第三十四節 『決着』
すべての鉄球を撃ち尽くし、ミツキはがくりと肩を落とした。
甲冑の巨人は、大量の血液を滴らせながら、戦斧を肩に担いで一歩踏み出す。
鉄球はすべて防ぎ切った。
あとは、戦う術を失くした、目の前の男を叩き潰すだけだ。
そんなことを考えたのか、兜の中の巨人の視線が俯いたミツキに向けられる。
その顔が僅かに持ち上がり、口が小さく動いた。
「…………それじゃあ、二回戦始めようか」
踏み出した巨人の足が硬直したように止まった。
その体勢のまま、兜に覆われた頭部を左右に回して周囲を確認し、動揺したように一歩後退る。
巨人の周囲、というより壁上広場全体に、砕かれた床石の破片が浮き上がっていた。
「ひとつ、勘違いしていたようだが、オレが操れるのはさっきまで飛ばしていた鉄球だけじゃない。手で持ち上げられる程度のものなら、大抵は念動で飛ばすことができる。ただし、対象が大きい程に威力が落ちるという特性ゆえ、丁度いい塩梅の球を持ち歩いているだけの話だ」
話しながら左右の手をゆっくり交差させるように動かすと、空間を埋め尽くした石礫は広場の上を渦巻くように飛び始める。
「オレと戦い始めてからトリヴィアに吹っ飛ばされるまでの間に、おまえはそのバカでかい戦斧を振り回して、石の床を滅茶苦茶に砕いてくれたよな。そのおかげで、手頃な大きさの武器が山ほど手に入ったよ。まあ鉄球に比べれば威力は落ちるだろうが、そこは昔の偉い人も言ってるだろ? 『戦いは数だよ』って」
甲冑の巨人は、巡らしていた首を正面のミツキに向けると、姿勢を低く構えた。
ミツキも両腕を大きく拡げて構える。
もはや精密に飛ばすことなど考えない。
とにかく一つでも多くの石を命中させるだけだ。
陸上のスタンディングスタートのように、巨人は弾丸のような勢いでミツキへ向かって駆けだす。
その距離、目測で二十メートル強。
奴がたどり着くまでに仕留めきれば己の勝ち、それができなければ奴の勝ちだ。
そう思考すると同時に左右の腕を交互に、そして猛烈な勢いで振り回す。
広場の上を旋回していた石礫は、腕の動きに反応して一気に加速すると、まるで海中の魚群のような動きで巨人に襲い掛かった。
前後左右から絶え間なく降り掛かる石の礫は、巨人の皮膚をやすりのように削り、肉に突き刺さり、骨まで食い込んだ。
そこへ更に別の石がぶつかり、砕け、肉体を削ぎ落していく。
それでも、巨人は止まらない。
見事なストライド走法でミツキとの距離をみるみる縮めてくる。
「おいおいおいおい! どうなってんだよ、その体ぁ!!」
上空へ巻き上げた石礫を滝のように降らせて押し潰そうと試みる。
巨人は躓きかけるも、片手を付いて体勢を立て直す。
続いて、地面を打って跳ね上がった石の激流をふたつに割り、左右から挟んで潰すように浴びせる。
しかし巨人は、その間から這い出るように突破して来た。
残りの距離は十メートルを切っている。
大きな攻撃は、あと一度が限界だろう。
ミツキが腕を振り上げると、すべての石礫がミツキに向かって飛来し、その左右、もしくは上空を通り抜けた。
突き上げた腕を頭上で回すと、後方へすり抜けた石群は旋回し、腕を振り下ろすと再びミツキの傍をすり抜け前方へ殺到した。
石礫の嵐の中、走りの勢いを殺されながらも巨人は一歩一歩前へ出た。
そして、すべての石が通り抜けた後、ミツキの前には巨人の体が立ち尽くしていた。
「……尊敬するよ」
巨人の兜を見上げ、ミツキは呟いた。
「オレはともかく、オメガと、手負いとはいえトリヴィアをただひとりで相手にして、ここまで戦ったんだ。何者か知らないが、オレがこの世界に来て会った中で、おまえは二番目に勇敢な奴だった」
視線を下げれば、巨人の上半身には一片の皮膚も残されておらず、筋肉も大半が削り落とされ、ところどころ骨は剥き出しになり、その骨も原型を留めている箇所は少なかった。
なぜ立っていられるのか、ミツキには理解できない。
戦斧は、とっくに吹っ飛び十メートル程離れた場所に拉げて転がっている。
