第二十節 『円卓』
ドロティアに続いて会議場に入ったミツキの顔に複数の視線が突き刺さる。
無理もないとミツキは思う。
目の下の印字を隠すため、ミツキは急いでかき集めた素材とアリアから借りた化粧道具で己の顔に特殊メイクを施している。
左目の下は、ケロイドと紫色の痣に覆われ、かなり痛々しい外見だ。
獣毛(オメガから採取した)を建築用の接着剤で顔に張り付けたうえ、アイシャドウのような化粧品で色付けしただけだが、かなりリアルに仕上がっており、ここに来るまでもすれ違う人々に顔を背けられたりした。
しかしこれなら、以前セルヴィスに述べた言動とも矛盾がないので、少なくとも怪しまれずには済むだろう。
ドロティアはなにやら歌を口ずさみながら会議場の円卓を回り、サルヴァの引いた椅子に着席した。
他の席に座るのが、軍人然とした厳めしい男ばかりなので、違和感がものすごい。
当の本人は、そんなことなど気に掛けた様子もなく、兄王に向って「お兄様~」などと声を上げつつ手を振ったりしている。
手を振られたセルヴィスは一瞬微笑み返しただけでそれ以上の反応は返そうとしない。
そりゃ、さすがに空気を読むよな、とミツキは思う。
ドロティアはセルヴィスだけでなく、その隣の席の青年にも手を振った。
こいつが元第二王子で現王弟のヴァリウス・ライティネン・ヨズル・ティファニエラだろうとミツキは察する。
兄と同じワインレッドの髪は短く、顎髭がもみあげまで繋がっている。
顔は兄よりも気難しい印象で、体格が良くいかにも武辺者といった印象を受ける。
第一騎士団長にして王国軍筆頭の将軍でもあるというから、おそらく今回の反攻作戦もこの男が指揮を執ることになるとサルヴァから聞いていた。
「どうやら全員揃ったようだな。それでは対ブリュゴーリュ反攻作戦の最終会議をはじめる。ディエック将軍、状況の説明を」
セルヴィスに促され、王弟であるヴァリウスとは逆の隣席に座る男が立ち上がった。
「第二騎士団長ディエック・リィ・ダヒデットです。各副王領よりお越しの皆様方には、どうかお見知りおきくださいますよう」
慇懃に自己紹介するディエック将軍は、ミツキの目には六十近くに見える熟年男で、白髪頭を七三に分け、口髭を生やしている。
この円卓に着いた面々の中では、おそらく最年長だろう。
しかし、声にはハリがあり、表情や佇まいからも、どこか精気のようなものが感じられた。
伊達で騎士団長を務めているわけではなさそうだとミツキは思う。
「さて、現在ブリュゴーリュ軍は四つの軍団に分かれ、それぞれ第九副王領ヌビリアに軍団ふたつ、第十副王領ケニキアと第十四副王領ツキミアに軍団ひとつずつで攻め込んでおります。よって、我らも軍団を四つに分け、各副王領へと向かいます。編成はお手元の冊子をご確認ください」
男たちは卓に乗せられた帳面を手に取り、それぞれ唸ったり溜息をついたりしている。
ドロティアも紙を眺めて感心したように頷いていたが、向きが逆だったのをサルヴァに指摘される。
なぜこんな小娘がこの場に座っているのかとミツキは不思議に思う。
「敵の数はどれ程になりますかな?」
円卓に着いた武将らしき身形の男が質問を発した。
鎧に着けられた鎧布の色や柄から、ティファニア中央の人間ではなく、副王領から招集されたのだろうとミツキは察した。
「各軍団がだいたい五万程度。全体で二十万程ですな」
「資料によれば、こちらの総兵力は三十万強。数で勝ってはいるな」
「それだけではございません。参陣を打診されていない東部の第七、八副王領の兵を進軍途中に加えたうえ、現在交戦中の三副王領の手勢も含めれば総数四十万は見込めますな」
ディエック将軍の回答に、「おお」という感嘆の声があがる。
「それはそうと、お聞きしたき儀がござるのだがよろしいか?」
妙に時代がかった口調の、またも副王領の武将らしき人物の声に、ディエックが頷く。
「我らは現在王都外の平野に陣を敷いているのだが、他のお味方を調べたところ、どうも数が足りぬように思うのだが、如何か?」
その言葉に、他の武将たちからも同意の声があがる。
一方、ディエックやヴァリウスは一瞬苦々し気に顔を歪め口ごもる。
しかし、問いに対する回答は騎士団長からではなく、王の口から発せられた。
