第四節 『説得』
天幕の取り払われた側壁塔一階の広間に、狩りを終えて戻ったオメガを含めた召喚者四名が集合していた。
内装はドロティア王女の使用人たちの手により、すっかり元の様子に戻っている。
この広間には、リビングとして使うため、ミツキが非市民区で仕入れてきた家具が配置されていた。
四人の召喚者は、中央付近に置かれたテーブルを囲んで椅子に座っている。
「で、そのお姫様とやらはどうしたんだ?」
足を組み、椅子にふんぞり返ったオメガが、誰にともなく問う。
「ひと晩ゆっくり考えて答えを出してほしいと言って帰って行った。それで、承知なら、レミリスに言って明日にでも王宮まで来るようにって」
答えを出すというのは、ミツキに対し王女が自分の〝ダーリン〟になってほしいと請うた件についてだ。
強制ではなく、ミツキの意思に委ねると王女は言った。
といっても、王族の要請を袖にするというのが何を意味するのか、ミツキに想像できないわけもない。
最悪、彼女の庇護を失い、殺処分されると考えられる。
そこまでの事態にならなかったとしても、アラティア以上に過酷な戦場へと送られるという可能性もある。
つまり、断るのであれば、かなりのリスクを覚悟しなければならない。
というか、そもそも断る理由がない。
この穴倉でのさもしい生活や再び戦場へと送られる恐怖と別れを告げ、権力者の美女の寵愛を受けながら暮らせるというのだから、考えるまでもないのだ。
それでも、ミツキにはそう明言できない理由がある。
そんなミツキの懊悩をよそに、オメガは不躾に尋ねる。
「行くのか? その王女とやらのところに」
「ミツキがあんな女のところになど、行くわけないだろう!!」
トリヴィアの叫び声は石造りの側壁塔内で幾度も反響した。
その大音響に、本人を除いたその場の全員が耳を押さえる。
「あの小娘、突然訪ねて来たと思えばこともあろうにミツキを己のつっつっつがいにしたいなどと下種なことを言いおって! 権力を盾に男を己の意のままにしようという卑しい性根には虫唾が走る! あの場で縊り殺してやれなかったのが心底悔やまれる!」
これだ、とミツキは嘆息する。
ミツキが誘われた後、トリヴィアが王女に向けた殺意のこもった視線は、甲冑の巨人を相手にした時以上の迫力さえ感じさせた。
王族ゆえか危機意識の感じられないドロティア王女は柳に風といった風情でまったく気にしていなかったが、サルヴァや他の護衛の騎士たちは顔を引き攣らせ、主を引きずるようにして退散していった。
こんな様子では、トリヴィアの説得にはかなり骨が折れるのは間違いない。
というか、納得してもらうのはまず不可能だろうとミツキは思う。
どうしたものかと考えあぐねていると、サクヤが口を開いた。
「行くも行かぬもおまえが決めることではなかろう」
サクヤに指摘され、トリヴィアが忌々し気に表情を歪める。
「サクヤ、おまえは悔しくないのか!? あんな頭の軽そうな女が、立場を利用してミツキを好きにしようとしているのだぞ!」
「全然悔しくない」
「なぁっ!?」
サクヤの返答に、トリヴィアは愕然とした表情を浮かべる。
トリヴィアのように騒がれるのは重いが、サクヤのように平然と差し出されると、それはそれで辛いものがあるなと、ミツキは軽く落ち込む。
「そもそも、ミツキが行かないという選択肢があるのかという話だ。たとえ頭が軽そうでも、あの女が我々の命運を握っているのは間違いあるまい。ミツキが行けば、我々に益をもたらす可能性は大だ。なにせ王族と大きな繋がりができるのだからな。しかし、行かなければ間違いなく不興を買うだろう。取るべき道など明白だと思うが?」
「保身のために仲間を差し出すというのか!?」
「別にミツキがあの女の元へ行ったからといって取って食われるわけではなかろう。むしろ、ここよりも良い生活が送れるのは間違いないと思うが? ミツキは恵まれた環境で暮らすことができ、うまくいけば我々の境遇も改善され、お姫様も〝ダーリン〟とやらを得られて大満足。誰も損はすまい」
サクヤの発言は、ミツキの考えを代弁していると言えた。
しかし、今のトリヴィア相手に、もう少し言い方を選べないものかと、ミツキは肝を冷やす。
案の定、正論でやり込められたトリヴィアは、軋る程に歯を食いしばりぶるぶると震えてさえいる。
どうするんだよこれ、と思っていたところ、その視線が突然自分に向けられ、ミツキはギョッとする。
「あんな女の所になど行きたくないのであれば、そう言ってくれミツキ! そうすれば、あとは私がどうにかするから!」
「うっ……それは」
行かないわけにはいかないだろう、などとは言えない。
トリヴィアを傷付けるのは避けたいし、それ以上に、暴発して暴れられでもしたら、彼女が監督官に殺されることさえあり得るだろう。
それに、トリヴィアの反応は、理解できないわけではない。
女系種族の彼女にとって、男は庇護すべき対象だ。
つまり、トリヴィアにとってのミツキは、ミツキにとっての親しい女性のように感じられているのだろうと察することができる。
