第六節 『水晶宮』
水晶宮の中は、迷路のように複雑だった。
階段はなく、スロープで上階との間を昇り降りする。
一般的な建築物とは異なり、建物全体に共通する階があるわけではなく、複雑に入り組んだ多層構造になっているようだ。
確かに、これははぐれたら迷子になるだろう。
道を尋ねようにも、不自然と思えるほどに人気が無いのだ。
入り口の守衛を除けば、だだっ広い宮殿内でひとりの人物も見かけていない。
ここが王宮ということを鑑みれば、異常であるとも感じるが、サルヴァいわく自分たちの入った入り口からドロティア王女の控えている広間までは、彼女の関係者以外の立ち入りを禁じられているため、特に人の出入りが少ないのだということだった。
ドロティアは政務などに関わることがないので、施設を管理する使用人を除けば、出入りするのは彼女の騎士たちだけらしい。
「どこもこれほど閑散としているわけじゃないよ。場所によっては、昼間は都の大通りとそう変わらない程人が出入りしているということもある」
サルヴァの解説に耳を傾けながらも、ミツキは、先程のレミリスの言葉を思い出していた。
〝気が変わったら〟とはどういうことなのだろう。
待つと言うからには、ミツキが戻って来る可能性があると思っているのだろうか。
そんなわけないだろう、とミツキは思う。
それでも、あくまで念のため、右左昇り降りと、道順を頭に入れていく。
「思ったより落ち着いてるな、ミツキは」
「え!? い、いやいや、けっこう緊張してるよ! だって王女様に会いに行くんだぜ?」
「ああいや、今言ったのはティアのことじゃなくて、この建物への反応についてだよ」
「あぁ、確かにすごいよな。こんなガラス?だけでできている建物なんて初めて見たよ。それに大きさにも圧倒される」
「それでも、キミはけっこう余裕があるように見えるよ。地方からはじめてこの城へやって来た貴族や、国外からの客の中には、度肝を抜かれて放心したり、中には腰を抜かした者までいるぐらいだ」
サルヴァの言っていることは、あながち誇張ではないだろうとミツキは感じている。
実際、この水晶宮という建物は、その規模も質も、元の世界の建築を大きく凌駕している。
それでも、サルヴァが感心する程度に落ち着いていられるのは、おそらくは己が、鉄筋コンクリートとガラスのジャングルのような街並みを知っているからだろうと考える。
中世レベルの建築しか知らない者が見れば、確かに、腰を抜かしてもおかしくはないだろう。
「それと、この透明な素材はガラスじゃないよ。王耀晶といって、王家専属の魔導士と職人のみが創り出すことのできる物質さ」
「べ、りす……?」
「ヴェリスティザイト。魔素の結晶だ。世界でも魔素の物質化に成功したのは、わが国だけなのさ。そして、魔素結晶体、つまり王耀晶は、素材として得難い特性を有している。例えば、魔法の媒体として用いれば効力を飛躍的に向上させることが可能だし、王耀晶自体に魔法をかければ、半永久的に効果を留めたりもできる。それに、かけた魔法の魔力波長に反応し様々な色に変色するのが美しく、宝石としても最高級の価値がある」
「そんなに貴重な物質なのか」
「ああ。なにせ石ころ程度の結晶でも、小城が建つと言われるぐらいだ」
「し、城!?」
目を剥いたミツキは、首をぐるぐると回して周囲を見る。
おそらく、高品質のダイヤ並みの価値が付けられる物質が、見たこともない程の規模の建物を構築しているのだ。
もはや値段など付けられないだろう。
つい、まじまじと壁を眺める。
よく見ると、完全な透明ではなく白みを帯びており、そのため鏡のように光を反射している。
その結晶の中に、薄い筋のようなテクスチャが縦横に走っており、幾何学的な模様を描いているのがわかった。
「すごいな、正直歩くのが怖いぐらいだ」
「ああ、たしかにガラスの上を歩くようで気が気じゃないかもだけど、この建物に使われている素材には、力の分散と安定の魔法がかけられているから、一区画に数百人が乗ってもビクともしないよ」
「いや、そういう怖さではなくてな」
そこで、ミツキは思案顔になる。
「なあ、そんなにすごい技術なら流出したりはしないのか? あるいは他国が寄こせと言ってきたり……」
「ああ、確かに王耀晶の精製法を巡って戦争が起きたことがあるし、秘密を探ろうとする間者が侵入したり、秘密を知る人間が拉致されそうになったこともあるらしいけど、こればっかりは代々の王が極端なまでに徹底して秘匿してきたからね。幸い未だに我が国が技術を独占しているよ」
「カルティアという国も、魔道具を提供する見返りに、技術の提供を求めたりしないのか?」
さり気なく、サクヤの目当てである件の超大国について探りを入れてみる。
「よく、カルティアのことなんて知っているな。でもあの国は一方的に与えることを是とする国だ。他国に技術面での取引を持ち掛けたりはしないよ」
「へえ、そうなのか……」
あまり有用そうな情報は得られなかったが、これからは情報収集もずいぶん楽になりそうだとミツキは感じた。
王宮内を三十分近く歩いても、ドロティア王女のもとに到着する気配はなかった。
美しい建物だが、同じような見た目の通路が延々続くので、さすがに飽きが来る。
先程から、雑談を装い、サルヴァからこの国の情報を聞き出そうとしているミツキだが、なかなか自分の益になるような話は引き出せていない。
そこで、話題の方向を変えてみる。
「なあ、ティア様は、どうして闘技場で遠目に見ただけのオレに関心を持ったんだ。正直、かなり疑問なんだが」
「それはね、ティアの持つ特別な力が関係しているのさ」
「特別な? ……あの王女様が?」
「ああ、ミツキは〝祝福持ち〟のことは知っているかな?」
以前、アタラティアの開拓村で、ペルから聞いた話をミツキは思い出す。
確か、精霊の祝福を受け、特別な魔法の才能を与えられた人間を示す言葉だったはずだ。
「まあ、言葉の意味ぐらいは。でも、それが今の話と何の関係がある?」
「ティアは祝福持ちだ。その力を行使した結果、ミツキに興味を抱いたのさ」
意外だ、とミツキは感じた。
とても魔法が得意なようには見えなかったからだ。
しかし、〝その力〟とはどんな力なのか、肝心なところがわからない。
「質問の答えになってないぞサルヴァ。力を使ったから、オレに興味を持ったって、どういうことだよ。その力ってのはどんなものなんだ?」
「うん……まあ、今説明せずとも、すぐにわかるよ。それより――」
サルヴァは会話を打ち切り、歩調を上げる。
「あそこがティアの待つ場所だ。心の準備はいいかな?」
その言葉の直後、進んでいた通路の前方が唐突に開け、広大な空間の前方に大きな扉が見えた。
その空間と扉は、他の場所よりも建物の素材の白みが濃く、扉の向こう側を目視することはできない。
「じゃあ、扉を開けるから、ミツキは前に立っていてくれ」
そう言ってサルヴァは自分の背丈の倍近い高さの扉をゆっくりと押し開いていく。
扉の前に立ち、緊張を鎮めるようミツキは小さく深呼吸した。




