第十八節 『急転』
『ミツキ、おい、返事をしろ』
「うぅ!? あ、ね、寝てないよ!?」
ミツキはサクヤの声を聞いて意識を取り戻し、慌てて周囲を窺う。
すると、首から胸元へと垂れた鎧布に、サクヤの眷族である通信用の虫がへばり付いているのに気付き、そこから声が発せられたのだと思い至る。
鐘の脇に覗く太陽は、その角度から正午に迫りつつあることを物語っており、ミツキの顔面から急速に血の気が引いた。
『どう考えても今まで寝ていた人間の反応だな。安心しろ。新王はまだ来ていない。まったく、やはり協力を申し出て正解だったな。おまえのおかげでまた計画が台無しになる所だぞ』
さすがに今回は文句など言えないと、ミツキは手の甲で涎を拭いながら反省する。
「いや、助かったよ。本当に悪かった。昨日寝られなかったのに、まさか現場で寝るとは思わなかった」
『言い訳はいい。それより、準備を整えろ。もう、直に来るぞ』
「わかった。あとな、もう少し小さい声でしゃべれないか? じゃなきゃ虫の音量を抑えてくれ」
コオロギ型の虫の伝えて来る声は、まるでセロファンを口に当ててしゃべっているように音が割れ、かなり耳障りだった。
『いちいち文句を垂れていないでとっとと準備を進めろ。私のところから既にパレードが見え始めているぞ』
「今どこにいるんだ?」
『おまえの潜んでいる鐘塔のすぐ近くだ』
その返答を聞いて慌てて兜を脱ぎ、手摺から目の上だけを出して下界を覗けば、パレードを見ようと集まった群衆の中に、ゴスロリ服の少女が見える。
「そんなところでしゃべっていて怪しまれないのか!?」
『心配せずとも私の声はおまえにだけ届いている。口も動かさないし周囲に声も漏れていない。誰も怪しんだりせんよ』
ミツキの目に、彼女が周囲の人々から注目されているように見えるのは、独り言でも言って怪しまれているからではなく、その美貌とゴスロリ服が原因のようだった。
『私のことよりも右手に注目しろ』
サクヤに言われて視線をずらし、ミツキはギョッとなる。
遠くにパレードの先頭が窺えた。
「ちょっ! 本当に近くじゃないかよ!」
『だからそう言っているだろう。早く鏃を用意しろ』
ミツキは腰のポーチから鏃を取り出すと、意識を集中して掌の上に浮かべた。
あとは、セルヴィスが来るを待ち、〝飛粒〟を放つだけだ。
パレードの先頭は旗のついた槍を構える儀仗兵で、その後ろが軍楽隊、そしてセルヴィスの馬車が続く。
そのゆっくりとした歩みが近付くにつれ、ミツキの心臓はますます大きく早鐘を打った。
ついにやるのだ。
覚悟してここに来たというのに、どういうわけか現実感がない。
実は今夢を見ていて、いきなり鐘塔ごと地面に崩れ落ちたところで目を覚ますのではないか、などと妄想にとらわれる。
『来たぞ。下は障害などなさそうだ。慎重に狙いを定めて最良のタイミングを見計らい、放て』
サクヤの声を聞き、逃避しかけていた思考が現実に引き戻される。
もはや腹を括るしかない。
掌から、鏃を高く舞い上がらせる。
儀仗兵が塔の正面を通り過ぎ、軍楽隊の鼓笛が大きく響きわたる。
正面に迫りつつあるセルヴィスの顔が見える。
沿道の市民に笑顔で手を振っている。
一瞬、心が挫けそうになるも、奥歯を食いしばって堪える。
何も考えるなと己に言い聞かせる。
ただ、必要だから殺す。
それだけなんだ。
標的は頭。
鏃の向きを調節する。
あとは、もう放つだけだ。
右手の中指を目いっぱい伸ばす。
この指を曲げると同時に鏃は発射される。
そしてミツキは、中指を曲げ――
『待て、様子がおかしい』
る寸前で思い止まる。
