第十一節 『交渉』
サルヴァからの暗殺依頼を「引き受けよう」などと勝手に承諾され、ミツキはサクヤを睨み付け声を荒げる。
「おい! 何勝手に――」
言葉の途中で、しまったと思う。
アタラティアでまったく同じような状況を経験していたことに、ミツキは思い至る。
しかし、気付くのがコンマ数秒遅かった。
サクヤの額の目が開き、そこから放たれた紫色の光に、ミツキの全身が硬直する。
「学ばない奴め」
サクヤの呆れ声に、ミツキは体を硬直させながら、まったくだと心の中で呟く。
はじめて会った夜以降、この女の金縛りに、何度煮え湯を飲まされれば己は気が済むのか。
「さて、条件付きで引き受けるとは言ったが、その前に確認しておきたいことがある」
サクヤがミツキから第一王女親衛隊の方へ視線を移すと、妖女の額の目を目の当たりにした騎士たちは微かにたじろぎ、身じろぎした拍子に触れ合った甲冑同士がカチャカチャと音を立てた。
一方、その騎士たちの前に座るサルヴァだけは、相変わらずアルカイックスマイルを浮かべ、穏やかな声をサクヤに返す。
「こちらも聞きたいことはあるのだが、先にそちらの〝確認〟とやらに答えようじゃないか。何なりと聞いてくれたまえ」
「第一王子の暗殺と言ったが、ドロティア王女殿下の王位継承権は第三位なのだろう? 第二王子への対処は考えているのだろうな?」
サクヤからの問い掛けを受け、サルヴァは腰のポーチから取り出したものを卓の上に置く。
「鏃?」
サクヤは鉄の鏃を持ち上げると、しげしげと観察する。
返しが三段になっている特徴的な形状だ。
アタラティアやブシュロネア軍の使っていた矢は目にしたが、もっと単純な形の鏃だったはずだ。
ということは、この世界の一般的な鏃の意匠というわけではないのだろう。
「特注品に見えるが……」
「それは、第二王子が団長を務める王国軍第一騎士団で使われている鏃だ。ただし、使用を許可されているのは大隊長以上の幹部のみ。暗殺に際して、ミツキにはその鏃を撃ち込んでもらう」
「なるほど、第二王子の差し金と見せかけるわけか。衆人環視の中で殺すのも、国民を証人にするためだな。とはいえ、箆と矢羽のない鏃だけが暗器ではどう考えても不自然だろう」
「関係ないさ。不自然だろうがなんだろうが、第一王子の暗殺に第二王子の息の掛かった者だけが持っている武器が使用されたという事実があれば、あとはどうにでもなる」
「第一王子の遺体から摘出されたこの鏃をもって第二王子を糾弾でもすると?」
「それでは手緩い。第一王子派を嗾けて第二王子を暗殺させる、と見せかけて我らで殺す」
「第一王子と第二王子の血みどろの政争と見せかける。その実、実行犯はこのミツキやおまえたちというわけだ」
サクヤは卓上に鏃を置くとサルヴァの方へ滑らせる。
「力技だが悪くない」
「お褒めに預かり光栄だ。それでは、私の方からもひとついいかな?」
「聞こう」
戻された鏃をかざしつつ、サルヴァはサクヤに鋭い視線を向ける。
「なぜキミが仕切る?」
サルヴァとサクヤの視線がぶつかり、沈黙が流れる。
「私はミツキに依頼したのであって、キミには関わりのないことだと思うが?」
なおも体を硬直させながら、ミツキは心の中で思う。
もっと言ってやれと。
ミツキにとってはどちらも厄介な存在だが、とりあえずこの妖女が口でやり込められるところを見てみたい。
「この痴れ者に任せておいてはおまえたちにいいように使い潰されるだけと判断したのでな。悪いがこいつは私の玩具だ。使うのなら私を通すのが道理というものではないか?」
「玩具ね。名前は書いてなかったようだが?」
「ここに書いておいた。開けなければ見れんがね」
そう言って、サクヤは自らの頭を人差し指でコツコツと突いてみせる。
本当に書いてあるんじゃなかろうなと、ミツキは不安を覚える。
