いぶりを見て手に負えないと判断して、ミツキらを処分しようと考えたのだろう。
ドロティアに拾われなかったら、あの時点で揃って殺されていたということを再確認し、ミツキは身震いした。
「どうもこうも、このミツキを含めた異世界からの召喚者四名を民兵軍に組み込むのです。この者たちの実力であれば、ブリュゴーリュ軍にも対抗できましょう」
「何を根拠に!」
「この者らは実質四人だけでアタラティアに侵攻したブシュロネア軍を壊滅に追い込みました。それだけの実績であれば根拠としては十分では?」
「な、なにを言って……ま、さか、貴様らがアタラティアを援護したという報告は……」
「それについては申し開きのしようもございませんが、すべては先を見据えてのこととご理解ください」
「ふっ、ふざけおって!! 衛兵! この者らを拘束せよ!」
王の命を受け、会議場入り口に立っていた兵士ふたりと、セルヴィスの両脇に控えていたふたり、合計四名の兵士が槍を構え、サルヴァとミツキに向かって駆けだす。
「ミツキ」
「わかってるよ」
ミツキは未だヒリつく左頬を擦りながら、右手で弾を取り出し〝飛粒〟を放った。
一瞬で兵士たちは吹き飛び、壁に叩き付けられ動かなくなる。
「おいおい、大丈夫なのかい彼ら?」
「問題ない。鉄球じゃないから」
ミツキが放ったのは、側壁塔外の林に落ちているドングリに似た木の実だ。
鉄球では加減しても大怪我を負わせてしまうので、この時のために拾っておいたのだ。
「な、なんだ、今のは、魔法ではないのか?」
ミツキの攻撃に動揺しているのはセルヴィスばかりではない。
他の出席者の多くも、ミツキの得体の知れない力と、そして王が出席する会議の場で戦闘が発生したことに激しく狼狽えている。
しかし、王を残して逃げるわけにもいかず、皆身構えながらも辛うじてその場に踏み止まっていた。
「乱心なされましたか陛下?」
「ら、乱心!? 乱心しているのは貴様の方だろうがサルヴァ・ディ・ダリウス! いぃ、いったいどういうつもりでこのような真似をしている!」
「私はティファニアを侵略者から守るために最善を尽くしているだけにございます。民兵軍は既に編成を終え、そこにこのミツキらを加えさえすれば、この戦争に勝利する目は十分にあるとは既に申し上げました。しかし、陛下は軍を失い、もはや何の対策も立てられないにもかかわらず、唯一勝利の可能性を示した我らに兵を差し向けられた。これは、この国の民すべてが生き残る道を閉ざすことに他なりません。これを乱心と呼ばずして何を乱心と呼ぶのか」
そう言ってサルヴァがパチリと指を鳴らすと、会議室のドアから鎧の集団がなだれ込み、外壁に沿って部屋を囲うように整列した。
第一王女親衛隊だ。
円卓の席についていた近衛第一、二、四部隊の隊長らが応戦しかけるも、剣を抜く前に複数の槍を突き付けられ戦意を喪失した。
武力など持たない文官たちは、状況についていけず、おろおろと狼狽えるばかりだ。
「サルヴァ……貴様、最初から政権の奪取が目的だったということか!?」
「滅相もございません陛下。その証拠に、陛下にはこれからも陛下でいていただきたいと考えております。ただし、この有事に先程のような思慮を欠いた行動は慎んでいただかねばなりません。例えば、我々がブリュゴーリュ軍に勝利した直後、我らの留守中に再編した軍でも使って背後から襲い掛かられでもしたらと思うと、私のような小心者は恐ろしくてとても出征などできません。そこで、陛下にはこれに御署名いただきたい」
そう言うと、サルヴァは懐から巻物を取り出し、円卓の上を転がしセルヴィスの前まで広げて見せた。
「これは……契約の魔道具か」
「左様でございます。サインをすれば記載内容に逆らうことはできません。これに御署名いただけるのであれば、我らは身命を賭してブリュゴーリュの悪鬼どもを打ち払って御覧に入れましょう」
セルヴィスは苦々しい表情で巻物に記された契約内容を確認していく。
読み進める程に、その顔は青褪めていった。
「……余を愚弄するかサルヴァ。このような条件、どう考えても飲めるわけがなかろう!」
「飲めないとおっしゃられるか? それは困りましたな、飲んでいただけないとなると、もう少し説得する必要がございますなぁ」
「説得、だと?」
「ええ、説得、です」
そう小さく返答したサルヴァの顔を窺い、セルヴィスが恐ろし気に顔を歪める。
サルヴァは底冷えするような視線で円卓に着いたこの国の重鎮たちを見回していた。
「ま、待て、わかった署名する。だから、それは止めよ」
「おや、それとは何のことでしょうな。まあ、ご署名いただけるのなら、私も説得の手間が省けます」
サルヴァが差し出したペンを受け取ったセルヴィスは、少しの間躊躇していたが、覚悟を決めると巻物の端にサインした。
一瞬、巻物が薄く光るが、すぐに収まる。
サルヴァは満足げに頷くと、広げた紙を巻き取っていく。
その端を押さえて、セルヴィスがサルヴァを睨み付けた。
「満足かサルヴァ? これで余は、絶対に貴様に逆らえん。一国の王を傀儡にして、さぞ気分が良かろうな」
「滅相もございません陛下。このような方法でしかティファニアへの忠誠を示すことのできない我が不徳をお許しください」
「ぬかせ。というか、今思い出したわ。昔は人形のように静かで表情の無かったドロティアが、今のように度を越して奔放になったのは、貴様があれの騎士となったあたりではないか。貴様は我が妹を操り、いったい何を望む? 玉座か? いずれ私を引きずり下ろし、妹の夫としてこの国の王となるつもりであろう」
「玉座? 私がこの国の、王ですか? それは――」
サルヴァはセルヴィスに顔を近づけると、満面の笑みを浮かべて答えた。
「まったく、死ぬほど興味がございませんな」