大きく息を吐き出しながら、己に問うてみる。
なにがどうした。
おかしいとはどういうことだ。
『ミツキ、左だ』
サクヤに言われるがまま、左手に視線を向ける。
特に何も異常なさそうだが、と考えたところで、小さな悲鳴のようなものが聞こえた。
儀仗兵たちが歩みを止め、軍楽隊も演奏を停止する。
左手から聞こえる叫び、ざわめきが徐々に大きくなる。
「なんだ? どうしたんだ?」
呟くと同時に、左側の視界の外から何か大きなものが駆け込んでくるのが見えた。
すぐに、鳥馬だと気付く。
背中には兵士が乗っている。
一瞬、パレードの演出ではないかと考えるが、どうも様子が変だと気付く。
その走りが、あまりにもふらついているのだ。
しかも、兵士の鎧も、ティファニア兵が使用しているものと若干デザインが異なる。
なんなんだ、と思う間もなく、馬は前のめりに倒れる。
そのままパレードの先頭に、転がるように突っ込む。
儀仗兵と鼓笛隊が左右に分かれてそれを躱し、列の後方から兵士が走り出て、馬車から降りた新王を取り囲む一方、侵入者を包囲する。
兵士たちの輪の真ん中で、馬に乗っていた兵士がゆっくりと身を起こす。
立ち止まっている姿をよく見れば、満身創痍なのがわかる。
兵士は立ち上がると、己に突き付けられた槍には目もくれず、大声を張り上げる。
「おそれ、ながら……国王陛下と、お見受けいたしますが、如何に!」
警備のティファニア兵が何か言い返そうとしたところ、セルヴィスが手で制し、前へ出た。
「いかにも。余が新たに第二十七代国王に即位したセルヴィス・ライティネン・ガラル・ティファニエラである。貴公のその鎧布、第十二副王領・アシミアのものと見るが相違ないか」
傷だらけの兵士は、息も切れ切れに「間違いございません」と消え入るような声で伝えた後、最後の力を振り絞るように胸を膨らませると、肺に残ったすべての空気とともにその言葉を吐き出した。
「隣国ブリュゴーリュからの侵略を受け、第十二副王領アシミアは国境の砦と首都、ともに陥落いたしました! 副王ルィエ・ヌビエット・ダンキ様はお討ち死に! 領国軍も将軍以下全将兵が壮絶な戦死を遂げましてございます!」
その場の全員が凍り付いた。
一瞬の間を置いて、見物人の中から小さな悲鳴が上がるが、王の怒号がその声を打ち消した。
「馬鹿を申すな! それならなぜ、今まで何の情報も入って来なかったのだ! そのようなことはあり得るはずがない!」
「……七日でございます」
「何!? 今なんと申した!」
「国境砦の陥落が一日、そこからの移動に四日、首都の陥落に二日……たったそれだけの期間で、我が故郷は、滅ぼされました」
「……な、んだ、と」
「……わ、たしは、辛うじて、のが、れた、数人の、輩ととも、に、転移、塔へと、どうにか、たどり、つき、私だけが、うま、とともに、強制、転移して、参りました。残った、同輩は、最後の力、で、アシミア側の転移塔を破壊、したはずです」
「あ、ありえん。アシミアが、たった七日で侵略された、だと? そんな真似が、物理的に可能だというのか?」
アシミアの兵士がゆらりと前に出て、護衛の兵士らが動揺しつつも槍を突き出し威嚇する。
しかし、傷だらけの兵士は、もは視力が失われているのか、何かを探すように両腕で前方を掻くと、最後に大きく口を開いた。
「奴らは……あれは……人、では……!!」
その言葉を言い切ることなく、兵士は前のめりに倒れ、ピクリとも動かなくなった。
先程までの賑やかな雰囲気は一変し、その場が静寂に支配される中、サクヤの事務的な言葉だけがミツキの耳に届いた。
『状況が変わった。ミツキ、狙撃は中止だ』