そして、その貞操が自分を召喚した国の、いかにも頭の軽そうな王族に狙われているわけだ。
立場が逆であれば、自分だって必死で阻止しようとするはずだとミツキは思う。
それでも、どうにか説得しなければ、この場を収めることなどできないだろう。
ミツキは覚悟を決め、重い口を開いた。
「ありがとう。思えばオレはトリヴィアに守られっぱなしでここまで来たよな」
「そんなこと気にしないでいい!」
「いや、これを断れば、トリヴィアだけでなくサクヤとオメガの命も脅かすことになる可能性がある。昼間言っただろ? 〝オレはもう、自分の無力のために、誰かを死なせるなんてのはごめんだ〟って」
「……ミツキ」
王女様に取り入って良い暮らしがしたい、などとはもちろん言わない。
闘技場で出会ってから、トリヴィアとの間に築き上げてきた信頼を損ねたくはない。
だから、ミツキはあくまで格好つけた。
ミツキの言葉を聞いたトリヴィアは己の無力に打ちひしがれた様子だ。
「それに、あのお姫様もオレに好意を抱いている以上は酷い真似なんてしないさ。トリヴィアが心配しているような――」
「……しかない」
「へ?」
俯いたトリヴィアの声を聞き逃したミツキは、しゃべるのを止め彼女の言葉に耳を澄ませる。
「もう戦争しかない。あの女さえ殺してしまえばミツキは守れる……魔力で脚を強化すれば王宮までなら一瞬で行けるはずだ。居場所がわからずとも、あとは魔法で……」
「ちょっ……トリヴィアさん? い、一旦落ち着こ?」
「大丈夫だミツキ。監督官に呪いさえ使わせなければいいんだ。たとえ命と引き換えになろうと、キミだけは――ぎゃふっ!!」
「え? ぎゃふって何?」
ミツキの問いに答えることもなく、トリヴィアは眼球を裏返らせると、泡を吹いてテーブルに突っ伏す。
背後には、手刀を突き出したサクヤが佇んでいた。
「お、おい! 何したんだよサクヤ!」
「ああ、面倒なことになりそうだったのでな。うなじに毒を撃ち込んで昏倒させた」
そう言うと、どす黒く染まった右中指の爪をミツキに突き出す。
その先端から、紫色の雫が滴った。
「毒って、大丈夫なのか?」
「眷族の虫共から抽出した成分だ。人や、体の小さな魔獣ぐらいなら即死だろう。ただし、その女の体は、砦での負傷を治療する際に十分調べた。まあ十日ほどは目覚めんだろうが、死にはすまい」
さらりと怖いことを言うサクヤに、ミツキは嫌悪を込めて顔を顰めた。
「ほんとに、えげつない真似を平気でするよな、おまえは」
「おまえがつまらん見栄など張っているから、こうでもしなければ収まらなくなったのだろうが。スケベ心で王女の所に行くと言ってやれば、その女もさっさと幻滅して、あそこまで我を忘れたりはしなかったのではないか?」
サクヤの指摘を受け、ばつの悪さからミツキは目を逸らした。
「まあいい。とにかく私は元より賛成だ。大分変則的な形になりはしたが、おまえには、最初から上に取り入る線で動けと言っていたはずだ」
「……ああ。わかってる……で、さっきから何も言ってないが、オメガの意見はどうなんだよ」
ミツキに話を振られ、オメガはつまらなそうに応じる。
「オレは別にどっちでも構わねえ。テメエが拒否ったとして、この国の奴らが殺しに来ようが、また戦場へ飛ばされようが、戦うだけだ。でもまあ、行きゃあいいんじゃねえか? メスとつがいになってなんぼだろ、オレらオスはよ」
「そうか? なんか意外だな、おまえがそういうこと言うのは」
「あん? どういう意味だ?」
「いや、ほら、おまえあんまり異性の話とかしないし、興味ないのかと思ってたよ」
「メスに興味のねえオスなんざいるかよ。オレがそういう話をしねえのは、周りに猿しかいねえからだ」
「あぁ、種族的に異性として見られる相手がいないのか」
「そういうこった。まったくこっちに来てから右を向いても左を向いても猿しかいやがらねえ。何もわからなかった頃は、いったいどこの惑星に飛ばされたのかと思ったもんだ」
考えてみれば不憫な話だった。
この世界の人間を、自分と同じ種族として見られる自分は、まだ恵まれている方だったのかもしれないと、ミツキはオメガに同情する。
「では決まりだな。トリヴィアのことは私の方で善処しておく。おまえは気兼ねなく王女をたらし込むと良い」
「たらし込むって……まあいいけど。でも明日から家事とか、メシの準備とか、自分たちでやるんだぞ? 大丈夫か?」
「……それは」
「……少々まずいな」
困惑顔になるふたりを見て、当面の世話をアリアに頼んでみようとミツキは考える。
「じゃ、オレはレミリスに伝えてくるから」
ふたりに背を向けると、二階へ向かうため歩き出す。
どうして己が一国の王女に気に入られたのかなど見当もつかないが、こちらの世界に召喚されてからようやくツキが巡って来た。
そんな考えに浮かれたミツキには、まさかまる一日と経たぬうちに、身の毛もよだつような体験をする羽目になるなどとは、思いもよらなかった。