「今回の反攻作戦のため、王領より西の副王領と王領の東に隣接する第四、第五副王領に招集をかけたが、第十七、十八、十九、二十副王領がそれぞれ何らかの理由から参陣を見送りたいと回答してきた。その後、再三要請したが、どこものらりくらりと躱すばかりで、どうあっても兵を寄こそうとせぬ」
副王領から参陣した武将たちがどよめく。
「第十七から二十と言えば、最も南部の四領! 自分たちは安全圏にいると思って高みの見物を決め込むつもりか!」
「これだから外衆十九領は忠心が足りぬというのだ! 恥を知るがいい!」
「その発言は聞き捨てなりませんな! 我ら外周領が闇地との壁になっているからこそ内地に位置する貴君ら王衆五領と中央の民は安穏と暮らせているのですぞ!」
「ほう! 田舎者の分際で私に――」
「止めよ!!!」
セルヴィスの一喝で場は静まり返った。
「すべては新王である余が頼りないがゆえだ。招集に応じてくれた貴君らに負担をかけてしまうこと、どうか許してほしい。ブシュロネアとの戦で疲弊している第十七副王領は仕方ないとしても、他の三副王領にはすべてが終わった後に断固とした対応をとるつもりだ。しかし、今はブリュゴーリュの魔の手を退けるのが先決であろう。輪を乱すことなく一丸となってことに臨んでほしい」
国王の言葉に恐縮し、頭の冷えた各副王領の武将たちは互いに詫び、少なくとも表面上は皆が落ち着きを取り戻した。
それにしても、とミツキは思う。
〝王衆五領〟と〝外衆十九領〟というのは、おそらく王都を囲む領とそれ以外の領という意味だと、言葉から推測できる。
どこの世界にも地方格差はあるらしい。
参陣しなかった副王領の件で多少揉めはしたものの、その後の会議は淡々と、時には冗談さえ交えて穏やかに進行した。
そんな場の雰囲気に、ミツキは違和感を覚える。
既に三副王領が陥落したというのに、緊張感に欠けるように思えるのは気のせいか。
ディエック将軍によって説明される作戦も、あまりに捻りがないように感じる。
魔法による遠距離攻撃で敵戦力を削ったうえ、敵に勝る兵数を生かして包囲殲滅を計るという方針自体は、戦略として正しいように思える。
しかし、奇襲とはいえたった七日で一副王領を陥落せしめた相手に、正攻法が通じるものなのだろうか。
そんなミツキの疑問を余所に、ディエック将軍による作戦の解説は終了する。
円卓の面々を窺えば戸惑いや疑念を覚えているような顔はひとつもない。
そんな様子に、自分の不安は杞憂なのだろうかとミツキは考え直そうとする。
ミツキがそんな思いに耽る間にも、セルヴィスが会議をまとめはじめる。
「ディエック将軍の説明通り、兵数で劣るばかりか、連戦で疲弊したうえ兵站も伸び切っているブリュゴーリュ軍に我らが負ける道理はない。とはいえ、我々はここ百年以上他国との戦を経験していないのも事実だ。皆の中には自領での盗賊の討伐などで実戦勘を磨いた者も少なくはなかろうが、やはり国と国との戦というのは別次元の過酷さであると余は考える。ゆえに、どれだけ有利な条件であろうとも、皆には一分の慢心もなく万全の心構えで戦に臨んでもらいたい」
もっともだと思い、ミツキは新王の言葉に何度か頷く。
「そこで、この場にて唯一他国との戦を経験し、手柄を立てている男に是非とも話を聴いておきたい。ミツキ・クロッソよ、ブシュロネアとの戦での武功、この場にて存分に披露するが良い」
国王の言葉に首肯を繰り返していたミツキは、唐突に水を向けられ大きく目を剥き体を硬直させた。
「え……わ、私、ですか?」
「うむ」
円卓を見回せば、居並ぶ武将たちが己に注目している。
隣のサルヴァを窺えば、小さく肩を竦め微笑み返された。
斜め前の席に座るドロティアは、ふり返って「みっちぃ頑張ってぇ」と小声でエールを送って来る。
聞いてないぞと文句を言いたかったが、まさか王の言葉を拒絶するわけにもいかない。
ミツキは口内の唾を飲み込むと、緊張で麻痺しかけた顎を無理やり開いた。
「僭越ではございますが、陛下の御下命とあらば」
声が震えないよう気を付けながら、アタラティアでの戦いを思い出す。