「弱ったな。キミを間に挟むといろいろ面倒そうだ。例えば〝条件〟と言っていたが、キミのような得体の知れない女性が何を望むのか私には見当もつかない。迂闊に承諾すれば、こちらがどんなリスクを背負い込むことになるかも未知数だ。魔法というものは、契約による縛りが大きいからね。最悪、それがティアの枷になることだってあり得る」
「そのような事にはならないと約束しよう、と言っても信用できまいな」
「そう、私たちはお互いをあまりに知らなすぎる。悲しいことにね」
どの口が言うと、サルヴァの発言にミツキは呆れる。
出会って二日の己に、この国の王の暗殺を依頼したのは自分ではないか。
「そもそも、キミたちの立場を鑑みれば、我々が条件を飲む必要などあるのかな?」
「呪殺のことを言っているのなら、私はそれほど深刻には考えていないと言っておこう」
「ほう? 自分の命を質に取られているのに? 理由を知りたいな」
「私も人質を取っているからだ」
「人質? それは誰だい?」
「このティファニア王都に住む人間すべて」
サルヴァが息を呑む音が、ミツキの耳に届いた。
「それは、どういうことかな」
「闘技場の魔獣やアタラティアの先発隊に対し、私がどのように対処したかは、おまえたちなら既に知っているのだろう?」
「ああ。たしか毒の霧を……」
そこまで言って、サルヴァの声が途切れる。
ミツキも、嫌な予感に冷や汗が伝うのを自覚する。
「私が死ねば、その瞬間に屍から毒の霧が発生するよう、自分の体に術式を施した。私の死体の魔素が尽きるまで、毒の噴霧は続く。この都市全体を覆うのは間違いないだろう」
なんて真似をするのだと、ミツキは狼狽する。
同じ戦場へ出たとして、サクヤが死ねば自分たちも巻き添えで死ぬのは確実ではないか。
「ほう。それは恐ろしいな。しかし、そんな都合の良い魔法をたまたまキミが習得していたなんてことがあるのかな。はったりってことも、十分にありそうだ」
「しかし、おまえはそれを証明できない。はったりかどうか確かめるには、実際に私を殺して確かめるほかないからだ。そして、もしはったりでなければ、その瞬間にこの国は亡びる。おまえの独断で、そんなリスクは冒せまい?」
「ああ、そうだね。それは認めるよ。しかし、キミを殺せないということと、ミツキの間に入ることを認めるというのは、また別問題だ。違うかな?」
「先程、サインの話をしただろう」
「それがなにか?」
「私の意志でミツキの頭を弾けさせることができる。そういう術式を、そいつの頭に処置を施した際に残しておいた、と言ったら?」
おいふざけるなとミツキは心の内で叫んだ。
もし本当なら、己はふたりの女に生殺与奪の権利を握られていることになる。
しかも、一方は自分の知る限りで最悪の相手だと言えた。
「なるほど、やはり証明すれば取り返しがつかないな。つまり、条件を飲まねばミツキの命はないと? 彼を殺すのは、キミたちにとっても痛手なのではないのかな?」
「さあ、どうかな。たしかに手駒が減るのは痛いが、私の許可なく私のものを使われるのも気持ちの良いものではないからなあ。ちょうど、いつもそいつを守っている厄介な女も居ないことだし、ちょっと殺してみるのも良い機会かもなあ」
サクヤの弄ぶような声音に、ミツキの心臓が悲鳴を上げる。
この女ならやりかねない。
「……ミツキも厄介な女性に目を付けられたものだな。いいだろう。条件次第ではあるが、キミの望みを叶えるよう善処しよう」
どうやら死なずには済んだとわかり、ミツキはホッとする。
とはいえ、これであとに引けなくなったのも事実だ。
自分がオズワルドの真似事をすると思うと気が重くなる。
「それで? キミの条件とはなんだい?」
サルヴァの問いに、少しの間を置いてサクヤは答えた。
「私たちがこの世界に召喚された経緯と方法、そのすべてを明かしてもらおうか」