たとえ手放していなかったとしても、もう二度と持ち上げることはできなかっただろう。
ミツキは服の内から鉄球を取り出す。
砦に入って最初の攻撃に使った後、貫頭衣の内ポケットに入れたものだ。
回転振動する鉄球を掌の上に浮かべて差し出すと、剥き出しになった胸骨目掛けて放った。
肉と骨が弾け、体の内側が晒される。
そこには、人のものよりひと回りは大きい心臓が、未だ力強く鼓動を打っていた。
ミツキは腰に差した少年の短刀を抜くと、一瞬の間を置いてから、心臓を突き刺した。
巨体に血液を巡らせていたポンプは、突如開いた穴から間欠泉のように血液を吹き出させ、ミツキの体に浴びせた。
しかし、ミツキは後退ることさえなく、血でずぶ濡れになりながらも、目の前の巨体がゆっくりと倒れるのを見届ける。
巨人の体が地面に頽れると、衝撃でその頭部から鉄兜が転がり、石床のうえでくわんくわんと音を立てながらゆっくりと回転した。
その動きが制止すると、もはや壁上広場に動く者は存在しなかった。
「……終わった」
ミツキは大きく息をつき、しばしの間放心していたが、やがて我に返ると、壁上広場の隅へと歩き下の広場に視線を向けた。
ミツキが合図を送るまでもなく、屍兵は活動を停止し静かに佇んでいる。
おそらく、外法とやらで様子を窺っていたサクヤが止めたのだろう。
足元には、敵兵の死体が散乱している。
その多くが無惨に食い散らかされ、まともな感覚の人間が目の当たりにすれば、トラウマになってもおかしくないような有様だった。
片付けるのは大変だろうが、後方で楽をしていた分、アタラティア兵が苦労するのは当然だとミツキは思う。
「って、あれ?」
本陣に戻ろうと歩き出しかけたミツキは、重大なことに気付いた。
トリヴィアとオメガに壁上への階段を破壊させ、塔の入り口は甲冑の巨人に壊された。
ということは、階下へ降りる方法がない。
入り口の瓦礫を退ければ、あるいは通れるかもしれないが、塔内に敵兵の生き残りがいないとも限らない。
巨人との戦闘で精も根も尽き果てた今、これ以上の戦いは絶対に避けたかった。
「しゃーない。救助が来るまで待つか」
その場に腰を下ろそうとして、思い止まる。
ミツキの視線は巨人の頭部に向けられていた。
そのまま暫く考え込んでいたが、やがておもむろに歩き出すと、巨人の骸の傍らで立ち止まり視線を落とした。
素顔を見ようと思ったのは、単なる好奇心からだ。
あれだけ途轍もない力の持ち主がどのような面構えなのか、ひと目拝んでみたいと思ったのだ。
「うわぁ」
兜の脱げた巨人の顔は、想像を超えて醜かった。
全体的に凹凸が少なくのっぺりしており頭髪は生えていない。
口は耳の下まで大きく裂け、ナイフのように鋭い歯が並んでいる。
耳は大きく尖り、鼻は三角形の穴が顔の中心に開いているだけだ。
最も強烈なのが目で、鼻から上に昆虫の複眼のようなものが等間隔で並んでいる。
いわゆる蓮コラのような見た目で、見ていると生理的な嫌悪を催させた。
その顔の右半分は血にまみれ、眼球(と思われる器官)のひとつが真っ二つにされている。
ミツキがペルの短刀で貫いた傷だろう。
この状態でよく戦えたものだと感心させられる。
少しの間巨人の顔を眺めていたミツキだったが、やがてあることに気付くと、みるみる顔色が青褪めていった。
その場に屈むと、巨人の顔の右側を覆った血液を貫頭衣の裾で拭い取る。
「……嘘だろ」
ミツキの視線の先、巨人の顔の右側、頬の辺りの肌に、この世界特有のジオメトリックなデザインの文字が刻まれていた。
そしてそれは、ミツキがこの世界へ来てから幾度となく目にしたものと酷似していた。
「な……なんで、こいつに、これが」
そう言うミツキは、震える手を無意識に、己の左目の下へと伸ばしていた。
第三章完結です。次回、幕間挟んで新章となります。もし作品を気に入ってくださったのであれば、ブックマーク登録と評価(↓の☆☆☆☆☆)をいただけると嬉しいです。