「私がアタラティア軍に参陣したのは、砦を奪ってアタラティア領内へ侵入したブシュロネア軍との初戦に大敗し、敵軍が街道を下って進行を始めた頃でした。街道は闇地に囲まれており、当時、指揮を執っていた将軍は街道口での迎撃を企てておりましたが、敵は闇地を突破して街道口に待ち受けるアタラティア軍の背後を突くことを狙っていたのです」
アタラティアでの戦いについては、第三者から訊かれるようなことになった場合を想定し、サルヴァの報告と矛盾が生じないよう既に口裏を合わせていた。
ミツキ・クロッソは、レミリスの〝人見の祝福〟でアタラティアの開拓村から見出され、サルヴァによってスカウトされたという設定だ。
街道での迎撃は、己やサルヴァとその部下ら精鋭が指揮し、少数の手勢で成功させたということになっている。
さすがに、単騎で三千を撃退したというのは、現実離れしているということだろう。
「そのことを見抜いた私はアタラティアの副王シャノールド・エ・ウィスタントン様に進言し、サルヴァ隊長らとともに少数の手勢を率い各街道内で待ち伏せ、ブシュロネア先発隊が闇地へ入る前に撃退いたしました」
「なるほど。第一王女親衛隊は祝福持ちを多数擁している。それに闇地に囲まれた街道という地形を活かせれば不可能ではないか」
ディエック将軍の解説に、円卓の武将たちは「おお」「なるほど」などと相槌を打っている。
ほんとは全然違うけどなと思いつつも、話を補ってくれた将軍にミツキは心の内で感謝する。
「出鼻を挫かれたブシュロネア先発隊は街道を逆流する形で潰走、アタラティア軍は追撃する形となり、街道向こうで敵軍の再編成が終わる前にこちらから仕掛けられたことで、今度はアタラティア軍が圧勝しました。さらに、敵から奪った装備でブシュロネア兵に擬装し、帰還したと見せかけて奪われた砦に侵入することにも成功、これを奪還いたしました」
自分たちを除いて当時の状況を再現するとこうなるのかと、話の帳尻を合わせたサルヴァに対し呆れと感心が綯い交ぜとなったような複雑な感情をミツキは覚えた。
「この戦での勝因は、どちらがより相手の裏をかけたか、そしてどれだけ迅速に動けたかというふたつの点に集約されます。ブシュロネア軍は奇襲によってアタラティアの意表を突き初戦にも勝利しました。そして街道での作戦も、当初の将軍の作戦を採用していればアタラティアは敗北していたことでしょう。しかし、今度はこちらが相手の手の内を読み切り、逆にブシュロネアの意表を突いて反撃し、あとは相手の体制が整わぬうちに一気に畳み掛け、さらに砦も相手の裏をかくことで奪還できたわけです」
「つまり、相手指揮官の思考を読み、敵が予想もしないような打撃を加えたうえ、混乱から立ち直れぬうちに勝負を決めるのが肝要だと言いたいわけだな?」
今度は王弟で第一騎士団長のヴァリウスが呟いた。
存外、理解力があるとミツキは少し驚く。
サルヴァが〝それなりに優秀〟と評すだけはあった。
「なるほど肝に銘じよう。参考になったぞミツキ・クロッソ」
「過分なお言葉、身にあまる光栄と存じます」
「とはいえ、此度の戦場は平野が主となろう。狭い街道のように駆け引きで優位に進めるような局面はあまり望めまい。であれば、やはり我らは正面から侵略者どもを迎え撃ち、武辺の総てをもって打ち破ろうではないか! 各々方、御覚悟はよろしいな!?」
ヴァリウスの叫びに、武将たちは立ち上がり、声を揃えて「応」とこたえる。
その声をもって、会議は終幕となった。
ミツキの言葉を肯定しつつ、諸将の士気向上にまでつなげて場をまとめたヴァリウスの手腕は、なかなか見事なものだとミツキは感じた。
とはいえ、結局は正面から迎え撃つと宣言しているあたり、ミツキはやはり不安を拭えなかった。
そして、その予感は的中することとなる。
会議の三日後にティファニアを出立した連合軍は、第九、十、十四副王領に分かれてブリュゴーリュ軍とぶつかった結果、ヴァリウスやディエックの奮戦もむなしく敗戦を重ね、最後は籠った砦まで落とされ、全軍尽く壊滅した。
ティファニアにその報がもたらされたのは、会議から約二百日後であった。
第四章完結です。次回より新章となります。もし作品を気に入ってくださったのであれば、ブックマーク登録と評価(↓の☆☆☆☆☆)をいただけると嬉しいです。




